【魔境前夜】
「ギョエエエエエエ!!!!!」
遠くから怪鳥の鳴き声がする。
目の前には青々とした草木が生い茂るジャングル。鬱蒼とした木々の隙間から、食獣植物が小動物を捕食している姿が見える。
空を見ると巨大コウモリのような魔物が猿の赤ん坊を掴んで飛んで行ってしまった。
地鳴りとともに、木々が倒れる音。すぐそばを大型の魔物が走り抜けていく。
呆然としていれば即座に死が待っている。
俺はただひたすらに、ぬかるんだ地面を走っていた。
なぜ、こうなってしまったのか。
農家の次男坊は手に職をつけないと生きていけない。長男の兄を見ながら、世の理不尽について考え始めたのは早かった気がする。
子供の頃は村のオババに魔法を習ってみたり、偏屈な爺に算学を習って、商人の手習いのようなこともしてみたが、どれもうまくいかなかった。ある程度までわかると、飽きてしまうのだ。なにを学んでも、教えている者以上になれないことがわかってしまったからだ。村にいる者たちは、教えている技術や知識によって自分の居場所を獲得しているのだから当たり前だ。
15歳。やりたいこともないまま家を追い出される。この時点で選択肢は限られていた。兵士になるコネもなければ、学者になる頭もない。商人の丁稚をしながら、行商人を目指すか、冒険者の二択。
たまに村にやって来る冒険者の姿に憧れた。前人未到の地や幻獣や魔獣を追い、自由に旅している者たちは、純粋にかっこいい。迷うことなく俺は冒険者を選んだ。
村から一番近い町で冒険者になり、現実を知った。彼らはほとんどが戦う技術もなく、自由とは程遠い、日雇いの労働者たち。たまに来る高ランクの冒険者に憧れるも、なにをどうすれば強くなれるのかわからなかった。結局、細々と、薬草採りや店の掃除の手伝いや、逃げ出したペットを探す仕事をこなしていた。
少しお金が貯まると、武器を揃えるわけでもなく、娼館で使ってしまう。愛想は良かったから、町での顧客も着々と出来てきた。指名依頼も増えて、冒険者ギルドでの評判もいい。だからといって、薬草採りや掃除の商売にできるほどの才覚はない。ほとんど手伝い程度なのだから。
「いつまで、この町にいるんだい?」という娼婦の言葉に、言葉が詰まることもしばしば。
冒険者が定住して仕事を始めるなら、部屋を借りて冒険者を辞め商人ギルドや職人ギルドに入るのが通例だ。
とはいえ、商人も職人も俺には向いていない。親方にボコボコにされて、追い出されるに決まっている。
腐っても農家の息子だ。
お金を貯め土地を買おうと一念発起し、3年間無駄遣いもせず、ようやく金貨5枚貯めた。その金を握りしめ、不動産屋に行き目星をつけていた土地を買おうとしたら、売約済みになってしまっていた。
他の土地を探してもらったが、金貨5枚でいい土地なんかなかった。
だんだん、自暴自棄になってきて、どうせだったら遠くの誰も俺を知らない土地に行きたい、と不動産屋で考え始めた。なんだったら、家すらなくてもいい。
自分で寝床ぐらい作ろう、という気になってきて、その旨を不動産屋のおじさんに伝えたところ、「いいところがある。ちょうど金貨5枚だ。しかも土地面積は広すぎるほど広い」と紹介されたのが、町からはるか遠く、山と崖と海に囲まれた森だった。
行くだけでも一苦労で、ほとんどが前人未到の土地で、あまり情報は無い。
「そこにする!」
そう言ったのは、失うものが何もないと考えていたからだ。
このまま、この町に定住して仕事らしいことを始めても、飽き性の俺はすぐ辞めてしまうだろう。かと言って、またお金を貯めようという気にはならない。
買える土地があるだけ幸運だったと思って、そこに決めた。
荷物をまとめ、最低限生活が出来るだけの道具と開拓に必要そうなコンパスやロープ、鍬、斧などを貰ったり、買ったりして集めた。本当は奴隷を買って、イチャイチャしながら行きたかったのだが、そんな金はない。
土地を開拓して、町で特産品を売って、奴隷を手に入れることを目標に、大きなリュックを背負って、旅に出た。
ほとんど、町から出たことがなかったが、野宿は慣れていたし、魔物への対処も冒険者ギルドの講習で習った通り、ヒットアンドアウェイを繰り返し、なんとか一番弱いビッグラットというネズミの魔物を倒すことが出来た。
旅に出て3日目。
王国の兵士たちと街道をすれ違った。
自分たちと逆方向に行く俺が珍しかったのか、兵士の一人が声をかけてきた。
