【魔族の国・ミシェル滞在記(チェル篇)】
船員たちが夜通し風魔法を使っていたため、昼にはメイジュ王国の港町に辿り着いていた。
港まで迎えに来ていたのは先代の魔王に仕えていた近衛兵たち。私を魔王にしようとしていた人たちだったが、まだ諦めていないのか。
「3か月に渡る潜伏、お疲れ様でございました!」
私の目の前で敬礼している髭の生えた赤髪の壮年男性は、名をセキジンと言い魔族軍の大将だ。セキトの父親でもある。
「近衛兵がこんなところまで迎えに来ちゃ、軍法会議にかけられるんじゃないの?」
「我らは軍を引退して、自由の身ですから」
「だったら今の魔王を守っているのは?」
「傭兵上がりの連中です」
魔族の傭兵が弱いとは思わないが、実績があまりにも違う。
「それで? 軍を辞めて私の護衛でも務めるつもり?」
「我らは王の器たるお方を守るのが務め。王道へ導く定めでございます」
「エルフの国とクリフガルーダに親書を偽造して送ったのはお前たちか?」
「親書ですか?」
親書を送ったのはセキジンたちではないらしい。魔王が送ったとしたら、やはり城で不都合な何か起こっているのだろう。
「魔王がメイジュ王国の王として認められていないというのは本当か?」
船内でセキトから聞いていた。
「首長議会でそういう派閥が多いということです。ダンジョンすら開けていないようですから」
メイジュ王国の魔王は自分のダンジョンを持つ習わしがある。ダンジョンコアを先代から受け継ぎ、歴代魔王たちが作ったダンジョンをより大きく運営、または技術や魔法開発などをしていくはずだ。
そのダンジョンを開けていないということは歴代の魔王たちから拒絶されているか、城の中に魔王の敵がいて倒せていないということだ。
「民からの信用が厚ければいいではないか?」
「あの魔王に人気があれば、我らも軍を辞めておりませんよ」
魔王についている魔族たちと目の前にいるセキジンたちとは明確に派閥が違う。だとしたら、どうして私が魔境にいることを知ってるんだ。
「私の居場所はどうやって知った?」
「今まで密貿易をしていたクリフガルーダと、正式に国交を結んだからでしょう。魔族なら誰でもミシェル様が海を渡った魔境にいることを知っていますよ」
クリフガルーダから伝わっているらしい。付き合い方を考える必要があるな。マキョーに言って侵略してもらおうか。
「ということは、魔王にとって私の来訪は突然だったということか?」
「我らにとっても突然ですよ。準備していたのが我らだけだったというだけで」
「その割に、随分な船団で迎えに来たじゃないか」
「あの程度の軍勢なら、いくらでも。ご希望であれば、東から南、王都の北からも連れてきましょうか」
「いや、あの程度では魔境近郊の魔物も倒せなかったよ。練度が足りない」
セキジンは私の後ろに控えているセキトに目配せしていた。本当かどうか確かめたかったのだろう。この国は事実を受け入れるところから始めないといけないのか。
「魔王に私が来たことは伝わっているのだろう?」
「むろん、そういう一族ですから」
どこにでも目があり情報を握って精神魔法を使ってくる一族だ。人の弱いところを知っている。
「なら、使いを出してくれ。明後日、ゆっくり城に向かう。敵意も戦うつもりもない。民から私がいなかった3か月の間のことも聞きたいし」
「それならば、我らが……」
「民の声は軍人とはまた違う。それに調べておきたいこともある。1000年前に海を渡ってやってきた聖騎士についての書があれば持ってきてくれ」
「聖騎士? それは、どのような者だったのですか?」
「『差別をなくせ』と唱えていた奴だ。魔境で大量殺人を犯した跡が見つかった。早急に手配しておいてくれ。出来なければ無理にとは言わないけどね」
