透明殺人
◎早瀬side
最近この付近で起きている話題の透明殺人。
犯人、動機、凶器、殺人方法――その全てが分かりきっているという、奇妙な殺人事件のことだ。
どの事件においても、事件後すぐに被疑者が捕らえられ、その誰においても容疑を認めている。
あまりにもことがスムーズに進み過ぎるので、初めのうちは警察も不審に思っていたが、二回目、三回目と回を重ねるごとに、その考えも薄れていったようだった。そして今では、一種の現代殺人の方法として捉えられている。
もちろん、学校でもその話題で持ちきりだ。何せ、昨日、透明殺人が起こったらしいのだから。
「ねぇねぇ、今日のニュース見た⁉ 昨日の透明殺人、犯人って六組の担任の水崎だったらしいよ!」
「えーマジで⁉ 隣のクラスじゃん! っていうか、教師が殺人とか……」
「被害者、水崎の元カノだったらしいよ? その話のもつれで殺したって、水崎が自白したらしい」
クラス内では延々とその話が続いている。謎のない事件なんて、警察や探偵もやることが無くて困った物だろう。実際、今の俺も困っていた。
「閑古鳥が鳴いてるって感じだね、早瀬君。こう何もかも解っていちゃ、地元で事件が起こっていても、噂の高校生探偵の出番はないってわけだ」
ぼうっと、クラスの会話に耳を傾けていた俺に話しかけてきたのは、巡谷さんだった。
彼女は、大の推理小説好きで、最近の一連の事件にも興味を持っているようだった。
「俺はそんな立派な奴じゃないよ、巡谷さん。それに、ちゃんと事件の真相がわかって、然るべき犯人が捕まるっていうのは良いことだとは思う……」
「あれ、早瀬君にしては歯切れが悪いね。何か気になることでもあるの?」
気になること――確かに、少し警戒していることはあった。
そういう点、やはり巡谷さんは鋭い。ため息をついて、俺は彼女に自分の見解を話した。
「透明殺人の『透明』って、俺たち捜査する側と、その事件との間が透明ってことだろ? つまり、事件が謎で隠されていないんだ。でも、それって逆に言えば、俺たちと事件の間に介在する『何か』が見えていないってことなんだと思う」
「もしかして、早瀬君は、今回の事件、全部誰かが裏で糸を引いているんじゃないかって言いたいの?」
「さすが巡谷さんだ。君の方が探偵に向いてるかもしれない」
冗談半分に笑っていると、同じクラスの麻生君が寄ってきた。
「なんだなんだ、また二人でおしゃべりか? いっつも仲良いよなーお前ら。いやーお熱いねー」
「そ、そういうのじゃないよ! ただ、早瀬君の話は推理小説マニアの私にとっては、すごく興味深いから、よく聞かせてもらっているだけだよ」
「へいへーい。それよりもさ、今の話、聞かせてもらったぜ。隠れた裏ボス、面白そうじゃないか! 俺もそいつ探しに協力させてくれよ。あと、ついでに日比野も仲間に加えてくれ。あいつ、兄ちゃんが透明殺人で殺されたらしいから、仇を取りたいだろうからさ!」
日比野君も、同じクラスの男子で、つい先日透明殺人でお兄さんを亡くしてからずっと落ち込んでいた。あまり目立たないせいで、ほとんど気にされていなかったのだが、麻生君は気にかけていたみたいだ。
麻生君があまりにも大きな声で話したせいで、さっきまで透明殺人の話をしていた女子、滝沢さんと北川さんが寄ってきた。
「わぁ、なにそれすっごく面白そうじゃん! わたし達も入れてよ!」
「そういう奴って、秘密握って裏から操ってるんでしょ? わたしたちで捕まえたら、お手柄じゃんか。ほら、こっちには探偵君もいるんだし」
「げっ、お前らも来るのかよ……」
その二人、特に滝沢さんのことが苦手なようで、麻生君はあからさまに顔をしかめた。
「まあ、いいんじゃないかな。人数は多いに越したことはないし。こんな悪いことしてるのに、まだ捕まっていない奴がいるなら、みんなで捕まえちゃおう! 早瀬君も、それでいいよね?」
「まあ、あまり一般人を巻き込みたくはないけど、仕方ないか……。じゃあ、今日の放課後、昨日の殺人が起きた公園に行ってみようか」
「さーんせいっ! 今から、わくわくしてきたよ!」
