旦那の事情
おかみの料理の腕はそこいらのコックにも劣らないという評判で、白馬亭の食堂はいつも大賑わいだ。
夜は特に目の回る様な忙しさだったので、一晩ぐっすり眠って疲れを癒したソフィーは手伝いを買って出た。
初めは皿洗いをしていたが、ホールにもかり出されて、注文を取った。
真夜中近くなって、一人の初老の男がカウンター席に座った。
年齢のわりに引き締まった体格をしており、眉間に寄った皺ときつく結ばれた口元のせいか、お世辞にも愉快とは言い難い様子である。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか」
ソフィーはおかみから言われたとおりに笑顔を作ったが、男の鋭い眼光を向けられて一瞬ひるんだ。
何か文句を言われるのではないかと身構えたが、男はすぐにソフィーから視線を逸らした。
「麦酒と枝豆をくれ」
男は、咳払いをすると、唸るような声で言った。
「かしこまりました。麦酒は先にお持ちしますか」
小さく頷くと、男はまた咳払いした。
「あんた、いつからここで働いているんだ?」
「今日からです。一週間、こちらにお世話になることになることになりました。ソフィーといいます」
男が何か言いかけた時、厨房からおかみがソフィーを呼ぶ声が聞こえた。
「あ、失礼します。どうぞ、ごゆっくりしていってください」
少女はちょこんと頭を下げて、慌てて奥へ引っ込んだ。
「ステーキが焼けたから持ってとくれ」
「はい。かぶのスープひとつと枝豆ひとつお願いします」
ソフィーが注文を告げると、おかみは顔を上げた。
「おや、珍しい。もう来たんだね。枝豆頼んだのは、おっかない顔したおやじだろ?」
「はい。でも、なんだか見たことがあるような」
ソフィーが首を捻っていると、おかみは大きな口を開けて笑った。
「おや、気付いたね。あいつは、コリンの父親さ」
「おかみさんの旦那様だったんですね」
「ああ、そうさ。ジョージっていうんだよ。頑固な鍛冶職人でね。いつも遅くまで働いているんだ」
雰囲気が正反対だから気付かなかったけれど、よく思い返してみれば、目元がよく似ている。
ソフィーは、差し出された大皿を受け取りながら、会得したように頷いた。
「他にご注文はありますか、旦那さん」
ソフィーが元気よく呼びかけると、ジョージ・シルバーは驚いたように顔を上げた。
「ああ」と返事をしたきり、逆さまのメニューを見つめている。
変な人だと思っていたら、後で理由が分かった。
昔馴染みの常連によると、ソフィーは、おかみの若い頃によく似ているらしい。
照れ屋なジョージは、看板娘だったおかみ見たさに白馬亭に通い、その度に逆さまのメニューを眺めていたそうだ。
次の日もやってきたジョージは、ソフィーを見ると、険しい表情を一瞬和らげた。
おかみが大笑いしてキスすると、無愛想な亭主は真っ赤になった。