キミのメロディ
機械の扱いというものがイマイチ分からない。
家電、パソコン、携帯電話。
どれもこれも現代人の文化的生活に必要不可欠なものだが、そのどれも使いこなせない。
見たい番組の予約録画も出来ないし、エアコンのタイマーも使えない。ウチの電子レンジはオーブンにもなるそうだが、どのボタンを押せば良いのか皆目見当がつかない。と言うより、電子レンジのタイマーも設定できない。レンジの上には常にストップウォッチが置いてあり、加熱中は目が離せない。
「はい先輩。これで大丈夫ですよ」
眉間にしわを寄せて考え込んでいると、後輩がノートパソコンから顔を上げた。
「つーか先輩。機械オンチにもほどが有りますよ」
今朝がた、提出期限の迫るレポートを仕上げようと、学校から支給されたノートパソコンをおっかなびっくり使っていたのだが、突然画面が真っ白になって動かなくなった。
そこでパソコンに詳しい後輩を捕まえて復旧を頼んでいたわけだ。
「すまん。こういう時、機械に明るい後輩がいてくれて本当に助かるよ」
「あのですねえ、オレだってそんなにパソコン詳しいわけじゃないんですよ。普通なんですよ普通」
「お前レベルで普通なのか……」
「そうですよ。あの、先輩。一応聞きますが、パソコンの電源の切り方分かります?」
なんだ。それくらい分かるぞ。
「分かるさ。このボタンを押せば良いんだろ?」
後輩は深くため息をついた。
「あの、先輩。先輩に対して非常に失礼なのは承知で言わせてもらってもいいですか」
「いいよ」
「アンタ、バカじゃねえの? テレビと一緒にすんなよ」
怒られた。一体何がいけなかったのだろう。
パソコン復旧のお礼は、学食のカツカレー豚汁付きになった。
「先輩。いつまで経ってもそんなんじゃ、出来たばっかのカノジョに愛想尽かされますよ」
いきなり深く切り込まれ、飲みかけた麦茶を噴き出してしまった。
「わ、先輩汚ねえ!」
「げは、そ、そうかな」
「そうですよ。だって先輩。メールすら出来ないじゃないですか」
そのとおりだった。携帯電話を持ったのは結構前だが、電話しか使用していない。それも電話番号をノートにメモして、番号を直接入力しているのだ。
「メールは恋人同士を繋ぐ電子の恋文。会えない日々も、寂しい夜も、メールで繋がるハートとハート」
カツカレーをうっちゃって、よく分からない事を言う後輩。
「それを先輩、出来ないなんて。先輩。付き合い始めてどんだけなりましたっけ?」
「ん。二週間かな」
「あー良いなー。一番楽しくてワクワクする頃じゃないですか。ウレしハズかしな頃ですよ。そんな好き好き大好き超愛してるカノジョさんが、先輩と正反対な、メールをバンバン送れて、家電もパソコンも詳しい男になびいちゃったらどうします?」
脳裏に、ノートパソコンと携帯電話を持った見知らぬ男と、楽しげに腕を組む彼女の姿が浮かんだ。
見知らぬ男が爽やかに言う。
『この空気清浄機はね。マイナスイオンが出るんだよ。加湿器にもなるんだ。このテレビはプラズマなんだよ。地デジも見れるし、3Dなんだ』
彼女が笑う。
『まあ素敵』
そして、膝を付き、惨めに泣き崩れる自分。
『サヨナラ』と言う永別の言葉がエコーする。
『メールも送れない男なんて』と言う存在否定の言葉がリフレインする。
何という残酷無残。
何というグランギニョル。
デウス・マキナは降臨せず。
嫌だ。嫌過ぎる。
そんな未来は見たくない。
そんな未来は断固拒否したい。
だが、現に自分はメールも送れず、予約録画も出来ない有様なのだ。
「あ、あの先輩?」
「う、ううう。メールがぁ……メールを送れたら……」
「先輩? 今オレが言ったの全部架空の話ですからね? 何も先輩のカノジョさんが、先輩を捨てるって決まった訳じゃないですからね」
「おのれぇ……地デジめ……お、お、おおんん」
「ちょ! なに泣いてるんですか! 周りの人たち何事かと思ってますよ! 大丈夫ですから! 保健室とか良いですから! この人ちょっと情緒不安定なんです!」
午後の授業はさっぱり頭に入ってこなかった。
机の下で、先生に見えないように携帯電話を操作する。
むう、とため息。
あの後、学食で後輩からメールの送り方を習ったのだが、いまいち 踏ん切りがつかない。
一応、彼女のメールアドレスは手帳にメモしてあるのだが……
ええい、ままよ!