それぞれ席に戻っていくメンバーを見ながら、少し面倒なことになったなと思う。
でも、もともとは俺の話から始まったことだし、ただの高校生がどうにか解決できることでもないだろう。
それでも、危険は回避しなければならない。
少しでも危ないと感じたら、あのメンバーには帰るように言おう。
○巡谷side
久しぶりに早瀬君以外の人と話せたのがうれしくて、思わず集合時間よりかなり早く公園についてしまった。
周りにはまだ誰もおらず、仕方なく、ため息交じりにベンチに腰を下ろす。
それにしても……私は、ちゃんと他のみんなと、話せるだろうか。
三カ月前のことの影響で、私は人間不信に陥っていた。早瀬君が私を気にかけてくれていなかったら、今でも私は一人でいただろう。
母と二人暮らしの上、借金取りに押しかけられたり、知らない人につけられたり、いじめられたり、まだまだ問題はあるけど、最近はそれらも少なくなってきている。ようやく、私にも運が回ってきたのかもしれない。そう思うと、少し気分は良かった。
◎早瀬side
色々調べていたせいで、遅れてしまった。公園に着くと、さっき会話していたメンバーに加え、日比野君が俺を待っていた。
「おいおーい、遅いぞ、早瀬。今回のことは、お前がいないと始まらないんだから、しっかりしてくれよ!」
「ごめんごめん。ちょっと、今までの事件について、もう一度調べ直してたら遅くなって……」
「そんなことより、さっさと行こう。僕らに調べれることなんて限られているだろうけど、警察に言ったって、そんな根拠のないようなこと、受け付けてもらえないだろうし」
心躍らせている他の人に比べ、日比野君は冷静で深刻そうだった。
お兄さんを殺した事件の真犯人がいるかもしれないのだから、当たり前だと言えば当たり前なのだが。
「そうだね! とりあえず、周辺に何か残っていないか探してみようよ!」
公園に散っていってしまった麻生君、滝沢さん、北川さんの三人を見ながら、俺はその場にとどまっていた日比野君に声をかけた。
「こんなことに巻き込んで、ごめん。ただでさえお兄さんが死んで、悲しいだろうに、こんな混乱させる事態になっちゃって……」
「別に、悲しくなんかないからいい。あいつは、死んで悲しんでもらえるほど、ろくな奴じゃなかったし。はたから見れば、僕が落ち込んでいるように見えたかもしれないけど。でも、こんな風に、裏から手をまわして殺すやり方は気に食わない。だから、僕は協力してる」
そう言って、同じように公園内を歩きだした日比野君を見て、今度は巡谷さんが俺に小声で話しかけてきた。
「ねえ、早瀬君。もしかして、ちゃんと調べる気、ないの? 昨日の殺害現場であるここに来たって、大切な証拠は警察が全部回収しちゃってるだろうし、透明殺人だから、もう公園内には入れるようになってるけど、普通だったら、まだ閉鎖されてる状況だと思う。ここから真犯人を捕まえるための手掛かりを得るのは、どう考えても無理だと思うんだけど……」
巡谷さんの言うことは、見事に的を射ている。
本当は、こういう遊び捜査のようなものはしたくなかった。
巡谷さんと日比野君以外の三人は、ほとんど退屈しのぎのつもりでやっているだろう。
適当に調べさせて、飽きて帰るのを待とうと思っていたのだが、どうやらそれは無理になったようだ。
「前にも言ったけど、事件に一般人を巻き込みたくはないんだ。これは、ごっこ遊びじゃない。彼らの関心が薄れたら、俺一人で真相を突き止めるよ」
巡谷さんは、しばしその場で考え込むと、急に頭をあげて公園内のメンバーの方へと駆けて行った。
「ねえ、みんな! 一度、今までの透明殺人の事件について振り返ってみようよ! その時の犯人や被害者、人間関係とかから、何か犯人に繋がる秘密が見つかるかもしれないよ!」
「おお! それも、そうだな! グッジョブ巡谷!」
「確かに、そのほうが早そうだね。わたしもこの捜査はだるいと思ってたんだよ」
巡谷さんの掛け声で、全員が一斉に集まってきた。巡谷さんがこちらに来るよう、俺に微笑みかける。
