【魔族の国・ミシェル滞在記2(チェル篇)】
「しまった! 3か月間、魔法の研究をしている間に王が変わってるじゃないか。どうしようっていうキャラでいこうと思ってるよ」
町に入って歩いている人に話を聞こうとしたら、セキトに止められて言い訳をしている最中だ。
「考えておられるならいいですけど……」
「セキトは本当に私をアホだと思ってないか? まぁ、いいけど。昔の私とは違うよ」
「そうですか。では、魔法の研究期間は1年とか3年とかにしませんか。3か月だと、逃げただけじゃないかと思われるかもしれませんから」
「ん……? ああ、わかった」
王都から遠い港町では私の顔もバレてはおらず、民には聞き放題。昼間から酒場で不貞腐れていれば、心配した酒場のマスターだって話しかけてくれる。
「なにかあったか?」
「いや、山奥で魔法の研究をしている間に魔王が変わって、町も変わってて驚いているところだよ」
「そうか? 王都周辺は変わってるかもしれないが、遠く離れたこんな港町じゃ、大して変わらんよ。クリフガルーダと正式に交易し始めたから、ご禁制だった強めの酒も魔道具も販売されることになったらしいけどね。どうだい、一杯?」
勧められるがまま、一杯強めの酒を頼んだ。確かにアルコール度数は高かったが、飲めないほどではない。味もすっきりしている。今度、ジェニファーの禁酒が解かれたら魔境にも仕入れるか。
「じゃあ、そんなに変わってないんだね?」
「ああ、一族同士の力関係が多少変わったかもしれねぇが、それほど庶民の生活に支障はないんじゃないか? むしろ、東方の貴族が不正に税金を徴収していたことがバレて大変だって行商人が言ってたけどな」
今後は、魔王の目によって貴族の横暴が暴かれていくのかもしれない。
「監視されてるストレスみたいなものは感じないか?」
「こんな町の端にある酒場にまで魔王の配下がいるわけがない。そんなに暇じゃねぇよ。大した犯罪もできないしな。せいぜい、小さい賭け事くらいだ」
「なぁんだ。じゃあ、よかった。食料買ってまた山奥に篭るかな」
「魔法が完成して貴族に引き立てられるときは飲みに来てくれ」
「ありがとう!」
酒場はそんなに荒れていない。魔王も王位についてから3か月しか経っていないので、影響もあまりないのかもしれないが、案外うまくやっているのかも。
冒険者ギルドに向かい、川にいたロッククロコダイル討伐を報告。皮と牙、魔石を提出し鑑定してもらって報酬を受け取った。先日の闘技場でも稼いでいるので、とりあえず滞在期間中のお金には困らないだろう。
掲示板には、いくつか魔物の討伐依頼も貼ってあるが、だいたい強い魔物や厄介な場所ぐらいしか残っていない。冒険者ギルドにも人が多い気がする。
「魔王が変わって冒険者が増えたのか?」
依頼受付の職員に聞いてみた。
「ああ、そうかもしれませんね。ここ最近はガラの悪い人たちが増えたかも。ほら、傭兵上がりの人たちが正規軍になって、山賊の根城や砦を回ってる影響でしょう。簡単に実績を作ろうとしているみたいですけど、末端にしわ寄せがくるんで面倒ですよ」
今まで見過ごされてきた山賊が、町に下りて真っ当な冒険者を目指しているらしい。
正しいことをしようとすると、それまで曖昧にしていたことが明らかになって弊害が出る。誰が魔王になっても、こういうことは起こるだろう。
「元山賊たちが簡単な仕事ばかり引き受けるから、こっちは大変だよ」
軽装備の冒険者らしき男が、職員から紙の束を受け取っていた。
「あんたは?」
「新人冒険者の教育係さ。ある程度戦い方さえ教えていれば勝手に育ったのに、今は残っている依頼に合わせて教えないとすぐに死んでしまうからね」
「その分、早く育つんじゃないか?」
「確かに、そうかもしれない。ただ、経験が浅い分、状況判断で手間取るんだ。しばらくは怪我人が増えそうだ」
山賊は町に馴染み、冒険者の新人は山に馴染んでいく途中なのだろう。
「とびぬけた才能がある奴はいなかったか?」
もしかしたらマキョーみたいな奴がいるかもしれない。
私の質問に、職員と教育係は顔を見合わせて笑っていた。
「あんたくらいだよ。闘技場荒らした翌日にロッククロコダイルを3頭も討伐する奴は。山奥で魔法の研究をしていたって?」
「チェルさんでしたよね? どうです? 教育係として冒険者ギルドに雇われてみませんか?」
職員から勧誘されてしまった。
「まだ旅の途中なんだ。戻ってきたら考えるよ」
「いつでもお待ちしています」
通りの店舗も空き家があるわけではなく、普通に営業している。行商人もよく見るので経済的にはそんな影響がないのかもしれない。
「いや、もう大変だよ。クリフガルーダからは魔道具の新商品が入ってくるし、従業員にいくら払ってるのか、奴隷を何人使ってるのか、全部申告しなくちゃならなくなった。犯罪率を下げるのはわかるけどやることが増えたよ」
小さい商店や行商人は、大変だという。
