君と夏祭り 【破】
目の前に広がる闇の中に、忽然と一軒の「金魚すくい」の屋台が浮かび上がった。
スポットライトで照らされた芝居の大道具のようにも見える。
「わ!? びっくりした……。金魚すくい屋さん?」
驚きに心臓がバクバク鳴っていたけれど、私はホッと安堵していた。
きっと暗がりで店を開く準備でもしていたのだろう。
裸電球の明かりの下に水の張った白いシートがあり、金魚が泳いでいるのが見えた。
屋台にいる店主さんは一人。顔には白い「狐のお面」を被っている。
若いのか年寄りなのか、あるいは男か女かさえ分からない、大昔の中国の賢人が着ているような不思議な長い丈の衣服を身につけて、キツネ耳の内側が鮮やかな赤に塗られているのが、やけに印象的だった。
最初に光った二つの輝きは、キツネの面に光が反射しただけなのだろう。そう考えて私は自分を納得させた。
けれど、そこで疑問が次々と浮かぶ。
こんな人気の無い場所で屋台なんか出して商売になるのかな? お客さん来るのかしら? と。
けれど、そのうち他の店も開くんだよ……。
少しおかしいとは感じつつも、私はいつもの楽天的思考を稼動させ、納得する。
「キミ、金魚を救ってみない?」
キツネ面の店主さんは、静かな声で私を招いた。
手には「ポイ」つまり、白い紙の張った輪っか状の道具が握られている。
「いえ……その」
「遠慮はいらないよ、キミしかいないんだ」
「あ、……はい」
私は気がつくと、魔法で引き寄せられるように闇の中へと足を踏み出し、明かりを灯した金魚すくいの屋台へ進んでいた。
急に、周囲の音が遠ざかった気がした。
祭囃子の音や笑い声は確かに聞こえている。けれど何か透明な膜の内側から聞いているみたいな感じに変化していた。
私は後ろを振り返る勇気が無かった。
静かに闇のトンネルを進み、屋台へと近づいてゆく。
暖かい裸電球に照らされた金魚すくいの屋台は、どこも変わったところは無かった。屋根の「金魚すくい」の太い文字、ビニール袋、すくった金魚を入れるお椀、お祭りで見かける普通のお店に見えた。
狐面の店主さんさんだけがちょっと変わっている。
「……ひと勝負、してくださいよ。どのみち……最後の夜だ」
不思議なイントネーション。言葉を区切る変なしゃべり方。外国人だろうか?
何故か声はどこか、悲しそうにも思えた。
「最後?」
私は「キツネのお面」をつけた店主さんをチラリと見て、それから足元の小さな水槽に視線を下ろした。
木枠に白いビニールをかけた水槽には無数の金魚が泳いでいた。
フラフラと尾びれを揺り動かして、小さな赤い金魚が元気よく沢山泳いでいる。全て和金と呼ばれるフナみたいな金魚だけど、沢山泳いでいるだけでわくわくと胸躍るものがある。
最後、というわりには魚の数は多い。
ほとんど手付かずで残っているみたいな状態で泳いでいる。
「あ……! デメちゃん……」
赤い金魚の中で一匹だけ、黒い小さなデメキンがフラフラと泳いでいた。何故だかとても気になる。
「そう、この子を救ってあげてよ。……でなきゃ、終わりだから」
仮面をつけた店主さんの表情は見えないけれど、静かな迫力を秘めた声で言った。
――終わり、最後、すくう(救う?)。
いちいち妙に気になる言い回しをする人だ。
私は抗えない力に突き動かされるように「ポイ」を手に取った。
「あの、お金……」
ごそごそと浴衣の帯の脇にぶら下げたポーチを探る。300円、あるいは500円だろうか?
すると店主さんは、すっと真っ白な手を差し向けて、私を押しとどめた。
まるで本物の白狐が化けたのかと思うような細く白い指先にドキリとする。
「お嬢さん。お金、いらない。もらっても、意味が無いから……」
「意味が無い? どうして?」
「言ったでしょ。今夜で終わりだって。キミが運よくここを見つけてくれた。けど、このままだと、おそらく……最後だから」
「お祭り、終わりだから?」
一瞬の間、気がつくと風が止まっていた。
「……『お祭り』。そうだね、キミたち、人類というお祭りの……終わり」
ジリッ……。
一瞬、キツネ面の店主さんが揺らいだように見えた。電球が明滅し驚いて見上げると、裸電球に一匹のガがまとわり付いて、パタパタと音を立てている。
ガはやがて何処かへ飛んでいった。おそらく光が揺らめいたのはそのせいだ。
私はさっきから店主さんが話す意味が、わからなかった。
こんな場所でお店を開いて、おまけに店主さんが怪しすぎて金魚が売れ残ったのかもしれない。
けれど、悪いひとでは無いみたいだ。一匹すくったら10万円! ……なんてことは言わないと思うし。
私は意を決し、赤い茶碗を受け取ると、金魚すくいをすることにした。
「ボクじゃ、干渉が出来ない。この星に住むキミじゃないと無理なんだ。未来を救うのはキミたち自身でないと」
星を、救う? 未来?
