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第四話 散り菊:終(つい) 風に消えゆく花びら

 地方のコンビニには、その地方らしい品物が置いてあるのが常というもので。レジの横には、お盆の季節に合わせた線香に、ロウソク。そして花火のお徳用パックに、懐中電灯、虫除けにライター。夏子はそれらを横目で見ながら缶酎ハイの入った袋を受け取り、店を出て行こうとした。そのはずが、気の抜けた

「ありがとうございます」

の声を聞き立ち止まり、ふと線香花火に手を伸ばしてしまっていた。

 子供の頃、毎年彼女の七月八日の誕生日が夏の始まりとばかり、家族が揃って季節はじめの花火大会をしたものだった。そしてその夜の〆は決まって線香花火。

「最後まで球を落とす事がなく咲き切らせられたら、願い事が叶うんだよ」

の言葉を聞きながら、風を避け身じろぎせずに行く先を見つめたものだ。今思い出せば、両親が離婚したあの年はそれがなく、ある種の前兆は有ったのだと今にして思う。

 夏子は花火が湿らない様に両手別々に袋を持ち、満天の夜空を見上げながら心当たりの空き地を目指してずんずん歩いた。最後の願いを叶えるおまじないをするために。

 秋祭りには賑わう神社も、暑い夏には草が生い茂り、人の気配を遠ざけていた。彼女は広場から少し外れた場所で月の光に背を向け小さくしゃがみ込み、そっと花火に火をつける。

「最後まで、咲きます様に」

買ってきた花火の束は二つ。合わせて二十本。最初の何本かは強すぎるライターの炎のためにあっけなく落ちてしまったが、その後はさすがに要領を得、花は確実に最後まで保ったかの様に見えた。そんな夏子の微笑みを、後からやってきた男の影が見つめていた。

 線香花火の柔らかな光に照らし出された彼女の表情は、まるで子供を抱いた母親のようだと清彦は思った。そのくせノーメイクの顔はまるで十代の少女の様に幼くも見え、女性らしい丸みを帯びた二の腕が蠱惑的こわくてきで、彼の中にまるで思春期の少年のようにヤバい感覚が湧き上がる。勿論そんな事をしてはいけない、分かっている。彼の中で爆発寸前の羞恥心が悲鳴をあげようとしていた。今の彼は、自分がいかに容姿に恵まれ、女性を惹き付けるか知っている。すぐ目の前にいる夏子に、全ての能力を使って誘惑をしかける事もできる、そんな事を思いつく自分に腹が立ち、思わず拳を握りしめていた。

『畜生!』

本来は彼自身に発した怒りのはずだった。しかしその気配を感じ、夏子がはっとした表情で顔を上げ、厳しい顔つきの清彦の姿を見た。

「あっ……!」

手元の花火の溶岩の様に赤い球はぽとんと土に落ちた。

「ご免」

清彦はすかさず謝り、自分の顔に浮かんでいたはずの表情をうつむいて隠しながら、彼女に近づく。

「邪魔する気は無かったんだよ」

と。

 どうして彼がここに来たのか。そしてなぜ彼女がこの場所で花火をしていたのか。お互いに答えを察し、無言のまま目を反らした。夏子は迷った挙げ句、花火を清彦に勧める。

「折角だから」

彼は躊躇ためらうう事なく

「うん」

と頷き、線香花火を受け取ると彼女の隣に腰を下ろした。残りは六本。清彦が先につけた花火はあっけなく落ちた。そして次に夏子が灯した一本は最後まで燃え、彼女はほっと胸を撫で下ろす。その次に清彦がやった花火は何とか無事に最後まで燃え

「お父さんから聞いた事が有る」

彼は終わった花火の先端を眺めながら思わず漏らしていた。清彦のいうお父さんとは、夏子の父の事だ。その言い方はまるで妻の父親に向かって“義父さん”と呼ぶ、そんな響きが有り、夏子は妙に笑えた。

「線香花火を最後まで落とさずに終われたら、願いが叶うって」

「ええ、私もよくそう聞かされた」

彼は自分の望みを聞いて欲しくてこんな質問をしてくるのだろうか、それとも夏子の望みを知りたいのだろうか。清彦の考えを読み取れないまま、彼女は四本目に火をつける。ぷっくりと膨らむ赤い球から、徐々に光がぜ、花弁は松葉の様に広がった。

