楽園
――僕たちは『楽園』を見つけた。
『そこ』には何も無かった。
いや、正確には古ぼけたボロボロのベンチが三脚あった。
後は何も無い。
本当にそれだけ。ベンチ以外は何も無かったんだ。
でも、僕たちにはそれで充分だった。
僕たちは『そこ』を見つけた日から入り浸るようになった。
『そこ』には屋根すら無かったから、晴れた日はみんなで集まって日向ぼっこ。雨の日は多分誰も『そこ』には行かなかった。
ある日、僕と一緒に『そこ』を見つけた仲間が言った。
「ここは楽園だ」と。
確かにそうだ、と僕たちは思った。
そしてその日から僕たちは『そこ』を『楽園』と呼び始めた。
何もない。
何もしなくていい。
何も望まれていない。
苦しみも、
悲しみさえも無く。
あるのは、
穏やかな太陽の日差しと、
緩やかに吹く風と、
古ぼけたボロボロのベンチ。
それと僕たち。
それだけで充分だ。他には何もいらない。
だってそうだろう?
こんなにも満ち足りているのに。
こんなにも幸せなのに。
辛すぎる苦しみも、
泣きたくなるような悲しみも、
寂しすぎる孤独も、
この『楽園』には存在しない。
この『楽園』には頭の固い大人たちが作ったルールも届かない。
僕たちの
僕たちだけの
秘密の『楽園』。
僕たちはその場所で、誰にも迷惑にならないように気をつけながら、静かに、古ぼけたボロボロのベンチに寝転んで、青く澄んだ空を流れる雲を眺めて過ごした。
ずっとこんな日々が続けばいいと思った。
ずっとそんな日々が続くと思った。
ずっと……
ずっと……
……だけど、
『終わり』と言うものは常に唐突にやってくる。
その日も昨日と同じように僕たちは楽園へ向かった。
いつもと同じ気持ちで。
ところが、僕たちの方はいつもと同じ気持ちでも、楽園の方はそうではなかったらしい。
いつもと同じのいつものベンチ。
そこには知らない誰かが寝そべっていた。
誰にも話していないはずの僕たちの聖域にズカズカと土足で踏み込んできた侵入者は、僕たちに気づくなり言った。
「やあ。君たちもここを見つけたのかい? ここはいい所だね。うん、天気もいいし、実にいい」
僕たちは嫌な予感を胸中に感じながら言った。
「はい。僕たちはここを楽園と呼んでいます」
侵入者は、まるで自分が楽園の主となったかのように言ったものだ。
「楽園、ね。まさにこの場所はそう呼ばれるに相応しい。そうだ。この楽園を他のみんなにも教えてあげよう」
嫌な予感が的中してしまった。
それは決して僕たちが望まなかったもの。
望まなかった楽園のカタチ。
僕たちだけの僕たちの秘密の楽園は、今、そのカタチを変えようとしている。
僕たちの顔色があまりよくない事に気づいた新しいカタチの楽園の主は、
「どうしたの? まさか、君たちはこんなに素敵な場所を秘密にしておくつもりなのかい? それは自己中心的な考えだな。こういうことはやっぱりみんなで分け合わなくては」
僕たちは何も言えなかった。
言えるはずがない。
言えるはずもない。
言っている事は向こうが正しく、楽園を独占しようとしていた僕たちが一方的に悪いのだから。
――そして、その次の日から僕たちの楽園は、僕たちの手を離れ、『みんな』の楽園になった。
人が一人、また一人と増え、
雨風や強い日差しを遮るために屋根が作られて、
古ぼけたボロボロのベンチは修理され、ペンキを塗りなおされてピカピカになって、
人が増えてベンチが三脚じゃ足りなくなったので何脚かベンチが新しく追加されて、
誰かがラジカセを置いていき、音と言えば、風の音と僕たちの声しかなかった楽園に音楽が流れ始めて、
何もかもが変ってしまった。
変り続けるこの世界で、唯一変らないものがあるのだと思ったのに。
そう信じていたのに。
楽園は僕たちが思った以上に脆弱で、その崩壊は僕たちの想像以上に早かった。
あの日、僕たちが寝そべって、流れる雲を眺めたベンチには恋人たちが座り、肩を寄せ合っている。
あの日、僕たちがふざけてじゃれあった場所にはスポーツで汗を流す若者たち。その隣では様々な楽器をみんなが持ち寄り、小さなコンサートが開かれていた。
その様子を、まるで夢の世界の出来事のように見つめていた僕たちの脇に、今や名実ともに楽園の主となった最初の侵入者が立って言った。
「どうだい? みんな楽しそうだろう? ここは昔、君たちだけだった時と違い、活気と笑顔に満ちている。本当の楽園とはこういうものの事を言うんだよ」
そうだ。
ここは楽園だ。
みんなが楽しく、笑顔でいられる場所。
そう。これが楽園の本当の姿。あるべきカタチなのだ。
楽園は一部の人間に独占されるものじゃない。
そんな事は分かっている。
でも、
でも、これは、僕たちの望んでいたものじゃない。
『みんな』が、
『あなた』が望んだものだ。
大きすぎる全体。
小さすぎる個。
正当な全体。
間違った個。
その事を僕たちは知っているから。
『あなた』が正しい事を知っているから。
認めつつも納得する事が出来ない己の矮小さ。
心の内に見えない陰となって潜む矛盾。
苦しみのないはずの楽園に、それが生まれていた。
悲しみのないはずの楽園に、それが生まれていた。
だから僕たちは『そこ』を去った。
たまに僕は思う。
楽園にいた日々を。
永遠じゃない時の中で永きを望んだ青い日々を。
あの日の楽園は、もう記憶の中にしかなく、美しい思い出と言えるほどに綺麗なものではないけれど、それでも僕は絶対に忘れない。
小さな楽園の中で永遠の夢を探した事を。