おそらくこの情報も魔王はどこかで聞いているだろう。なるべく面倒事は避けたい。迷惑をかけないように、暗殺者もぶっ飛ばさないといけないしなぁ。
「宿に案内します」
いつまでも桟橋で話しているわけにもいかないが、宿に迷惑をかけるわけにもいかない。
「寝るところは自分で探すよ。金も特に要らない」
「3か月でなんでもできるようになったようですな。しかし、それではお守りすることができません」
「海の魔物にすら殺されそうになっているのに、私を守れると思ってるの? できるだけ人のいない森か山を探しておいて。今夜はそこで野宿するから」
手早く現実を見せつけなくてはいけない。軽く走るか。
私は船着き場から出て、レンガ造りの倉庫街を通り、町に出る。
変わらないカラフルな街並み。魔族は肌の色に合わせて、家の色も変える。
大通りをまっすぐ行くと噴水がある広場。船着き場から、広場まで数秒の距離だけど、自分がものすごく速くなっているのがわかる。
むしろ、人の動きがあまりにも緩慢だった。噴水の縁に座って町行く人を眺めてみたが、行動に意思が伴っていないようにすら見えた。昼過ぎだからだと信じたい。
セキジンたち元近衛兵は追ってこない。うまくまいたか。そのまま私が頼んだことに取り掛かってくれるといいんだけど。
ただ一人、セキトだけは必死に走って私を追ってきた。
「汗を拭ったらどう?」
「魔境の主から、アホで頼りないミシェル様を頼まれましたから」
セキトは流れる汗もそのままに膝に手をついて息をしながら、私を見た。
「マキョーがそんなことを言ってたか。戻ったらぶっ飛ばそう」
「ミシェル様は魔境に戻るつもりですか?」
「むしろメイジュ王国に戻るつもりがなかったくらいだよ。今回の滞在は船の移動も含めて1週間ほどを予定している」
「あくまでも魔王になる気はないと?」
「うん、もし私がこの先メイジュ王国で魔王になろうとも、今はしばらく魔境で生活するつもりだよ。私の人生においても魔族の国にとってもこの機を逃しちゃいけない気がするんだ」
「そうでしょうね。たった3ヶ月で、異常な変わりようだ。母の血が流れている俺は納得できますが、父は信じてはいませんよ」
セキトの母は私と同じ一族だ。私は手を触れないとわからないが、セキトは見ただけで人の魔力を感じ取れる。
「まかれているのにか?」
「周りを見てくださいよ。ミシェル様があんなに速く走ったというのに、町の誰も気が付いていない。元近衛兵でも目で追えた者は少ないかもしれません。強化魔法の一種ですか?」
「いや、一瞬だけ足の筋肉と連動させて魔力を込めるんだ。コツを掴めば誰でもできる」
セキトは両手を広げて、頭を横に振った。あまり理解できなかったらしい。
「魔族はこれまでの常識にとらわれ過ぎている。自分たちは魔法が得意だとか魔道具の製作に特化しているとか。だけど、そんなはずはない。クリフガルーダの王都では空飛ぶ箒や絨毯が飛び交ってるんだよ。巨大な飛行船だってある」
セキトは「情報は入ってきていますが、見たことがないのでなんとも……」と苦笑いをしていた。
「今はわからなくてもいい。私がいる間に現実を見せるよ」
「現実ですか……。魔族は夢の中にいますか?」
「悪夢だね」
「魔王の魔法でしょうか」
「なんでも彼女のせいにするんじゃない。この辺りに、闘技場ってないか?」
「ありますよ。この辺に限らず、今は地方の主要な町にも仮設の闘技場があるんじゃないですかね。近衛兵が皆、引退してしまい、早急に軍の強化に入っていますから」
「……自信のない表れか」
「なにか?」
「いや、ちょっと目立ってきたね」