「綺麗だね」

こうやっている時間が、人生の全ての時間だったら良いのに、そう二人は同時に思った。

「長い間、ご免」

彼女の手元で花火の命がまっとうされた様子を見届けた後、彼は心にのしかかっていた想いを吐露とろした。

「ナッツのお父さんと、俺の母親の事、実は知っていた。知っていて、でもナッツに教えないでいた」

弁解はない。ただ、事実だけ。夏子はここに来て初めて、ああ、やっぱりそうだったのかと思った。清彦の眉間にはしわ、そして口元には情けない様な歪みが生じていて−−−葬儀の時の彼の様子を思い出す。ただ恥じ入るばかりの清彦を。彼はずっと自分自身を責めていたのだ、と。清彦は終わった花火を見据えたまま、無言の夏子に畳み掛けた。

「他に、約束も破った」

それはこの神社ですると誓った花火の事だ。

『指切りげんまん、絶対だよ』

子供が命がけで誓う他愛のないまじない。

「そうだね」

彼女は否定せず、次の一本を彼に渡しながら、柔らかい声で答えた。

「ひどいヤツだね、あんたって」

裏切られた、そんなありきたりの感情はまるで湧かなかった。むしろここに来て真実を話してくれた彼にほっとしていた。

「うん」

清彦は頷く。そして

「ありがとう」

着火された花火の炎は不安定に揺れ、今にも落ちそうな風情を保ち、それでいてぎりぎり一杯の所で柳の葉の様な軌道を描き終盤を迎える。

「俺ね、ずっと君が好きだった」

今この瞬間に、彼は全てを言いきりたい、そう思った。

「ずっと、ずっとナッツの事、好きだった。というか、多分、今でも好きだ」

花火の火は何度も消えそうになりながら、最後の瞬間まで持ちこたえた。

 清彦の告白は夏子の体に行き渡り、全身は火がついた様に熱くなる。中学生の頃、もしかして、と思う時はあったのだ。でも、こうして成人した大人の男性に面と向かって言われるのはこの上なく照れくさく、彼女を動揺させた。

「俺ばっかり言いたい事言って、子供っぽいな」

清彦はあの少年の日の様に小さく肩をすくめ、上目遣いで彼女の足下を見た。

「あっ、うん」

返す言葉を探すものの見つからず、彼女は最後の線香花火に火をつけた。夏子は願うはずだった望みを頭の中に思い浮かべ、一度決めた事だから最後まで神様に任せなければいけないのだと自分に言い聞かせながら慎重に紙縒こよりの先を持つ。

 その花火はぱちぱちと心地よい音を鳴らし、周りを照らした。風はぎ、夏子の

『清彦の事を忘れられます様に』

の願いは叶うかの様に見えた。その散り際、二人の隙間を突風が吹き抜けた。

「あっ……」

フェードアウトしかけの種が、最後の最後で涙のしずくの様に大地に落ち、短い音をたてた。

 こうして二人の夏は終わった。

 清彦は帰り道に聞いた

「ありがとう」

の夏子の言葉を胸にしまい込み、

「もし父さんと母さんが離婚しないで、私がこの土地に残っていたら、私の人生そのものが干涸びていた、そんな気がする。県下のそこそこの短大に進学して、花嫁修業みたいな事して。でもって祖父が選んだ、ずっと独り身で堅実だけが取り柄のアラフォー男と見合いして、結婚して、子供産んで。家に尽くすだけの人生を終わるはずだったんだから」

の将来を、確かにそうかもしれないと思い、ある意味自分を励ました。そして夏子の手の中には、清彦の名刺。最初は焦って書いたらしく歪んでいるメールアドレスに、後半には几帳面な楷書の現住所。

「このアドレスは友達しか知らなくて、すぐに連絡がつくから。連絡待ってる。というか、とりあえず、友達から」

しどろもどろになり、何だか何を言っているのが分からなくなっている清彦を、夏子はまるで少年の頃の彼を見ているようだと笑った。

「そうね、時間ができたら連絡するから」

でも

「いつか必ずするから」

彼女は約束をした。

「約束だよ」

「約束ね」

差し出された彼のすらりとした小指に、夏子の小指をそっと絡ませながら、二人は遠い夏に嗅ぐはずだった火線香の香りを、あるはずのない記憶の奥から引き出していた。


               

                          終わり


ここまでおつき合い頂きありがとうございました♪

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