狐面の店主の話しっぷりは、大人と言うよりも幼い子供のようにも感じられる。
諦めと、微かな期待。言葉の端々にそんな不思議な雰囲気を漂わせる店主さんさんに、私はポカンとして、思わず聞き返した。
「あの……、さっきから何を言っているかわからなくて……。日本語、わかります?」
「……救うのは、ボクの願いでもあるんだよ。長い間、この星にお世話になっているからね……」
「星?」
「そう、セカイ、と呼んでもいい」
コクリ、とうなづく。
――ダメだこりゃ。
私は金魚すくいに集中することにした。
一発で終わらせて、帰ろう。
狙いは、フラフラ泳いでいる黒いデメキンだ。赤いのはなんとなく違う気がした。
店主さんが、息を飲んで見守っている気配。
ポイの先端が水に触れ、波紋が水面に幾重もの輪を描いた次の瞬間、私の目の前に信じられない光景がひろがった。
水槽の向こうに、暗黒の宇宙が見えた。
水槽が漆黒の闇を四角く切り取った窓のように変化し、銀河のような渦巻きと無数の星々が瞬いている。
「――えッ!? は……!? な、何これ!?」
私は腰を抜かし、素っ頓狂に叫んでいた。
思考は停止、理解の範疇を完全に超えている。
私――金魚すくいをしていたハズだよね!?
そして、驚きが畳み掛けてくる。赤い金魚だと思っていたものは全て、紡錘型の宇宙船に変わっていた。
一昔まえのSF映画に出てくるような流線型の形、色はくすんだ赤。数え切れないほど無数の宇宙船が、暗い星空を背景に見渡す限り縦横に陣形を組んで、三次元の奥行きと広がりを持って並んでいる。
――宇宙艦隊!?
私の脳裏にそんな言葉が過ぎった。
赤い宇宙船の表面には、人工的な凹凸や溝、クシクラゲのような無数の明かりが点滅していた。大きさは比較するものが無いので、判らない。
一隻一隻の見た目は、どことなく金魚を連想させて可愛らしいような……。
「ななな、何これCG!? 水槽の下にTVとか仕込んでるの!?」
「……キミは、承認された。銀河超空間ネットワークの一端末に、接続した。認識できるかな? 地球人類の生体脳の認識だと……『金魚すくい』のままかもしれないけれど」
淡々と中二をこじらせたような事を言いつつも、小ばかにしたような語尾が腹立たしい。
と、小惑星のような星がわたしの頭を掠めていった。
「ひゃ!?」
表面にクレーターのついた岩塊が、3D映画のように私の頭上を飛び越えて、赤い一隻の宇宙船に近づいてゆく。
小惑星はテレビの宇宙特番で見た「イトカワ」という小惑星星に似ている気がした。
「……あっ! ぶつかる!?」
次の瞬間、銀色の糸のような光が発射されると、ワンテンポ遅れて小惑星が内側から光を発し、音もなく粉々に砕け散った。
破片が飛び散るけれど宇宙船は無傷。ギラギラと船体を包むバリアフィールドが輝く。
前言撤回。可愛いどころか極悪な宇宙人の宇宙戦艦だよ!?
小惑星はクレーターのサイズから考えても10キロメートル以上もある大きさだった。ということは……赤い宇宙船は、一隻がそれぞれ100キロメートルを超えるスケールを持っている計算になる。
それが、数千、いや数万、あるいはそれ以上の陣形を組んでどこかへ向かっていた。
何処へ? という疑問はすぐに解消した。
黒い出目金だと思っていたものは、太陽系だ。
太陽圏と呼ばれる太陽風と銀河風の衝突する境界面、すなわち銀河衝突境界が、まるで黒い金魚のように見えていたのだ。
目を凝らすと、太陽風の揺りかのような中心付近には、青く輝く星が見えた。
私たちの住む――地球だ。
見えるはずは無いのだけれど、何故か直感で「そうだ」と理解できた。
そもそも花のJK(笑)である私の知識に「太陽圏」だの「ヘリオポーズ」なんていうものは無い。
銀河なんちゃらネットワークとかから、知識や認識が流れ込んできているに違いない。
「ききき、金魚すくいって、これが!?」
私は店主さんに聞いてみる、一応、念のために。
「君だけが、この地球を救える。黒い『デメキン』が銀河内における地球の相対空間座標を意味する。赤い金魚はすべてプロキシオン星系の地球殲滅宇宙艦隊。これが……君のやるべき『金魚すくい』」
「はい!?」
私は後悔した。
ここで白目を剥いて失神できたら……どんなに楽だろう?
<つづく>