「一人で」なんてさせない。巡谷さんの表情が、そう言っているように感じた。
本当に、彼女は何をし出すかわからないな。
しょうがないけど、これもいい機会なのかもしれない。
俺にとっても、この方が都合がいいのかもしれない。
今までに起こった透明殺人は、四回。
一回目の被害者は、ある探偵だった。探偵が殺されたという事もあって、当時は大きく注目を集めた。殺害者は、その探偵が捕まえたという犯人の恋人だった。
二回目に殺されたのは、住所不定、無職の男だった。ただ、裏社会で金融業を営んでいた、つまり闇金というやつだったらしい。この時の殺人犯は特殊で、この男から金を借りていた者たち四人が、密かに集まり、殺害を決行したという。彼らが四人で会っていることを示す証拠も出た。
三回目は、日比野君の兄さんである。極度のストーカー癖があったらしく、複数人の女性をつけていたらしい。犯人は、その女性のうちの一人だった。
そして、四回目が、昨日起きた水崎先生の事件だった。
「この中から、共通点を見つけるのは、難しいんじゃない? ここにいる人で、事件に関係性があるって言ったら、兄貴を殺された日比野くらいでしょ? なんか、怪しい奴とか知らないの?」
「あいつのことは、よく知らない。僕はあいつのこと嫌いだし、毎日顔を合わせていたわけでもないし。それより、一回目は探偵が殺されたって聞いたけど、早瀬は何か知っているんじゃない? こんな地元で探偵って言ったら、そんなにいっぱいいるわけじゃないだろうから、知り合いでもおかしくないと思う」
「日比野君の言う通り、俺と彼は友人だったよ。同じ事件を協力して解決したこともある。彼はそう簡単に死ぬような人じゃなかったから、彼が殺されたと聞いた時は、俺も驚いたよ」
「もー難しいな……。せっかく、バーンと犯人を捕まえて、目立てると思ってたのに。もーいいや! 今日は解散っ! 解散にしよ! また、明日ね!」
滝沢さんはそう言って、北川さんと共に一方的に駆けていってしまった。
その様子に呆れたのか、日比野君もいつの間にかいなくなってしまった。
その後、「じゃあね」と俺たちに声をかけて去っていった巡谷さんが、さっきの話から口数が少なくなっていることを、俺は見逃さなかった。
麻生君は、滝沢さんの態度が気に入らなかったらしく、しばらくその場に残っていた。
「麻生君は……帰らないんだね」
「あいつの言う通りになってたまるか。あんな奴に……」
下唇を噛む麻生君の、滝沢さんに対する感情は、単なる嫌悪感だけではないようだ。そんな麻生君と話した後、俺は少しの不安を憶えながら、家へと急いだ。
●LINE トーク画面 滝沢&北川side
【北川ちゃーん、いるー?】
〈んー、どうしたの、滝沢?〉
【今日さーアイツ、ほんっと、ウザかったよねー】
〈ああ、巡谷のこと?〉
【事件を振り返るとか、正直どうでもいいっつーの! もっと、簡単にバンバン証拠見つけて、ちゃちゃっと、終らせられると思ってたのにー。せっかく、早瀬君とも仲良くなれると思ってたのになー】
〈滝沢の思考回路は、今日もいつも通りだねー〉
【ほんっと、ムカつく! 今日も仲良さそうに早瀬君と話してるし!】
〈はいはい。言いたいことはわかったよ。いつものでしょ?〉
【さっすが、北川ちゃんっ! じゃ、画鋲倍増ね!】
〈ついでに、今食べてるポテチのごみも下駄箱に詰めとく?ww〉
《いいじゃん! わたしも、台所の生ごみとか持ってくよ! これで明日、巡谷は真っ青だね!(笑)》
〈マジかーww じゃあ、明日は早めに学校集合だね〉
【それにしても、アイツ自分が嫌われてるって気づいてないのかな?】
〈そうなんじゃない? 早瀬にも普通に声かけてるし。まあ、早瀬にだけだけど〉
【つい三カ月くらい前は、誰に対しても敵みたいな生意気な態度でいたくせに、最近なんか調子に乗り出してさー】
〈そういう奴には、制裁が下るのだ! なーんてwww〉
【なにそれ!(笑)】
【誰かお客さん来たから、ちょっと様子見てくるねー】
〈あれ、家の人いないの?〉
【今日はどっちも遅くなるから、一人なんだよー。じゃ、ちょっと待ってて】
