【6話:壊れた剣と繋がる信頼】
「……詳しく、聞かせてもらえますか?」
俺の言葉に、シルフィア・ルーンライトと名乗った美しいエルフは、ほんのわずかに目を見開いた。感情の起伏が乏しいように見えた彼女の表情に、一瞬だけ揺らぎが走る。
「……感謝します。ですが、ここは大勢の目がありますわ。話も長くなると思うので、明日あらためてという事でよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
「では、明日の昼、街の中心にあるカフェテラスでお待ちしておりますわ。」
高額報酬の依頼は魅力的だが、彼女の言う「バグ」は一筋縄ではいかない気配がする。慎重に対応する必要があるだろう。
ギルドを出て、喧騒から少し離れた裏通りを歩きながら、俺は先ほどのアレンとのやり取りを思い出していた。
「手伝えることがあれば」なんて、柄にもないことを言ってしまったが、あの時のアレンの驚いた顔と、瞳の奥に宿ったわずかな光が妙に心に残っていた。
(どうせガルヴァスはデバッグ対象だ。アレンの剣のバグも修正してやれば、彼も少しは報われるだろうし、ガルヴァスへの有効な一手にもなるかもしれない)
面倒事は嫌いだが、理不尽な悪意を見過ごすのはもっと性に合わない。それに、アレンのような実直な人間が不当に苦しんでいる状況は、単純に気分が悪い。
俺は居ても立っても居られなくなり、踵を返し、再びギルドへと向かった。
幸い、アレンはまだギルド内にいた。さっきと同じように、依頼掲示板の隅で一人、難しい顔をして依頼票を眺めている。
俺はアレンに近づき、声をかけた。
「アレンさん、少し時間いいですか? さっきの話の続きなんですが」
「……ケイタ、だったか。何の用だ?」
「ちょっと人目のある場所では話しにくい内容でして。どこか静かな場所に移りませんか? 例えば、ギルドの談話室とか借りられませんかね?」
俺はリナの方へ視線を送る。リナは俺たちの様子に気づき、すぐにカウンターから出てきてくれた。
「談話室ですね! 空いてますよ! こちらへどうぞ!」
リナは快く案内してくれた。どうやら、俺とアレンの関係を少し気にしていたらしい。
ギルドの奥にある、簡素なテーブルと椅子が置かれた小さな個室に通される。リナがお茶まで用意してくれ、「ごゆっくりどうぞ」と気を利かせて部屋を出て行った。
二人きりになり、沈黙が訪れる。アレンは緊張した面持ちで、俺が話を切り出すのを待っているようだ。
俺は単刀直入に本題に入った。
「アレンさん、さっき『剣の調子が悪い』と言ってましたよね? 具体的に、どんな感じなんですか?」
「……ああ。この剣は『ブレイブハート』。俺が騎士団で最も活躍した時に、特別に下賜された業物だ。かつては、どんな硬い盾も断ち切り、まるで自分の手足のように馴染んでいた。最高の相棒だったんだ」
彼の声には、過去の栄光を懐かしむ響きと、現状への深い嘆きが込められていた。
「だが、騎士団を追放されてから……急にだ。急に、この剣がまるで別物のように感じられるようになった。切れ味は鈍り、魔物の一撃を受け止めるだけで刃こぼれしそうになる。そして何より……重いんだ。まるで鉛を引きずるように、振るうのが億劫になるほどに」
アレンは苦々しげに腰の剣の柄を握りしめる。
「何度も鍛冶屋に見てもらった。リューンで一番腕がいいと言われる親方にも頼んだ。だが、誰も原因が分からないと言うんだ。『剣自体に異常はない。気のせいじゃないか』と……」
彼の声が怒りと悔しさで震える。
「だから……俺は、自分の腕が落ちたせいなんだと思うようになった。騎士団を追放されたショックで、無意識のうちに力が衰えてしまったのかと……。だが、心のどこかで納得できないでいた。この剣は、そんなヤワなものじゃないはずなんだ……!」
アレンは顔を伏せ、唇を噛みしめている。彼の無念さがひしひしと伝わってくる。ガルヴァスへの疑念も、口には出さないが、その表情から明らかだった。
(やはり、原因は剣のデバフバグで間違いない。そして、それを自分のせいだと思い込まされている……ガルヴァスめ、本当に悪質だ)
「アレンさん。あなたの腕が落ちたわけじゃない。その剣、呪われていますよ。それも、非常に悪質なやつに」
「……なに?」
アレンが顔を上げる。その目は驚きと疑念に満ちていた。
「信じられないかもしれませんが、俺にはそういう『呪い』や『不具合』を見抜く、ちょっと特殊な力がありましてね」
俺はそう言うと、アレンの目の前でスキルを起動し、彼の剣『ブレイブハート』に意識を集中させた。
俺の手のひらから淡い光が放たれ、アレンの剣の上に半透明のウィンドウが浮かび上がる。ウィンドウには、文字列が高速で流れ始めた。
