1話 目覚め
愛とは何か。
幼い頃に両親を失った俺はその問いを繰り返し心に投げかけてきた。
孤児院の人達は愛というものを持って接してくれているのだろうが、なんだかピンと来なかった。
それも確かに愛ではあったが、俺が思うに真実の愛では無かったのだと思う。
いつしか俺は愛とかいうものを悪だと考えるようになった。
そんなものがあるから苦しむものが生まれ、不幸が生まれるんだと、そう思う様にしていた。
…………そんなことを考えながら、孤児院の質素なベットの上、今日も俺は床に就いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
気がつくと僕はよく分からない場所のベッドの上で寝ていた。
周りを見渡すとどうやら洋館かホテルの一室のようだった。
そんな所に行ったことなんて17年の人生で1度もなかったが、こんなよく分からない感じで訪れる事になるとは……。
「いやいや、おかしいだろ。」
寝起きでまだ上手く動かない目を擦り、必死に現実を見ようとする。
しかし、それでも周りの風景が寝ていたはずの孤児院に戻ることは無かった。
今起こっている事が微塵も理解できない。
事実は小説よりも奇なりとか何とか言うが、流石にこれはおかしすぎる。
しかし…………。
「……何このベット、めっちゃ気持ちいい。」
こんなふわふわかつ暖かいベッドに寝る事なんて初めてだ。
今まで孤児院の質素なベットで寝た記憶しかない俺にその至高の感触は劇物に等しかった。
ここはどこなんだという疑問やどうしてこんな所に居るのかという不安など吹き飛ばしてしまうほどにそれは至高の逸品であった。
とりあえずそれを味わない事には何も始まらない。
びっくりして周りの様子を伺った結果少し乱れてしまったシーツや布団を綺麗に正し、俺はこの天国を堪能する事にした。
…………俺が正気に戻ったのはそれから数十分後の事だった。
どんな快楽であろうと人間は慣れてしまう生き物だ、特にこんな異常事態では尚更だろう。
まず初めに気がついたのは部屋の外から複数人の話し声が聞こえるということだ。
聞き耳を立てると、なんて言っているのかは分からないが、何となく困惑しているような様子を感じた。
恐らく彼らも僕と同じような状況なのだろう。
外の声の主達は自分の敵では無いと何となく確認して俺は恐る恐る扉を開いた。
…………目が合った。
自分の事を物珍しそうに見る2人分の目だ。
僕は思わず扉をそっと閉じた。
「ちょ、ちょっと待って、なんで閉めるの!?」
「くくく、私達怖がられているじゃないか! 」
扉の外から驚いた様子の声と笑い出す声が聞こえてくる。
いや、怖がっている訳では無いんだが…………。
俺は渋々もう一度扉を少しだけ開け、首をちょっとだけ出して辺りの様子を観察した。
「…………あぁ、怖がられるってこういう事か。」
さっきの笑っていた声の怖がられているという言葉の真意を今見た光景が物語っていた。
…………扉の前で俺を眺めていたのは、顔を少々不気味な道化の仮面で隠し、その全身を大きなマントで隠した背の大きい人物と猫耳を付けやけにキラキラした服装をした女性だった。
再び扉を閉ざしたいという強い衝動に駆られるが、こんな所でもう一度閉めてしまうと、あたかも俺が怖がっているような感じになってしまうだろう。
その衝動をぐっと堪え、扉を開け放ち外に出た。
「…………誰だお前ら。」
警戒しながらの質問だったからか少し凄むような言い方になってしまった。
しかし、目の前の2人はそんな事は意に介さずに自己紹介をし始めた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だぞ? ……私は矢野 蒼という、よろしく。」
「あ、僕は坂代 神酒だよ、よろしくね〜。」
「いや、そういう事を言っている訳じゃないんだが…………はぁ。」
あの道化の仮面を着けた奴が蒼で猫耳の奴が神酒か……。
俺は溜息をついた。
2人の様子を見ていると何だか警戒をしている事が馬鹿みたいに思えてきたからだ。
そんな必要も無いだろうと思い、更に外へと足を進めた。
扉がバタンと閉まり、逃げ道が無くなる。
「あぁ、名前が聞きたいんじゃなくて、何者か、つまり君の今の状況に関わる人物なのかという事が聞きたいんだな…………ま、あいにく私達は気が付いたらここに来てたんだ、だから君には特に関わって居ない。君も同じ状況なのかな?」
「…………あぁ。」
「そうかそうか、やっぱりな、まぁ、私たちから君に関して変に詮索する事は無いさ…………私達も詮索されたくないような見た目なんだ、そこは自重するよ。」
「あははぁ、そうだねぇ……。」
どうやら目の前の詮索しがいのありそうなお二人さんは変に詮索する事は好まないらしい。
まぁ、もとよりそんなことをするつもりは無かったがな。
「それよりも、ここはどこなんだ? 早く帰りたいんだが……。」
「そうだね……とりあえず、あの階段を降りてみようか。誘拐されたんだとしたら、もっと厳重に監視されてるはずだし、そういう状況じゃなさそうだ。まずは家主に会いに行こうか。」
確かに蒼の言っている事はもっともだ、こんな所でうじうじとしているよりもそっちの方が良いだろう。
僕はそう思って階段を降りそうとした。
その時、後ろから呼び止められた。
「あっ、そうだ、そういえば君の名前ってなに?」
「あぁ、確かに聞いてなかったな。」
…………そういえば言ってなかったな。
正直言いたくはなかったが仕方がない。
「俺の名前は夜咲 真宵だ…………不服だが、しばらくよろしく頼む。」
ぶっきらぼうに俺は言った。
「夜咲真宵か…………いい名前だな。」
「うんうん、かっこいいね〜。」
そう明るく二人は言い、この名前を褒めてくれた。
この名前は両親が残してくれたただ一つのプレゼントだ。
なんというか……すこし、変な気持ちだ。
俺は特に返事をすることも無く踵を返し、階段へと向かった。