〈滝沢?〉
〈もう寝たの?〉
〈ま、いいや。また明日ねー〉
◎早瀬side
教室は昨日にも増してざわついていた。
その原因は、今朝この学校の生徒が透明殺人に遭ったというニュース、そして、滝沢さんの机の上に供えられた花だった。
もちろん、そこに滝沢さんの姿はない。
「おい、今朝のニュースって本当なのかよ? それに、滝沢が……透明殺人に遭ったかもしれないって……」
「本当…………なんじゃないか? げんに、滝沢学校にいねーし、『あいつ』も来てねーみたいだしな」
一人のクラスメイトが、滝沢さんとは違う、もう一つの空席を指差す。
そこは、今回の殺人を犯したと噂されている、同じクラスメイトの、麻生君の席だった。
「動機は、滝沢にいじめられたせいで自殺した親友の仇……だったよな。まあ、滝沢の悪評はたまに聞いてたけど、まさかそこまでだったとは……。その親友も、滝沢がいじめてたなんて、ほとんど誰も気づいてなかったらしいぜ」
「ホント……女子って怖えな…………。そういう意味では、麻生も被害者だよな」
担任が教室に入ってきて、他の奴らが全員席に着く。
担任の口からは、滝沢さんが殺されたこと。麻生君がその犯人であること。そして、それをあまり口外しないようにしてほしいということが告げられた。
もっとも、透明殺人として取り上げられている以上、もうたくさんの人に知られてしまっているだろうが。
放課後、必然的に、俺、巡谷さん、日比野君、北川さんの四人は集まっていた。その中でも、北川さんはいつもよりも顔色が悪かった。
「北川。お前は、滝沢と仲良かったはずだ。何か知ってるんじゃない?」
問い詰める日比野君に、北川さんはスマホを取り出して、LINEのトーク画面を開いた。スマホの画面には、滝沢さんと北川さんの、最後の会話であろうものが映し出されていた。
「昨日の夜、二人でちょっと……会話してたんだけど、途中で客が来たって、滝沢がいなくなって、そのあと何回も送ったけど、既読付かなくて……」
画面を閉じようとする北川さんの手から、日比野君はスマホを奪って画面を上へとスライドさせた。
「なっ! ちょっと‼」
俺も北川さんのスマホを覗き込むと、そこでは、巡谷さんへ向けた嫌がらせの計画をする会話がされていた。
北川さんは急いで日比野君からスマホを奪い取ると、慌ててポケットにしまいこんだ。あまりに瞬間的なことだったので、巡谷さんには見えていなかっただろう。
「……ニュースでもやってた通り、滝沢は家に押しかけてきた麻生に殺されたんだよ。なんで、麻生がそんなに仲の良くも無い滝沢の家の場所知ってたのかは、わからないけど……。とにかく、わたしはこれ以上真犯人捜しなんて、しないから。あいつらみたいになったら、洒落になんないし。続けたいなら、お好きにどーぞ」
北川さんはそう言うと、足早に去っていってしまった。
「とりあえず、この後、麻生のいる留置所に行くべきだと思う。早瀬がいれば、面会させてもらえるだろうし」
「真犯人のこと、何か聞き出そうってこと? 無理だと思う。そんな簡単に真犯人のことを、言えるわけがない。聞いたって、麻生君を困らせるだけだ」
麻生君は、何か重大な秘密を真犯人に握られている。
そうでなきゃ、こんな意味不明なタイミングで、滝沢さんを殺しにかかる理由がない。
「……でもさ、やっぱり聞きに行った方がいいよ。直接しゃべってくれなくても、仕草とかで何かわかるかもしれないし、真犯人を捕まえれば、麻生君の気持ちも少しは晴れると思う」
それまでずっと無言だった巡谷さんが、何かを決心したように前を向いた。
そんな巡谷さんに、俺は根負けするしかなかった。
「……わかった。じゃあ、行ってみようか」
奥の扉から出てきた麻生君の顔は青かったが、こちらを見た瞬間、さらに青ざめたように見えた。
「お、お前っ! な、何しに来たんだよ⁉」
「少し質問をしに来た。……それ以外に何しに来るんだこんな場所」
日比野君が淡々とした口調で説明すると、麻生君は少し落ち着いたようだった。