「どこに行く? この先は我々の訓練施設くらいしか無いはずだが……」
「この先の土地を買ったんです」
「土地? そこは我がエスティニア王国内の土地か?」
兵士は腕を組んで眉間に皺を作って聞いてきた。
「ここなんですけど…」
俺が地図を見せて説明すると、兵士は驚いたように目を丸くした。
「ここは、ほとんど人が踏み入ったことがないような魔境じゃなかったか?」
「たぶん、そうです」
「君は冒険者か? なるほど前人未到の土地を買うとは冒険者の鑑だな。良かったら冒険者カードを見せてくれないか?」
冒険者カードというのは、冒険者ギルドに入ると渡されるカードのことで、自分のランクが記載されている。ランクが高くなればカードの素材や色も変わっていくはずだが、俺は一度も変わったことがない。レベルやステータスなどもお金を払えば教えてくれるサービスもあるらしいが、使ったことはない。そもそも、自分のステータスを知ったところで、薬草採ったり掃除したりするのに、役立つとは思えなかった。
兵士は俺のカードを見て、あからさまに「大丈夫かよ」という顔をしたが、何度か頷き「夢を持つことは重要だよな」と肩を叩いてきた。
「自分の土地に行く前に、訓練施設の近くの森に入るといい。少しはサバイバル術が身につくだろう」
「はぁ、ありがとうございます」
兵士はそう言うと、先を行く兵士たちに合流して、他の兵士たちとこちらを見て笑っていた。いつか見返してやる。なにで見返すかは、まだ不明だが。
その日は、訓練施設の近くまで行き、野宿。夜、夢を見た。
大きな建物や、鉄の乗り物に乗り、きれいな部屋で、絵が映る板を前に何かを調べている夢で、小さい頃から、何度となく見ている。夢の中で俺はとんでもなく生活水準の高く、鉄のパイプから水がいくらでも出るような生活をしていた。
村のオババは「お前は前世の記憶がそのまま残っているのかもしれない。自分の夢をちゃんと覚えておいた方がいい。いずれ役に立つかもしれないから」と言っていた。オババに言われた通り、俺は夢の細部を記憶しているが、今のところ役に立った覚えがない。意味がない気はしているが、それくらいしか人と違うところがないので大事にはしている。
翌日、兵の訓練施設の脇を通り、森に入る。
あまり魔物と出くわすことはなかったが、ワイルドベアという大きな熊の魔物がベスパホネットという巨大なハチの魔物と戦っているのが見えた。最低ランクの冒険者である俺が戦えるはずもなく藪の中に身を潜めて見守っていると、双方ともに徐々に疲れてきたのか、動きが悪くなった。
ワイルドベアが振りかぶった鋭い爪が、ベスパホネットの胴体と頭を切り離し、戦闘終了。ベスパホネットの亡骸を放置し、ワイルドベアはよろよろと立ち去っていった。単純な縄張り争いだったようだ。
俺は藪から出て、ベスパホネットの亡骸から、羽や複眼のレンズの他、体内に残っている魔石を取り出す。魔石は全ての魔物の中にあり、魔物特有の性質がある。
ベスパホネットの魔石は毒の効果があるはずだ。魔石で練られた魔力を使うことで、獲物を捕食したり、身を守ったりする。ちなみに人間が魔力を使う時は自然の中の魔素を集めて使うので、魔石が体内に入っていることはない。
ただ、魔族と呼ばれる者達は、皆体内に特有の魔石を持っているのだとか。
100年以上前の戦争で人間側が勝利し、魔族はどこか遠くへ逃げて行ってしまったと言われている。
ベスパホネットの亡骸の腹部には針がない。ワイルドベアに刺さっていたとしたら、今頃、苦しんでいる頃だろう。死骸を土に埋め、当たりを見まわってみるとワイルドベアも近くで倒れていた。ベスパホネットの針がワイルドベアの脇腹に刺さっている。非常に固い毒針なので、初心者の冒険者の武器にもなる。
針の毒が全身に回っているためか、ほとんど虫の息だったため、斧で頭をかち割った。針は回収。良いものを手に入れた。
ナイフで、ワイルドベアを解体していく。毛皮と肉も手に入り、幸先が良い。
魔物の解体は、お金を貯めていた3年の間に肉屋での依頼の時に嫌というほどやったので、問題はない。美味しい肉の部位も知っている。
さらに、ワイルドベアの胆と魔石を取り出した。胆は薬の材料になるし、魔石は身体強化の性質がある。
毛皮を軽く鞣し、肉を持てるだけ持って、森を抜け、自分の土地に向かう。
丸3日、歩き続け、ついに自分の土地に辿り着いた。