出会う前
父と母はいとこ同士の結婚だった。
昭和初期はなにがあるかわからない。
父は身内には優しい人だった
母は料理が上手で、お店顔負けで何事も丁寧で、文句も言わず穏やかな人だった。
そしてわが母はこの家に生まれた。
6人兄弟待望の女の子
一番上とは10以上も離れている。
正直昔は男の子は大事にされる風潮
まさに長男は過保護に育てられていた。
一番下ということもあり、上の兄たちが子守りをしていた。
農家の仕事だけではなくお蚕もやっていた。
お蚕様といわれるくらい大切な仕事の一つだ
大家族でもあったが、蚕の仕事が佳境になれば
いとこなども集まり仕事をしたそうだ。
そんな忙しい毎日が日常だった。
赤子の時に、泣くと兄たちがおんぶする。
兄たちも仕事をしなければならないときは
おんぶができないから、柱などにくくりつけられていたそうだ。
そんな毎日は人によっては驚くことだろうが、当たり前の毎日だったのかもしれない。
活発な女の子だった。
畑を駆け回り、鉄棒ではくるくると回る位、兄弟たちも驚くほどの元気な女の子だった。
この子がこのまま成長していたら他の人生があり、私はきっと生まれて来なかったのだろう。
歯車が正しく回ったのか、それとも逆に回り出したのか?
人生とは正解とはなんなのだろうか?
きっと誰が決めるものではないが
本人に聞いてみたい。
幸せだったのかと