監視官の目を気にしながら、俺は小声で、しかし麻生君に伝わるようはっきりとした語調で言った。
「真犯人は、一体誰なんだ? 誰が君に滝沢さんを殺すよう、差し向けたんだ?」
それを聞いた瞬間、麻生君は再び青くなり、がたがたと震えだした。
「口止めされてるんだよね? でも、答えられる範囲でいいから、何か教えてくれないかな?」
巡谷さんが優しく呟き、麻生君を見ると同時に、俺も真剣に麻生君を見つめた。麻生君は、一度大きく息を吸って、諦めたような溜息と一緒に言葉を吐いた。
「真犯人は、三カ月前の『あの事件』を動機に行動してるって、本人から聞いた。それ以上は、言えない」
三カ月前の「あの事件」――――。
この町の廃品の捨て場に埋もれた一つの死体が発見された事件。
死体は死後からかなりの時間が経過して腐りきってしまっていたので、ほとんど身元はわからなかった。行方不明者の申告も無く、そのため、死体を捨てた犯人が誰なのかもわかっていない。
その場で考え込む俺たちを残して、麻生君は奥の扉へと連れて行かれてしまった。
「嘘、だよ……」
そうぽつりと呟いたのは、巡谷さんだった。
「三か月前の事件が関係あるなんて……そんなの、嘘だよ……。だって、そんな……今さら…………」
「巡谷さん?」
俺が巡谷さんに問いかけると、彼女はこちらを睨みつけるような、だけど悲しい視線を向けた。
――ああ、あの頃みたいな眼だ。
そのまま、彼女は外へと駆けだしていってしまった。
……俺は、巡谷さんに大丈夫って、言いたかっただけなんだけどな。
「ね、早瀬。ちょっと……」
外に出た後、日比野君は深刻そうに俺を呼び寄せると、真顔で告げた。
「僕は今回の真犯人、わかった気がする」
心臓が跳ねた。日比野君が気付くとは正直思っていなかった。
そう、俺にも犯人はわかっていた。しかも、もう随分前から。
それを、人に言うことは出来なかったけど。
「今回のことを引き起こした犯人は、おそらく、『巡谷』だよ」
――――。
巡谷さんの顔が、頭に浮かんだ。
俺はそのまま、冷静に日比野君に問い返した。
「どうしてそう思うの?」
「僕は昨日、透明殺人について、出来る限り調べてみた。そうしたら、一回目の殺人で殺された探偵は、死ぬ前の間に巡谷のことを調べていたらしい。巡谷が、三か月前の事件の犯人じゃないかって」
「そのことと、さっきの巡谷さんの挙動のおかしさから、彼女が犯人じゃないかって疑っているの?」
日比野君は無言で頷いた。
「それだけじゃない。三回目に死んだ僕の兄さん、あいつは巡谷のこともストーカーしてた。これは、僕と巡谷くらいしか知らない情報だ。そして、五回目の滝沢も、巡谷のいじめ未遂の件がある。ほとんどの透明殺人に、あいつが関わってる」
「……じゃあ、日比野君は、巡谷さんが人を殺したって言うの?」
「そうだ。少なくとも、三カ月前の事件は、あいつが引き起こしたはず。死体を捨てたんなら、その原因を起こしたのは同一人物だと考えるのが妥当だし。あとは、このことを巡谷に問い詰めれば――――」
ここが人通りが少ない道で良かった。
俺が放心状態だったときに、日比野君はとっくに「いって」しまっていたようだ。
早く……けりをつけないと。
そう思った次の瞬間、スマホが鳴り出したので、心臓が止まるかと思った。
画面を見ると、案の定、相手は巡谷さんだった。
「もしもし……早瀬君? あの、さっきはいきなり出てっちゃってごめんね。それで、今すぐに、ちょっと会って話したいことがあるんだけど……」
俺はできるだけ、焦っていることを悟られないように言った。
「うん、わかった。じゃあ、『巡谷さんの住んでいる』アパートの屋上で、待ち合わせようか」
巡谷さんが了承するのを確認して、俺は電話を切った。
……大丈夫。やれることは、やった。
絶対、うまくいく。これで……助かる。
俺は片手でスマホをしまい、もう片方の手に持っていた、刃物を地面に放り投げた。
後ろ手に、ドアがしっかりとしまったことを確認して、俺はその先で待っていた巡谷さんを見据えた。
夕焼けの空を見つめる彼女の後ろ姿は、やけに浮世離れしていて、その美しさに俺は目を奪われた。
