グレイウルフの討伐
ルカナンの街近郊に出没する狼系のモンスターはグレイウルフである。群れで行動する習性を持ち、その群れは8匹から時には30匹を超える大規模な集団を構成する。群れは強力な雄が統率しており、群れの規模が大きい程、その群れを率いるリーダーの強さは比例すると言う。幸い、馬車を襲った群れは10匹程度とあまり多くはないものの、常に移動しているため本日中に捕捉することは難しいだろう。念のため、3日分の携帯食を隊員に携行させる。3日というのは機動力を優先させ、所持する食料を最低限に考慮するとともに、3日しても見つからない場合は、街の警護エリアからモンスターが出ていったとみなし、捜索を一時終了するのである。
エドはプラナタリア隊が初のモンスター討伐になるため、不安を隠せないでいた。指示をする言葉も知らぬうちに普段では使わない強い口調になってしまう。そんな若き隊長を見ながら、最年長であるロドは率先して隊員に指示を出し、影から隊長をサポートしていた。
「隊長、警備犬が匂いを発見したそうです。」
今回、レイから屋敷の警備犬を借りて捜索にあたることを進言したのもロドであった。正直、この広大な捜索範囲の中で移動する獲物を捕捉するのは大変なことであるとエドは焦っていた。そこにロドの提案は一筋の光明をもたらすものであった。
警備犬は一度主人と決めた者以外の命令を受けないように調教されており、レイの隊から専門の兵士ごと今回の討伐に2名、借り受けている。どちらの犬も若いがその分捜索意欲は高く、現場周辺をスンスンと嗅ぎ回っていた。
一度、匂いを探し当てると、犬たちは強い力で手綱を持つ兵士を引っ張っていく。しかしその先は見渡す限りどこまでも続く広大な大麦畑であった。
「このまま馬に乗ってはすすめねえ。どうする隊長?」
バンの言った通り、このまま馬に乗っていては、畑の土に足をとられて馬に怪我をさせるかもしれない。
そのリスクを考えれば、馬はこの場に残しておくのが最善だろう。
「ロレンス、お前の弓はこの大麦畑では有効に使えない、悪いがここで皆の馬を見張ってくれ。」
「わかりやした。それにおいらは背が低いから自慢の目も大麦で隠れて使えねえ、ここで隊長の帰りを待っときやす。」
「最長で明日の晩、それまでに俺たちが戻らなかったら、ルカナンへ引き返して、レイへ報告してくれ。」
「わかりやした、気を付けて。」
警備犬の兵士2名を含め、7名での捜索が始まった。収穫期を迎えた長さ150センチは届く麦の間を分けて入っていく。大麦ごとモンスターを全て燃やしてしまいたい、という衝動は疲れからくるものなのか、それとも焦りからなのか、エドは皮の水袋に口づけるとぬるい水で喉の渇きを潤した。
警備犬を先頭に、捜索隊は大麦畑の奥へ入っていく。1時間程捜索しただろうか、かなり奥へと進んでしまっていた。街道からだいぶ離れてしまったようだ。しかし、そのかいもあってグレイウルフと思われる複数の足跡を警備犬が見つけていた。
「近くまで来たみたいだな。」
うずくまって足跡を確認していたロドは振り返るとエドに話かけた。
「問題はもう日没ってことか…。」
エドが空を仰ぐと遠くの雲は夕暮れに染まっていた。西へ沈みつつある太陽は大麦の穂を朱く染めて、肌寒い風がさらさらと揺らしていた。
アオーン
近くはないが、さして遠くもない距離からこだまするグレイウルフの遠吠えであった。
警備犬が遠吠えに触発されたのか、やかましく吠えだした。すぐに衛士が宥めるが異常に興奮しており、なかなか吠えるのをやめない。エドは嫌な予感がしていた。
「我々の位置は奴らに把握されたと思って間違いないだろう。」
休憩と夕食を兼ねた食事である硬い乾燥肉をナイフで削りながらリックは呟いた。
そのまま塩気の利いた肉と堅焼きビスケットを交互に頬張る。仕上げに革袋から水を大量に腹に流し込む。これで少しは腹の唸り声も落ち着くだろう。