その代わりに荷運びの奴隷たちは、ご飯は必ず出るし、寝る場所にも困らなくなったとか。
「体調が悪くて寝ていても、理由さえ説明すれば休めるようになったし、河原で寝るようなことはなくなったですよ。前の魔王様からのお陰です」
前の魔王が言っていた約束が、魔王が変わってちゃんと履行されるようになったらしい。
「今のところ、問題ないように思えるけどね」
私は野宿していた場所まで戻り荷物をまとめながら、セキトに言った。
「西側は比較的優遇されていますからね。他の地方の豪族からは不満の声は上がっていますよ」
南西に行けば、クリフガルーダと交易している港もあるので潤ってはいるのだろう。
「東側は酷いのか?」
「ええ、負けた貴族がいますしね」
「そうだったね……」
私の両親も東へ逃げた。魔王からすれば、できるだけ力を削ぎたいはず。税を重くし、廃武器令なんかも敷いているかもしれない。
「東か……。セキト、私の移動速度についてこれるか?」
「馬なら用意できますが、ミシェル様が本気で走るということですか? 港から広場まで走ったように?」
「ああ、そうだ。魔境では砂漠も走って踏破するんだけどね。普通の馬だと遅いと思う」
「クリフガルーダから、空飛ぶ箒でも取り寄せろと?」
「いや、あれもそんなに速いわけではないからなぁ。セキジンでも無理か?」
「無理ですよ。親父たちは人数がいる分、移動には時間がかかりますから」
「だったら、王都で落ち合おう。お前らはこのまま真っすぐ王都に向かってくれ。私はちょっと両親に会ってから王都に向かうから」
「そんな! では誰がミシェル様を……」
「見張りは結構いるだろう。使い魔もいるし、問題あるか? そこに隠れている人も仲間に連絡してくれ」
木の上で隠れていた冒険者ギルドの教官に話しかけた。
「曲者か!?」
セキトが枝を切ったが、冒険者ギルドの教官は難なく躱して、私の前に降り立った。
「いつから気付いていたんですか?」
「冒険者ギルドを出たときからつけてきていただろ。魔王の目の一人か?」
「いかにも『王の目』です」
後ろでセキトが剣を振りかぶっていたので、水球を顔にぶつけて牽制しておいた。
「セキト。ちょっと邪魔だよ。それから、元近衛兵は森での潜伏に向いていない。隠れ方があまりにも不自然だから」
そう言って、私は元近衛兵たちが潜んでいる上に魔法で水球を作り出した。子供のかくれんぼじゃないんだから、匂いくらいは消しておいてほしい。
「私は別に隠れるつもりもなければ、何かを隠すつもりもない」
「野宿しているのにですか?」
王の目が聞いてきた。
「ただ、宿にこんなに人が押し寄せたら迷惑がかかるから野宿しているだけだよ」
「闘技場で偽名を使っていたのは?」
「偽名じゃなくて、今の本名がチェルなんだ。ミシェルというのは、メイジュ王国だけで通じる名前だよ。それで、王の目は私についてくるか?」
「馬でも追いつけないんですか?」
王の目は振り返って、濡れ鼠になっているセキトに聞いた。
「グリフォンでも呼ばねば無理だぞ。諦めろ」
「では、無理です。鳥の魔物を飛ばした方が速いですし」
「だったら、一筆書いてくれるか。たぶん、休まなければ鳥よりも早く着くと思うから」
「……っ! ミシェル様は我々の監視対象ですよ」
王の目が目を丸くして言った。
「だから、私は隠れるつもりはないんだって」
「んんっと、いや、そうなるとですね……」
かなり混乱しているらしい。
「お前の仕事がなくなるか? いいじゃないか、冒険者ギルドの教官だって稼げるぞ。それとも、こんなに舐められたら立つ瀬がなくなるか? 悪いけど、現実を受け入れてもらわないと困る。お前のプライドよりも魔族の意識改革の方が先だ」
「ど、どういうことですか?」
「戦力の差が開き過ぎてるんだ。魔境の主は私よりも遥かに強く、私が朝飯のパンを焼いている間に、あんな港町くらいなら木端微塵にできるだろう。クリフガルーダの王城などやろうと思えば、明日にでも地上から無くせる。つまり、各国のパワーバランスが完全に崩れている最中なんだよ」
「たった一人で国を亡ぼせると?」
「そう。しかも恐ろしいスピードで、まだ成長を続けている。魔境はエスティニア王国の東にある。南北をクリフガルーダとエルフの国に挟まれ、海を渡ればメイジュ王国だから、どの国にも攻めやすい。逆に魔境の奥まで入られたら、どの国からも攻められにくい」
「いつでもどの国にも攻めることができて、戦力も十分にあるとすれば脅威以外の何者でもありませんが……」
「それに気づいているのはクリフガルーダくらいだよ。だからこそ危機感を持って現実を受け入れてくれ。幸い私は魔境の住人になれた。マキョーの成長を間近で見てきた一魔族の私からすれば、祖国を亡国にしたくなければ小さなプライドや地位くらいで波風を立てないでほしい」
「それを信じろと言われても……」
話を聞いていたセキジンが木の陰から出てきた。
バシャン!