数分の後、俺の存在に気づいた巡谷さんが、驚いてこちらを振り返った。
「早瀬君……来てくれたんだね」
悲しみ、安堵、喜び、驚き、恐怖……。
そのどれとも取れる表情を、巡谷さんはした。
俺はそのまま巡谷さんに歩み寄り、しばらく向かい合った状態でいた。できればこの時間が、ずっと続くことを祈って……。
でも、それは不可能だ。そんなことをするために、俺はここに来たんじゃない。
「それで? 俺に何の用があるの?」
巡谷さんは、俺から視線を外すと、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「早瀬君……君は、何をしようとしているのかな……」
言葉こそからかっているように聞こえるが、しっかりとした確信が込められている。
「それは……俺が、これから何をしようとしているのか、ってこと?」
「それも……だけど、今までのことだよ……。君は、何がしたいの? どうして……こんなことしたの?」
残念ながら、俺の予想通りの結果になってしまったようだ。
さすが、巡谷さんとしか言いようがない。
俺は、巡谷さんの質問には、答えずにいた。
俺の態度に、痺れを切らしたらしい巡谷さんは、訴えるような声をあげた。
「透明殺人の真犯人は、君だよね? 『早瀬君』」
○巡谷side
父が多額の借金を残して、家から出ていくと言い出したのは、どれくらい前だっただろうか。
それを聞いて、私が覚悟を決めたのはいつだっただろうか。
過ちを犯してしまった私に向かって泣きじゃくる母と共に、廃品置き場に父の死体を埋めに行ったのは、父を事故死したという事にしたのは……。
ただ、今憶えているのは、早瀬君が私に頻繁に話しかけてくれるようになったのは、そのころからだったということだ。
彼が探偵だという事を知り、私は少し身構えたが、それ以上に、私に話しかけてくれた彼に、私は惹かれていった。
やがて、彼に私のやったことがばれたら、潔く諦めようと思い始めるようになっていた。
それくらいの力は、彼にあったし、何より、こんなに近くにいたら、いずればれるであろうことは、私にもわかっていた。
みんなで事件を振り返った時に、私は透明殺人の被害者たちが、全員私に関係ある事に気が付いた。もともと、三カ月前の事件の負い目から、ニュースはあまり見ないようにしていた。もしあの事件のニュースが流れたらと思うと、本当に気が気でなかった。私を疑っていた探偵、借金取り、謎のストーカー男、水崎先生の元カノは、父が生前、母と私に秘密で身籠らせた人だった。そのせいで、父が死んだ後も、よく家に、言い寄りに来ていた。そして、最後に、滝沢さんのいじめ。
一人死ぬごとに、私の生活は快適になっていった。だからこそ、私には真犯人の意図がわからなかった。そして、麻生君の言った「三カ月前の事件が動機」である事を聞いて、私はさらに混乱した。
しかし、私はそこである事を思いついた。一回目に殺された探偵の友人だった早瀬君は、その探偵が私を怪しんでいたことくらい知ってたんじゃないかって。
むしろ、私と同じクラスにたまたまいた早瀬君に、その探偵が協力を要請しないわけがないって。
さらに私は、そこで昨日の帰りのことを思い出した。彼が帰り際、麻生君と、何か重大な話をしていたことを。
ただの推理小説マニアの推理でしかなかったけど、「三カ月前の事件が動機」だということもあって、私は考えを行動に移した。間違いならそれでよかったし、間違いであってほしかった。
だから、私は、彼の本当の考えを見抜くことが出来ていなかった。
◎早瀬side
俺がこの事件を起こす覚悟を決めたのは、いつだっただろうか。
確か、友人の探偵から、巡谷さんが三カ月前の事件の犯人であると言われると同時に、そのことを巡谷さんに問い詰めてほしいと頼まれて、数日経った後のはずだ。
その当時、巡谷さんは俺にとってただのクラスメイトでしかなかった。
いきなり、事件の話で問い詰めるのも警戒されると思った俺は、とりあえず、彼女と仲良くなるところから始めてみた。
母子家庭である事。
