Doomsday clock 三六時間
陽の光で満たされる大地を進む五つの人影。彼らはエクレールへと歩を進めていた。
「見えてきました」
先頭で進んでいた神父服を着た男、コルベが小さく口を開いた。その視線の先に広がっているのは、瓦礫の山と成り果てたエクレールの無残な姿であった。
「あの地下深くに、我々が求めている物があります」
行きましょう。後ろを歩く四人をそう促し、再び五人は歩いて行った。
◆
瓦礫の山を登りながら地下への入り口を目指すコルベ一行。
かつての城の瓦礫を退かし、五人は漸く地下への入り口を探し当てた。
「此処です」
階段が闇の中へ続いて行く。エクレールが瓦礫の山となっているのに対し、その入り口には全く損傷が無く何らかの魔法によって守られていた事が窺える。
「皆さん、入る前に、私は皆さんに言わなくてはいけない事があります」
全員の視線が神父に集まる。皆の表情は真剣なもので、覚悟を宿した瞳であった。
これを言えば、きっと皆さんは私を憎み、軽蔑し、その怒りを向けるだろう。そして、もしかしたらこの計画も失敗するかもしれない。
しかし、それでもコルベは、言わなくてはいけない事だと感じた。
「私は…皆さんの、エクレールの…いや、この世界の敵なのです」
「…しん、ぷ…様?」
「―――私は、エクレールを襲った者の、仲間です」
その言葉に驚愕から一同の表情が歪む。その言葉を受け取れず、嘘であってほしい、信じられない、そんな事ばかりが一同の頭を巡る。
「…嘘、でしょう?だって神父さん、そしたら俺達にこんな――――」
「本当のことです」
そう断言する神父の顔は冷静なものであった。
「これは事実です。私は、皆さんの敵の―――仇の一人です」
「そんな……」
ショックから、動けなくなる。たった一人を除いて。
「嘘だよ」
何時もと変わらない声色で、放たれる声。
「それは嘘だよ、神父様」
そう言ってコルベへと近付いて行くミーナ。誰も彼女を止める事が出来なかった。ミーナは静かに、コルベへと歩み寄って行く。
「もしそうだったら、神父様は私達にこんなことを教えないし、そんな表情だってしない」
ミーナの言葉に神父の表情が驚愕へ変わる。自分の表情は何処かおかしかったか、そんな表情をしていたかと。
「神父様が何かおかしかったのも、嘘を吐いてたのも知ってたよ。それが何かは分からなかったけど…」
この時コルベは、自分の仮面が崩れていく音を聞いた。
「でも、神父様は何時だって私達に優しくしてた。本当の親みたいに皆に接してた。それはきっと嘘じゃないって、分かるよ。神父様は分かりやすい人だから」
そう言ってミーナは優しく微笑む。それはコルベにとってあまりにも眩しく、自分の醜さが浮き彫りにされる。
「私は、そんな崇高な人間ではありません」
無為な争いで死んでいった子供たちを生き返らせたい。その願いだけを見れば、崇高と言えるのかもしれない。けれど、その為に自分は多くの者を殺して行った。自分の願いを叶える為の糧とした。
俯き、目を伏せるコルベの頬を、ミーナの手が撫でる。
「そんなことない。少なくとも、私達にとって神父様は十分気高い人だよ」
「違います!私はただ…自己満足の為に、貴方達を養っていたも同然でした」
「嘘だよ。そんな人は、こんな表情なんて出来ない」
頬を撫でる手は、なによりも温かく、優しい物にコルベは感じた。
何時からだったのだろうか。
彼は自分が涙を流している事に気付いた。