広場を行き交う人たちが、こちらを見て眉を寄せている。
私が着ているのは魔境でボロボロになったローブ。そんな魔族を、きっちりとした軍服を着ているセキトが警護しているのは不思議だろう。
「服を着替えるよ。夕飯の用意もしないとね」
「手配しましょう」
「いや、闘技場で稼いでくる。セキトは狩猟ギルドか冒険者ギルドで、美味しそうな魔物の討伐依頼がないか探してきてくれ」
「そんな……」
「セキト、あんまり役目や役職にとらわれない方がいいヨ」
私は屋台を引いているおじさんに声をかけて、闘技場の場所を聞いた。
誰も私が3ヵ月前に国から逃げ出したミシェルだとは気づいていない。一族と名前だけが有名だっただけ。王都付近まで行かないと顔は割れないだろう。
◇
闘技場は町外れにあり、建てたばかりの急造建築。人の入りはまばらだ。夜になれば、盛り上がるのかもしれない。セキトはまだついてきていたが、私がやることに何も言わない。
「選手として登録したいんだけど」
入口にいたチケット売りに話しかけた。
「女だからといって差別はしねぇが……、そんななりで戦えるのか?」
「久しぶりに娑婆に帰ってきてね。ちょっとだけ身体を動かしたいんだ。実入りもあると嬉しい」
「なんだ、牢上がりか。だったら、とびきりの女戦士をつけてやるよ」
初めの相手は、町随一の女戦士と言っていたが、旅の冒険者だろう。魔族には珍しく筋骨の付き具合がいい。観客席にいる仲間らしき連中から「酒場代くらい稼いで来いよ」と言われていた。
「小遣い稼ぎか」
「こんな闘技場で本気になる冒険者なんかいないよ。悪いね。一瞬で終わらせる」
「同じだ」
カンッ!
試合開始の鐘が鳴ると同時に、私は女戦士のみぞおちに拳をめり込ませていた。マキョーのようには吹っ飛ばせないが、鎧の上からでも十分気絶させることくらいはできる。ただ、ちょっと拳が痛い。次は魔力で保護した方がよさそうだ。
「次の試合を組んでくれ」
唖然としている闘技場の職員に言って、そのあと5試合組んでもらった。
人間相手の試合では魔法は使わず、最後に出てきたガーゴイルにだけ炎の槍を放っただけ。武器は杖すら持たなかった。
お金も貯まったので町でローブを新調し、小麦粉も忘れない。
店を出たところで、追いかけてきたセキトに魔物の討伐依頼がないか聞いた。初めの内は闘技場で観戦していたセキトだったが、2試合目が終わった辺りにはいなくなり、ガーゴイルを倒した時には観客席に戻ってきていた。
「なんの肉が美味いのかはわかりませんが、リストは書いておきました」
そう言って渡されたリストには、ウェアウルフやベスパホネットなど食べないような魔物もいたが、ジビエディアやロッククロコダイルなども書かれていた。
「今日の夕飯は鹿肉かワニ肉だね。人が近づかない森に生息しているのはどっち?」
「それはワニ肉の方ですが、あまりにも危険です。川の輸送が滞るほどには強力な魔物なんですから」
「そうか。近所にいたけどな。倒し方さえわかれば、そんなに強くもないだろう」
◇
日が沈む直前、ロッククロコダイルが生息する川へと行き、3頭ほど狩った。魔境と違って獰猛じゃないし、皮膚も柔らかいので、本当にロッククロコダイルなのか確かめてしまった。
「依頼とはいえ獲りすぎたな。セキジンたちにも分けてやって」
「はい。呼んできます!」
セキトに肉を持っていくという発想はないらしい。馬くらいのサイズがあるロッククロコダイルは持ち運べないのか。そうだった気もする。
結局、メイジュ王国に戻ってきた初日は、川の側で野宿することに。
焚火の前で、襲ってこない植物から枝を採取して杖を削った。パンがキツネ色に焼け、ワニ肉から肉汁がしたたり落ちる。
夜が更けていった。