父の残した借金や、いじめで大変であるという事。
推理小説が好きである事。
意外と周りを気にかけている事。
彼女と話せば話すほど、俺は彼女のことを知っていき、その度に、事件のことを問い詰めづらくなってしまった。
そして、彼女の家庭環境から考えても、このことはこれ以上触れない方がいいのではないかという結論に至った。
こんなことを言ってしまったら、探偵失格かもしれないが、でも、暴かれない方がいい真実もあるんだと、その時の俺は思った。
だが、ことはそう簡単には済まなかった。もちろん友人探偵は、そんな俺の甘い考えは全否定し、代わりに自分で巡谷さんを問い詰めると言い出した。
それを聞いて、俺は、その探偵を殺してほしいと依頼する覚悟を決めた。
そして、その時に誓った。
俺が、絶対に巡谷さんを救い出すと。
彼女の周りにいる、彼女を苦しめる存在を、全て俺が消し去ると。
また彼女が、同じように手を血で染めてしまわないように……。
「なるほど。君はわかっていたんだね。でもさ、だったら、君がここに来たのは、間違いだったと思うよ」
「……え?」
屋上の唯一の扉には、さっき鍵をかけた。
このアパートは十階建て。飛び降りるのには無理がある。彼女に逃げ場は……無い。
「俺が、透明殺人の犯人たちを唆せたのは、探偵という力あってのことだ。俺が探偵である事、そして事件に関係あると言えば、大抵の人は俺に他人の情報を教えてくれた。麻生君にも、そうやって滝沢さんを殺させたんだよ。もちろん、三カ月前に君が実の父親を殺して、廃品置き場に捨てたことも知っている」
俺は懐から、二つのナイフを取り出した。巡谷さんが、恐怖に顔をこわばらせる。
二つのうちの一本を、巡谷さんに渡しながら、俺は狂った笑顔でこう言った。
「君に殺してほしい人がいるんだ、巡谷さん。もしも言う事を聞かなかったら、その時は…………わかっているね?」
ごめん、巡谷さん……。たぶん、君の推理力なら、俺が犯人だと気づいてしまうんではないかと警戒していた。
だから、これは、仕方のない奥の手なんだ。
「ねえ、お願いだよ、巡谷さん……」
巡谷さんが、しっかりとナイフを握ったことを確認した後、俺は大きく息を吸い込んだ。
ここまできて、今、一番彼女にとって迷惑となる存在。
そんなの、わかりきっていた。
俺も、もう一つのナイフを握りこみ、巡谷さんに向けながら、彼女に突進した。
「俺を、殺してくれ」
鉄の刃が、腹にえぐりこまれる。
紅い液体が、噴き出す。
巡谷さんの顔が、ぐしゃぐしゃになっているのが見えた。
もう、そんな顔しないでよ。
ようやく、君は自由になれるんだから。
これで君は、正当防衛だ。
俺が死んだら、透明事件の真犯人を明かすように麻生君にも言ってある。
三カ月前の事件も、死んだのは、俺の知り合いで、犯人も俺だっていう嘘を、麻生君には吹き込んだ。それを隠し通すために、今回の透明殺人を起こしたって、麻生君には、最初から嘘を吐いておいた。
証言だけでは怪しまれるという保険で、日比野君も殺した。
俺の指紋のついた凶器も、わざと現場に残した。
まあ、あれは、巡谷さんのしたことを隠し通すためでもあったけど、結果的にはプラスに作用した。たぶん、三カ月前のことを知られた俺が、口封じのために殺したってことになるはずだ。
もう、大丈夫。
全てうまくいった。
ただ一つの気がかりは、もしかしたら、巡谷さんが、俺の目的の全てを、わかってしまうんじゃないかってことだけかな。
意識が薄れていく。
巡谷さんが、俺の名前を呼んでいる。
君にこんな酷いことさせて、ごめんね。
でも、君のことは、どうやっても守りたかったんだ。
○巡谷side
もう、動かなくなってしまった早瀬君を見ながら、私は、彼がこんなことをしてしまった理由を探し、何度も同じ結果に辿り着くたび、そんなわけない、あるわけないと頭を振った。
でも、他の理由を考えつける程、私の頭は良くできていなかった。
「私はさ……苦しくても、辛くてもいいから、早瀬君と一緒にいたかったよ……」
夕暮れの屋上に、私の泣き声が、延々と響いていた。