私は水球を隠れている元近衛兵やセキト、王の目に向けて放つ。
続けて、全員の胸に炎の槍を向けた。
「何度か殺せば理解できるようになる? 水球も炎の槍も私にとっては変わらなくなってしまった。たった3ヶ月、新兵にも敵わなかった私が、魔境の住人になっただけでこれほど変わる。元近衛兵だけの一個大隊くらいなら、相手できると思うよ」
日が陰り暗い森の中で、元近衛兵たちの苦い顔だけが炎の槍に照らされた。顎からしたたり落ちた冷や汗が炎の槍に焼かれ、ジュッと音を立てて消える。
「私も脅したくはない。現実を直視して、戦力の差を受け入れてくれ。せめてこの森にいる者たちだけでもさ」
私がそう言うと、王の目は口笛を使って、使い魔の真っ黒いワシを呼んだ。
「黒鷲を持って行ってください。それだけで王の目には伝わると思います」
この国のどこにでも王の目はいる。誰かの使い魔さえ見れば、協力してくれるのかもしれない。
「助かるよ。それじゃあ、王都でね」
荷物を背負い、炎の槍の魔法を解いてから、東へと走り始めた。黒鷲は鞄の中で眠っている。
魔物も人もついては来れない。植物も襲ってこないので、夜でもそれほど危険はなく、光魔法で照らせる。魔物が待ち構えていても、軽く押すだけで吹っ飛んでくれた。マキョーが裏拳を使っていたのを思い出す。確かにスピードに乗って走っている時は裏拳の方が勢いを殺さなくてもいいので、楽なのかもしれない。
森を越え、川を越え、人のいない街道をひたすら突っ走る。いくつかの町の脇と麦畑を通り過ぎ、両親が逃げた親戚の領地まで辿り着いた。
汗を拭って、眠そうな門兵に話しかける。
「ミシェルが帰ってきたと伝えてくれるかな?」
「んあ? ミシェル様だって? 親を逃がすために海の藻屑になったって話だ」
「寝ぼけているな。私がミシェルだ。勝手に入ってもいいんだよ?」
「入れるならどうぞ。もう閂も閉めてしまったから、ホラ話は明日の朝聞くとするよ」
門兵はそのまま槍にもたれかかりながら器用に眠っていた。
「立ちながら眠るなんて、門兵として失格だ」
仕方がないので、跳んで勝手に入らせてもらった。門と言っても家を跳び越えるほどなので、魔境の住人からすれば門の役割をしていないのと同じ。
門の先は町が広がっており、奥の貴族街へと向かう。
貴族街の中でも一際、大きな屋敷の扉を叩いた。
番犬が近寄ってきたが、匂いで私だと気づいたのか腹を撫でろとひっくり返っている。立派な番犬だというのに、性格は子供のままだ。
「こんな夜更けにどなた?」
聞き覚えのあるメイド長の声がする。
「ミシェルです。うちの両親に娘が来たと伝えてくれませんか?」
ゆっくりと扉がちょっとだけ開いた。
目を細めているメイド長がこちらを訝しげに見ている。
「あら、まぁ、魔王の手先は随分とうまくお嬢様に化けるのですねぇ」
どうやら幻覚を見ていると思っているらしい。
「手を握って確かめてみて」
私が手を差し出して、メイド長が握る。私の能力が見えたメイド長は、身体を硬直させたまま後ろへと倒れた。
これでは侵入した王の手先と変わらない。
「お父さん! お母さん! メイド長が倒れたよー!」
里帰り失敗。