前世
俺の夢は最強である。
最強と言っても定義が曖昧だ。
そうだな……分かりやすく言うと、最強とは、世界で最も強い生物だ。
もうお分かりかも知れないが、俺の夢は決して叶うことがないのである。
何故なら、この世界の人間は貧弱だからだ。
檻の中で、素手の成人男性と猫に殺し合いをさせると、猫に軍配が上がるらしい。
武器や兵器を使えば勝てるって? 剣とか銃とか?
確かに、武器や兵器を使えば、人間は世界で最も強い生物になれるだろう。
でも、それは俺の求める最強じゃない!!
いいか? 最強っていうのは己が肉体のみですべてを葬り去る圧倒的な強者のことだ。
己が力で、己が筋肉で、己が拳で、全てをねじ伏せる。
それこそ、本物の最強だ。
先ほどの言葉を訂正しよう。
最強とは、己が肉体のみで、世界の頂点に君臨することが出来る生物だ。
分かっただろう?俺の夢は決して叶うことはない。
少なくとも、今いるこの世界では……。
俺も努力していなかったわけではない。
俺は強くなるために、いろんなことをしてきた。
素手で何度も岩を殴った。
血が出ようがおかまいなしに殴った。
右薬指の第1関節が歪曲している。
体を鍛えた。
150キロのバーベルを上げた。
((これがどれだけ凄いのかは分からないが、トレーニング中、酸欠で何度も死にかけたことだけは伝えておく))
ランニングをした。
動けなくなるまで走った。
走り過ぎで靭帯を何回切ったのか覚えてすらいない。
学校を辞めた。
最強になるためには毎日の鍛錬は不可欠だ。
学校に行く時間は無駄だった。
禁欲もした。
もう、六年は抜いていない。
おかげで夢精は毎月のように起きていた。
何げにこれが一番辛かったかもしれない。
出来る限り努力はした。
それでも、最強になるという夢は叶わなかった。
どれだけ努力をしても、この世界では無意味なのだ。
そんな俺の唯一の趣味は最強主人公の異世界転生アニメを見ることだ。
チート能力を手に入れた主人公の強さには惚れ惚れする。
努力なしにチート能力を与えられたとは言え、その能力は紛れもなく彼らのものである。
そう、彼ら自身の力なのである。
彼ら自身の体から発生する本物の力なのである!
銃や兵器のような偽りの力ではない。
異世界転生して、努力を重ねて強くなるタイプもまた良い……。
強くなるために努力すれば、それ相応の結果として現れるのだ。
魔力は行使すればするほど、魔力量が増えるのが鉄則である。
筋トレに似ている。
筋肉は使えば使うほど、筋肥大が起きる。
では、双方の決定的な違いとは何か。
他生物に通用するかどうかの違いだ。
魔法はライオンを殺せる。
筋肉はライオンを殺せない。((筋肉を鍛えようが身体能力はさほど変わらない))
魔法はドラゴンを殺せる。
筋肉は…、言うまでもない。
異世界に転生したい。
努力次第で最強になれるなら…どこでもいい。
魔界だろうが、地獄だろうがどこでも行ってやる!
最強になるためならなんだってやる。
神様……。お願いです。
俺を……俺を異世界に連れて行ってくれませんか?
異世界に連れて行ってくれるならなんだってやります。
命を捧げろと言うなら喜んで捧げましょう!
だから…異世界に連れて行ってください!!
「君の熱い想いは受け取った。 良かろう、異世界に連れて行ってやる。 但し、条件がある」
え?
頭の中で誰かの声が聞こえる。
成功したのか?
まじかよ。この本、マジ系のやつだったのか。
俺は以前、古本屋でとある本を見つけた。
【神と対話する方法】
俺はこの本に記された通り、魔法陣を自室の床に描き、縄で縛った自分を魔法陣の前の祭壇に供えた。
まさか本当に神と対話出来るとは、正直思いもしなかった。
それよりも異世界に連れて行ってくれるって言ったよな?
や……やばいぞ。
興奮してきた。
ものすごく興奮してきた。
「神様!! どうすれば俺を異世界に連れて行ってくださいますか?? 何でもします! 俺は何でも出来ます!」
「落ち着くのだ。条件があると言ったろう? 私が命じたことを貴様が遂行することが出来たら、異世界に連れて行ってやろう。」
「し、失礼しました。興奮で気が動転しておりました。では、その命令とやらを何なりと私にお命じください」
「うむ。では貴様に命ずる。 人の命を奪え。悪人、善人、誰でもいい」
は? 人の命を奪う?
殺すってことか?
俺が?
何で?
「つかぬことをお聞きしますが、何故、人の命を奪わなければならないのでしょうか?」
「理由はない」
「は?」
「特に理由はない」
嘘だろ?
特に理由はないってなんだよ。
異世界に移動するためには膨大なエネルギーが必要で、人の命を糧にしなければならないとか、説得力のある理由はないのかよ。
でも……。
人を殺せば……異世界に行けるのか……。
「どうした? 異世界に連れて行って欲しいのだろう? 早くしないと、私は消えてしまうぞ」
「ま、待ってください」
人を殺す。
人を殺せば異世界に行ける。
異世界に行けば最強になれるかもしれない。
…………。
「その、神様。どうしても人を殺さないといけませんか? 何か別の方法はないのでしょうか?」
「ない」
なるほど。
人を殺すしかないってか。
………。
「であれば、ご遠慮します」
「ふむ、意外であったな。 君のその熱意であれば、人であろうが喜んで殺生すると予期していたのだが」
「無理ですね。出来ません。ただ、正義感だとかそんなまともな理由じゃありませんよ。 俺の最強像は人を殺さないんです。決して」
「最強像とな。ふむ。なかなか面白いではないか。」
面白い……か。
そう、俺の最強像は少しクセが強いかもしれない。
最強とは、世界で最も強い生物。
そして、誰も殺さない。
最強であるのに、他者の命を奪うのは矛盾している。
最強は恐れるものがないのだ。
他者に感情を乱されることは決してない。
故に、他者に怒りも悲しみも恐れも抱かない。
他者の命を奪うことはそれを否定することになる。
規則:最強への道
第1条 己の都合で生物を殺してはならない
「私からお呼び出ししておいて申し上げにくいのですが、もう、神様に用はありません。後は煮るなり焼くなりお好きにしてください」
最強になるために最強を捨てる。
そんなの意味が無いじゃないか。
「ふむ。では、煮るなり焼くなりさせて貰おうか。」
神様がそう言った瞬間、俺の体は炎に包まれた。
ええ……。煮るなり焼くなりって冗談じゃん。決まり文句じゃん。
不思議と熱くはなかった。
目を瞑れば、自分が燃えていることに気づかないくらいだ。
だが、体が崩れてきてはいるので、着実に死という終着点に進んでいるのは分かる。
視界が狭くなってきた。このまま消えれば俺はどうなるのだろうか。死後の世界ってどんな感じなんだろうか。
「では、異世界の旅を楽しんでくれたまえ。 最強になれると良いなあ。応援しているぞ」
は? 異世界の旅?
応援?
何だが分からないが、もしかして俺、認められたのか?
いくら俺が思考を巡らせようが、視界を徐々に狭まるばかりだ。
ちょっちょっ。待て待て。
まだ、気持ちの整理がついていない。
頼むから少しだけ状況を整理させてくれ。
俺の願いは届くはずもなく…
そして……漆黒が俺の視界を埋め尽くした。
趣味で始めました。素人なので才能もありませんが、完結まで全力を尽くします。一秒でも読んでいただけたのなら、うれしい限りです。