「確かに、神父様のやったことは許される事じゃない。けど、絶対に許されない罪はないって神父様自身が何時も言っていたことだよ」
その言葉は、彼の中で大きな波紋となる。
「私は―――ッ!!?」
口を開こうとした時、神父の額に痛みが走る。目を開ければ、そこには小さく笑うミーナがいた。
「大人が子供みたいに泣かないで下さい。今のは、私なりの罰し方です」
そう言って神父から離れるミーナ。周りを見渡せば、他の面々も呆れていた。
「戻ったら思いっきり殴りますから」
「それだけでは足りません。これからは私の仕事を手伝ってもらいしょう」
「それじゃあ私の剣の試し切りに手伝ってもらおう」
「それは止めた方が―――」
自分への罰を提案する浩太達を見て、コルベは呆気にとられる。何故彼らは自分を責めないのか。
「皆さん…なぜ……?」
その言葉に、代表してミーナが答えた。
「皆、神父様が大切だから、自分への後悔で苦しんでる神父様を責める事なんて出来ないよ」
甘いと言われるのかもしれない。平等ではないと言われるのかもしれない。それでも、彼女達にコルベを責める事は出来なかった。
「後で、皆に謝ってもらうから」
「……ハ、ハハ……」
その言葉を聞いて、神父は笑う。
「ええ。……ありがとうございます」
それは仮面の着いていない、何処か晴れ晴れとした表情と共に放たれた言葉だった。それに、一同小さく笑う。
「皆さん、この下にあるものは大変危険な物です。くれぐれも、気を付けてください」
「神父さんは?」
「私は此処に来るであろう敵を迎え撃たなくてはなりません。不安ですが、下には貴方達だけで向かって貰わなくてはいけません」
全員が緊張した面持ちでコルベの話しを聞く。
「下には私の仲間がいます。その者に話しをし、後はその者の指示に従って下さい」
そう言って浩太達を送り出すコルベ。浩太達は不安げな表情を見せるが、それも一瞬だ。
「気を付けて」
そう言って、皆階段を下りて行く。
「ミーナ」
最後に降りて行こうとしたミーナに背後からコルベが声を掛ける。
「なんですか?」
「貴方には辛いことが待っているでしょう。最後の判断は、貴方に任せます」
その言葉の意味が分からず、ミーナは小首を傾げる。しかし、きっとそれ程に大きな事なのだろうと、ミーナは一層気を引き締める。
「分かりました」
そう言って下りて行くミーナを見送り、コルベは胸の前に十字を書く
「皆様に幸あれ」
そう呟きコルベは前を向いた。
◆
それは果たして本能的な物だったのだろうか。
放つ瞬間の身に浮き彫りになった殺意。そしてまるで矢のようにして放たれた剣は、轟音を奏で標的へと着弾する。
そして僅かに遅れて着地する一つの人影。
「…………」
黒い髪を持ち精悍な顔つきの男、シグルズは大地に突き刺さる悪滅の断罪刃を抜くと周囲を注意深く見渡す。
「はっ」
シグルズは小さく笑うとその場から跳び下がる。それと同時に、轟音がその場を支配する。
「どうした、来ねえのか?…それとも」
砂煙の中、その場所に立つ人影に向けてシグルズは笑う。
「来れねえのか?」
そこには右腕を失った響夜の姿があった。響夜はその言葉に何も答えずシグルズと距離を取る。
「神殺しの鎖」
響夜の背後に展開された方陣から視界を埋め尽くす量の鎖が展開される。それらはまるで生きている蛇であるかのように動きシグルズへ駆けて行く。
「舐めてんのか?」
迫る鎖を前にシグルズはその余裕の笑みを崩さない。
剣を一振りする。それだけ目前にまで迫っていた鎖が砕け散る。二振り目で周囲の大地ごと鎖の蛇を吹き飛ばす。