カバンから手帳を取り出し、チマチマと手こずりながらも何とかアドレスを入力。
南無三!
メール送信。
届け電子の手紙。
届けこの想い。
送った内容は『今授業中』の一文。
緊張から解放され、ふいに冷静になる。
学生同士で同級生なのだから、授業中なのは当たり前ではないか。
しかも、この時間は同じ授業を選択しているではないか。
バカか。内容とともにバカか。
ひいいい、と悲鳴をあげそうになった。
戻れ! 戻れ! 戻ってくれメールよ!
無慈悲にも、一回送信してしまったメールを呼び戻す事は不可能らしい。
静かに、机に突っ伏して悶絶していると、返信が返ってきた。
緊張しつつ開封。内容は、『私も』。
天にも昇る気分だった。
見れば、離れた席で女友達と座る彼女が、こちらに小さく手を振っていた。
これが、後輩の言っていた、恋人同士の電子の恋文という事か。
この至福の感覚が、メールで繋がるハートとハートという事か。
嬉しすぎる!
と、
「あー。授業中の携帯電話のご使用はご遠慮下さい」
気がついたら先生が隣に立っていた。
翌日、またも後輩を捕まえて学食。
「ふっふっふー。ついにメールをマスターしたのだよ」
「あーそうですか」
後輩の前にはカツ丼と豚汁。奢った理由は特にない。
「昨日の夜もメールしてな、『おやすみ』って送ったら、『おやすみ。また明日ね』だって。くあー幸せだあ。見る? 見たい? 見たいよな? しようがないなあ。ちょっとだけだぞ、一瞬だけだぞ」
「うわー。奢ってもらってなんですけど、スゲーうぜえよ先輩。てか、他人にメールは見せるもんじゃないです。先輩は良くても、カノジョさんが嫌がるかもしれないです。あと、なんかムカつくんで」
言いながら後輩は豚汁をズズズと啜った。
「……それにしても、見事にメールにハマりましたね。予想はしてましたけれど。まあ、先輩みたいな人は、一回ハマりこむと行くところまで行きますしね」
「ああ。みんな携帯電話を手放せない理由が分かったような気がするよ」
と、テーブルに置かれていた後輩の携帯が色鮮やかに輝き、テンポの良いメロディが流れた。
「電話、出なくてもいいのか?」
「いえ。フリーメールなんで、出なくても大丈夫です」
「見なくても分かるのか?」
「はい。オレ、友達とか学校とかバイトとかで着メロ変えてあるんですよ。この着メロで青色に光ったなら、ビデオ屋のフリーメールっすね」
そんな事も出来るのかと、内心驚愕した。
「まあ、オレがこういう細かいのが好き、って言うのもありますけどね。友達の中には、全部着信音1に設定してる極端な奴もいますよ。あ、どうっすか? せっかくだし先輩も着メロとか設定してみません? オレ教えますよ」
「え、いや、いいよ。なんか、架空請求とか詐欺とか、色々怖そうだし」
「新世界を恐れる者に栄光なし!」
思わず尻ごみしてしまったボクの背中を押したのは、後輩の強烈な言葉だった。
月額315円の着メロサイトを紹介してもらい、その日の内に登録した。
パケット通信料というものの正体も、後輩に説明してもらった。
だけど、一曲もダウンロードする事なく、一週間が過ぎた。
どの曲を彼女からの着信に当てれば良いか、分からなかった。
一週間の間に、何通もメールでやり取りをした。
些細な事で、ちっぽけな事で。
別に奇跡的な事が起きたわけでもなく。
世の中にはありふれている事なのだろうけど。
『今バス停。もうじき着くよ』とか。
『今日お昼ご飯どうしようか』とか。
『あのマンガの新刊出てたよ』とか。
三行にも届かない文字のやりとりでボクの心は満たされていく。
受信ボックスのフォルダにキミの名前が並ぶこと。
それが幸福だと感じる。
そうだ、と思った。
「今流れてるこの曲、好きだな」
ってコンビニでキミが呟いたあの曲を、キミからの着信音にしよう。
最初聞いた時はそれほど良いとは思わなかったけど、何度も聞くうちに好きになった。
ボクの携帯から光って流れる。
キミのメロディ。
――おわり――