「な……なんだ、これは……!?」
俺は構わず解析を進め、結果を声に出して読み上げた。
「[識別:悪性デバフバグ - 性能低下]。攻撃力、速度、耐久値が本来の3分の1以下に低下しています。さらに[識別:所有者限定呪い]。アレンさん以外が持つと、さらに劣化するよう細工されています」
「そんな……馬鹿な……!」
アレンは信じられないというように、自分の剣と俺のスキル表示を交互に見つめる。
俺はさらに追跡結果を告げる。
「そして、このデバフを仕掛けた[発生源シグネチャ]……これは、『リューン騎士団装備管理システム』、つまり騎士団の武具管理に関する魔法的な法則や記録に、最高位の権限を持つ者がアクセスした痕跡です。アクセス日時は半年前……アレンさんが追放された時期と一致しますね」
俺はアレンに向き直り、はっきりと言った。
「アレンさん、これは偶然じゃない。騎士団長ガルヴァスによる、明確な悪意ですよ。彼は自分の権限を乱用し、あなたの剣に意図的に呪いをかけたんです。あなたが二度と騎士として、いや、剣士として立ち上がれないように」
「ガルヴァス……団長が……………っ!!」
全てのピースが繋がったのだろう。アレンの顔が、怒りと屈辱でみるみるうちに赤く染まっていく。彼の全身から、抑えきれないほどの怒りのオーラが立ち昇っている。
「……許せない……!!」
絞り出すような声が、アレンの喉から漏れた。
「ええ、許せませんね。だから、修正しましょう。この忌々しいバグを」
俺はアレンの目を見て、力強く頷いた。そして、剣に向かってコマンドを実行する。
[コマンド実行] 実行:バグ修正コード - デバフ除去&呪い解除
[コマンド実行] 実行:潜在能力解放 - 内部に蓄積された歪みをエネルギーに転換
俺がコマンドを実行すると、ブレイブハートの刀身が眩い光を放ち始めた。
まるで、長年溜め込んでいた澱が浄化されていくように、剣全体が微かに振動し、清浄な魔力が満ちていくのを感じる。
光が収まった時、アレンの目の前にあったのは、見違えるように輝きを取り戻した長剣だった。曇っていた刀身は鏡のように磨き上げられ、全体から凛とした、力強いオーラが放たれている。
「……これが……俺の……ブレイブハート……?」
アレンは呆然と、生まれ変わった相棒を見つめている。
「さあ、試してみてください。本来の性能を取り戻したはずです」
アレンはおそるおそる剣の柄を握る。その瞬間、彼の目が見開かれた。
「……軽い! まるで羽のようだ! それに、この……力が漲ってくるような感覚は……!」
「ちょうどいい。ギルドの訓練場が空いているか、リナさんに聞いてみましょう」
リナに案内され、俺たちはギルドの地下にある訓練場へと向かった。石造りのだだっ広い空間だ。アレンはやる気に満ちた表情で、ブレイブハートを構える。
「ふっ!」
気合一閃、アレンが剣を振るう。
ビュッ! と空気を切り裂く鋭い音。その剣筋は、さっきまでの彼とは比べ物にならないほど速く、力強い。まるで水を得た魚のように、アレンは生き生きと剣を振るい始めた。
訓練用の丸太に斬りかかると、吸い込まれるように丸太を両断した。その切れ味は、まさに業物と呼ぶにふさわしい。
「はは……はははは! これだ! これが俺の剣だ! 俺のブレイブハートだ!」
アレンは汗を流しながらも、心の底から嬉しそうな、晴れやかな笑顔で叫んだ。その目には、涙が浮かんでいるように見えた。
一通り剣を振るい終えたアレンは、俺の前に来て、深く頭を下げた。
「ケイタ君……君は、俺の恩人だ。この恩は、決して忘れない。必ず、必ず返す!」
その声には、揺るぎない感謝と、絶対的な信頼が込められていた。
「礼なんていいですよ。俺も、ああいう陰湿な行為は許せないんでね」
俺は少し照れくささを感じながら、肩をすくめた。
アレンが顔を上げ、決意に満ちた目で言った。
「ケイタ君。俺は決めた。ガルヴァス団長……いや、ガルヴァスを、この手で断罪する。俺から全てを奪った報いを、必ず受けさせてみせる!」
燃えるような復讐心を瞳に宿すアレンと、それを冷静に見守りながら次のデバッグ計画を練っていた。
(……とはいえ、事を起こすには証拠固めが必要だ。ガルヴァスの不正の証拠、あるいは俺たちの行動記録を、何らかの形で残しておかないとな)
俺はギルドを出る前に、売店に立ち寄った。そこで、魔力を込めると短時間ながら情報を記録できるという掌サイズの『記録用水晶』をいくつか購入しておいた。
値段も銅貨数枚と手頃だし、持っていて損はないだろう。
これが後で役に立つかもしれない。俺は水晶を革袋にしまい、ギルドを後にした。