鎖は標的を見失い周囲の大地に突き刺さって行く。
「舐めてんのはテメェだ」
シグルズの周囲は鎖によって囲まれる。その鎖の上に乗りながら響夜は笑う。それとほぼ同時であった。
「ッ!!」
「あ?」
シグルズの背後に突如現れたグローリアがその背中を蹴る。油断していたシグルズはその攻撃を躱す事が出来ず、その体制を崩す。
「―――ラァッ!!!」
その瞬間にシグルズの脳天目掛けて響夜は踵落としを放つ。しかし―――
「甘く見てんじゃねえぞ?」
踵落としを放った響夜の足に痛みが走る。見れば、シグルズの全身が毒々しい紫色の竜鱗で包まれていた。
「っち―――」
「どうした、掛かって来いよ。神器が無けりゃあ何も出来ないのか?」
追撃が来るより早くその場から跳ぶ響夜。シグルズはそれを追いかける事はなくその場で挑発する。
「俺の武器が神器だけだと思うなよ。グローリア!」
その言葉と同時にシグルズと響夜の間にグローリアが入る。
「沼に落ちし者たちよ 目を覚ませ 光を失い盲目になりし者たちよ 我が声を聞け」
詠唱。シグルズには一体何が起きるのかは分からなかったが、それが不味いものだと言うことは分かった。脚に力を込めまるで暴風の様に響夜へ疾走する。
「汝等、かつて神より恥辱を受けし者たちなり 汝等が身は煉獄の炎に焼かれ燃え盛る」
その間に入ったグローリアが結界を張り阻止しようとする。しかし、主である響夜から力を貰っているグローリアと元々の能力が遥かに高いシグルズではその差は歴然であった。
「汝等が慟哭を神は聞き入れはしない 汝等、それを良しとするか」
無数に張った結界が一枚、また一枚と破られて行く。しかし、一枚ごとに破られて行く連れ結界の強度も上がって行く。最初は数瞬であった破壊が、数秒へと変わる。
「騎士たちよ剣を取れ 己が縛鎖を断ち切るのだ 今こそ我等が征服する時なり この黄昏に汝等が剣を突き立てろ!」
「泣き喚け、悪滅の断罪刃!」
構っている時間はない。
吐きだされていく世界を感じ、シグルズは神器を完全に開放する。それによって、残っていた結界全てが吹き飛ばされる。シグルズは構っているのが惜しいとグローリアの頭上を飛び越え響夜に肉薄した。
「怒りの日――慟哭の英雄物語」
しかし、もう遅い。世界は一瞬にしてその姿を変えた。
黄昏に包まれた世界の中、響夜に向けられた刃が止まる。地面から、空から現れた骸の戦士達がその身を挺して主を守ったのだ。
「ぐぅ!?」
突き立てられた刃によって生じた痛みがシグルズを襲う。
この竜鱗を持ちながら傷を負ったのは随分久しぶりだ。
「やるじゃねえか!」
周囲に展開していた骸の兵士を吹き飛ばしシグルズが後退する。それと入れ替わる様に響夜の傍に控えるグローリア。
「焼き尽くす劫火の剣」
その言葉と共に響夜の左手に剣が現れる。それは響夜が触れると同時に響夜の身体を燃やしていく。
剣の切先をシグルズに向け響夜は言葉を放つ。
「来いよ英雄。化け物殺すのがお前等だろう?」
その言葉にシグルズは自身が熱くなるのを感じた。まるで全身の血液が沸騰しているかのように熱い。
「あぁ……良いぜ」
シグルズと呼応するように禍々しい魔力を発する魔剣。シグルズはその切先を響夜へ向ける。
「気持ち良く逝かせてやるよ、鳴神響夜」
それはほぼ一瞬のことだった。迫っていた骸の兵士を全て斬り伏せ、シグルズはその剣を響夜へと届かせようとしていた。
―――――ガキィィィン!