グレイウルフ、奴らは鼻が利く、鉄と人間の体臭、思えばエドの体は慣れない緊張からか汗をかいていた。髪は脂でしっとりとべたつき、早く街へ戻って湯浴みをしたいとふと頭に浮かんだ。錬成館の粗末な浴槽と湯気の立ち込める浴室、従士になって初めて湯浴みというものを体験した。誰もが早く街への帰還を望んでいた。
空には月が出ていた。幸いなことに今夜は満月であった。銀色に輝く月は大麦畑を昼間のように照らしていた。
「ここで迎え撃つ、今夜でけりをつけるぞ」
エドの言葉に従い、ロドはメンバーに細かい指示を伝えていった。
モンスターの数は味方より多い、少しでも数を減らすために罠を仕掛けるのだ。
虎ばさみと呼ばれる無骨な金属でできた罠であった。罠の中央に仕掛けがしており、そこに足を踏み入れると周囲にギザギザの刺”とげ"がついた金属板が作動し、獲物の足を強力に挟みこむ、刺さった刺からの出血により獲物を弱らせる凶悪な罠であった。虎ばさみに捕まえた野ネズミから絞った血をたらす。血で鉄の匂いをごまかすためだ。
戦場となる場所を確保するため、エドは自慢の長剣で周囲の大麦を刈り取っていく。エドが剣を振るう度に面白いくらい視界が広がっていく。半径50メートル程の円状のフィールドを確保することができた。終いに刈り取った大麦の藁を中央で燃やし、モンスターを誘うため、野ネズミの死体を入れて焼く。周辺に肉の焼ける匂いが漂いだした。
大麦が燃える音と風に揺れる大麦の穂のさらさらとした音、それらの音を打消してしまうかのような心臓の鼓動をエドは感じていた。長剣を握る手は汗で湿っており、何度も柄を握り直す。
やがて、周囲の大麦が風とは別の方向に音をたて始めた。
サーチ
リックが放った無属性の魔力の波は周囲の状況を正しく使用者に伝えた。探査魔法はリックの脳内にフィールドを取り囲む15匹のグレイウルフの姿を表示した。
「囲まれているぞ、全部で15匹だっ。」
その言葉を皮切りに、大麦の間からグレイウルフが躍り出てきた。狙いは間違いなく相手の喉元である。
エドは無意識に体内の魔力を循環させると、常人では捉えることができない速さで剣を振るう。
獲物は大きい分、当てるのには苦労しなかった。エドが剣を振るう度、グレイウルフだった肉片が大麦の穂を血で赤く染めていく。
エッジは自慢の槍をモンスターに繰り出しながらも常に周囲に気を付けていた。グレイウルフ1匹の相手くらい余裕であるが、油断ならないのが複数の敵であること、同時に多方向から相手をするのであればその脅威は一気に膨れ上がる。もう1匹を相手にするまでに今の相手を殺す。それが必勝法であった。通常であれば1対1に持ち込むのが普通であるはずなのだが、隣で戦う者は何者なのか…。同時に2匹のモンスターを切り捨てるエドを見つつ、思わず笑が込み上げるのを抑えるのでいっぱいになっていた。
「さすが、従士様ですわ。」
俺もこんな強者になりたい。それがエッジの本音であった。
虎ばさみに掛かった最後のグレイウルフにとどめをさすと、周囲は静寂に包まれた。加速していた心臓の鼓動が治まり、通常の音を刻んで行く。
誰かが唐突に笑い出した。それは魔法にかけられたかの様に全体的に笑いが広まって行く。
「プラナタリア隊の勝利だ!」
エドは大剣を夜空に掲げた。
歓声が夜空に吸い込まれていった。まるでグレイウルフの遠吠えのような歓声であった。
その歓声は遠く馬の見張りをしていたロレンスまで届いたという。
月は西に傾いており、すでに深夜になっていた。
どうせ陽が登らなければ門は開かないのだ。ここは野宿と諦め、だらだらと周囲の撤収をはじめる。
8つ仕掛けた虎ばさみには2匹のモンスターが掛かった。結果は上々である。グレイウルフの討伐証明は2本の尖った犬歯で素材には毛皮が使える。しかし、集団戦で素材回収まで意識せずに戦ったため、売れそうな毛皮は虎ばさみに掛かった2匹のみとなった。結局のところ皆、初めての集団戦で余裕がなかったのだ。売り物にならない死体はそのまま火にくべられた。リックに再度捜索魔法を使ってもらい周囲に討伐漏れがないか確かめると、街道で帰りを待つロレンスの元へ戻っていくのであった。