しかし、響夜とシグルズの間に張られた結界によってその攻撃は響夜を目前にして再び防がれる。そして結界が切り裂かれる前に響夜はシグルズと距離を取る。
「邪魔すんなよ」
グローリアを睨み付けるシグルズ。その瞳は竜そのものであり、睨まれたグローリアの身体が固まる。その瞬間にシグルズはグローリアをその刃の贄にすべく動こうとした。
「させると思ってんのか?」
それを邪魔するように現れる骸の兵士と無数のギロチンの刃や銃火器。それらの不意を突いた攻撃を全て躱すシグルズ。その動きは先程とは大きく違っていた。
「だったら俺を夢中にさせるこったなぁ!」
空中から繰り出された魔剣による刺突。それは骸の兵士の隙間を縫い響夜へ到達する。その攻撃を左側へ倒れる様にして躱す響夜。シグルズの魔剣は空しくも、腕のない右袖を突き破るだけであった。しかし、その直後異変が起きた。
「ブッ刺せやぁ!」
もぞもぞと右袖が動いた瞬間、中から鎖が飛び出した。シグルズは急いで距離を取ろうとするが、虚を突かれた為に素早く動けず、その身体を鎖が突き刺す。
「が、ああぁ!!」
急所を護りながらシグルズは身体に突き刺さった鎖を破壊する。しかし破壊した先、そこには剣を振り下ろそうとする響夜の姿があった。そして背後に現れる骸の兵士たち。
「くっ!」
前転するように、竜鱗で守られた身体を使い響夜の一撃を受けながらも転がって直撃を回避する。
「お返しだぁ!」
転がったシグルズは素早く立ち上がると反転して響夜へ斬り掛かる。させまいと響夜の背後に骸の兵士が現れるが、シグルズはそれを踏み台にし響夜へ飛び掛かる。
「視えてんだよォ!!」
響夜は振り向き剣を構える。シグルズの剣はそれとぶつかり軌道がズレ響夜の右肩に突き刺さった。
「――――ギ、ィ!!!?」
苦しむ声を上げる響夜の顔を鷲掴みにしシグルズは大地へ叩き付ける。
「――――…か…はっ、ぁ…」
大地に罅が入る。しかし、シグルズはそれで攻撃を止める事はなく、何度も地面に叩き付ける。響夜を助けようとグローリアは動こうとする。
「弱者が割り込むんじゃねえ!!」
しかし、シグルズの怒声と響夜が人質に取られていることから動きを止める。
そして轟音と共に響夜の世界は崩れ落ちた。
「どうしたどうしたぁ!!?その程度か鳴神響夜ぁ!!!」
宙に浮かぶ響夜へと振り下ろされようとする魔剣。
<焼き尽くす劫火の剣>
しかし、それは空から振り下ろされた剣によって阻まれた。焼き尽くす劫火の剣は数瞬の拮抗の後、紅蓮の炎を振りまいて消えて行った。
「…はぁ…はぁ…はぁ」
震える両足で地面に立ちながら響夜はシグルズを睨み付ける。その瞳に宿る炎は未だ健在であり微塵たりとも衰えてはいない。
Access(回路接続)―――Jotunheimr(忌むべき巨人の王)
響夜の呼び掛けに応じ現れる死神。それを見てシグルズは凶暴な笑みを浮かべた。
「そうだよ、それでいい。本気の一振りだ――――いくぞ」
そう言ってシグルズは今迄よりも、更に速く駆ける。そのシグルズを捉えた死神は鎌を振るう。
その交差は一瞬であった。
死神の鎌はシグルズの魔剣とぶつかり、砕かれる。そしてその勢いのまま、死神はシグルズの一刀のもとに斬り伏せられた。
そのまま響夜を押したすと剣を突き立てるシグルズ。
―――パァン!
一発の号砲が辺りを木霊する。まるで時が止まった様に動かない。
「が…は……」
ビシャビシャという音がし、硝煙の臭いにまぎれて僅かな鉄の臭いがする。
剣は、響夜の頬を裂き、大地に突き刺さっていた。そしてシグルズの胸に突き付けられた銃。その銃口の先は血で濡れていた。
「痛てぇな……これが痛みか…」
血を吐きながら、言葉を紡ぐシグルズ。
「お前の…負けだ」
宣言するように響夜は言った。
「ああ、俺の負けだ…」
そしてそれを受け入れるシグルズ。
「もう十分だ。…もう十分に俺の願いは叶った…」
震える指先で、シグルズは自身の剣を指す。
「俺の、誇りだ。どうせ神器が使えねえんだろ…?持ってけ……」
次第にシグルズの動作が遅くなる、やがてその瞳は閉ざされ―――
「楽しかった…ぜぇ…」
動かなくなった。