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CAT:06 笑う招き猫(ラフメイカー)

 日の落ちかかる道路を、影法師が歩いてゆく。

 アタシを縦に引き延ばしたような形の影が、等間隔を保って後ろに続いていた。前を行く影は、私に気付かず、振り返ることもなく、どこかへ向かって歩みを進める。着ているものこそ同じ。だが、こうして後ろから見ていると、それとオトノハはまったく違っている。

 オトノハより全体的に一回り小さな身体。特に手足が細く、やけに生っ白いのが目につく。その手足を規則正しく、小さく動かして、無駄な動きをほとんど見せずに歩いてゆく。誰かさんのように、途中で見かけた猫やらイヌやらスズメやらに気を取られ、足を止め、指をさし、あまつさえ走り寄ったりすることもない。そうしながらも一方、辺りを注意深く観察している。

 アタシたち猫も様々だが、ニンゲンというのも一括りにはできないものだと思う。ナユキとオトノハでも、全然違うのだ。

 トキコ。オトノハには確か、そう呼ばれていた。あの日、ともだちだといって、クスザワショウテンに連れられてやって来ていたメスだ。デブ猫の臭いを漂わせていたメスだ。

 なぜこいつから、そんな臭いがするのか。アタシは確かめる必要がある。

 ガッコウを出たときには、他に何匹かのメスと連れ立っていたが、今はひとりだ。追跡するには都合がいい。

 オトノハ家への帰り道からは、かなり外れた場所まで来た。クスザワショウテンのある辺りは、家が軒を並べていてごちゃついているが、この辺りは家と家との間に田畑やら樹木があって、何やら広々とした印象を受ける。家の一つ一つも、心持ち大型のものが多いように思えた。

 前を行く影が足を止めた。アタシは手近な木に身を隠し、様子を窺う。

 全体に白っぽい、屋根の高い家の中に、メスは姿を消した。どうやらそこが、トキコとやらの住処であるらしい。

 トキコが再び飛び出してこないのを確認して、アタシは恐る恐る近付いた。塀の下まで移動する。本体と同じ白い壁で、ところどころに黒っぽいツルツルしたものが填っている。塀沿いに、トキコが消えた出入り口まで進んだ。臭いを探る。やはり間違いじゃない、と確認する。

 入り口の柵は閉じられている。が、その隙間は、アタシが通るには充分すぎた。隙間に身体を滑り込ませる。こちらグレイシー、目標地点への潜入に成功。これより探索を開始する、オーヴァー。

 素早く周囲を確認。ニンゲンの気配も、お仲間の気配もない。柵からは茶色っぽい道が真っ直ぐ家までやや傾斜して続いている。そこ以外は土のようだった。ニンゲンが並べ敷き詰めたアスファルトやら何やらはアタシたちの姿をそのまま浮き彫りにするが、土はアタシたちの臭いを、足音を、存在を消してくれる。アタシたちとそれを取り巻く周辺を、一つのものに引っくるめてくれる。アタシは道を外れ、土の上に脚を降ろす。

 ぐるりと、家を回った。

 下から潜り込めそうなところはない。いや、正面の扉らしき場所の下に、くぐり抜けられそうな小さな穴があったが、そこを通るのは危険だと、アタシの勘と乏しい経験が告げていた。特に臭いが強い場所だったのだ。そこは。

 慎重に、もう一度裏に回る。アタシにはよくわからない色々なモノが整然と並んでいる。それらを足場にして、上へ登ることは、容易であるように思えた。

 太い管が繋がった箱に飛び乗る。そこから、アタシが百匹乗っても大丈夫そうなもう一段高い大きな箱に飛び移る。振り返ると、窓があった。

 アタシは身体を震わせる。猫が、こちらを見下ろしていた。

 しまった、と思った。身構え、逃げる準備をする。だが、そいつはにやついた顔のまま、動こうとしない。

 ようやく気付いた。違う。こいつはつくりものだ。

 よくよく見れば、似せてはあるが、アタシたちとはまったく違うものだった。何というか、身体のところどころがむしろニンゲンに近い。ニンゲンのような笑みを浮かべ、後ろ脚だけを地につけて、右前脚を耳の横まで上げたポーズで固められている。猫でも、ましてやアタシが恐れているアイツでは、まったくなかった。

 大きく息をつく。脅かしやがって、ちくしょう。心のうちだけで、悪態をつく。

 帰ろう。そう思った。これが、アタシの現状だ。ヤツの幻想に怯え、よく似たつくりものにすら脅かされて、いやらしい笑みを向けられても、胸の裡で罵声を浴びせかけることしかできない。そんなアタシに、何ができる?

 アタシは地面に降りた。とぼとぼと正面へ戻る。

 どうして来てしまったのか。後悔で、胸がいっぱいになる。答えはわかっている。慌てたのだ、アタシは。オトノハがあのメスを連れてきたとき。そしてそのメスから、デブレディ・ファッティーの臭いがしたとき。

 奪われると思ったのだ。自分の居場所を。アタシの居場所を。

 それほど時が経ってもいないのに。そうして手に入れたモノを、アタシは守りたいと思っている。だからこうして、突き止めに来たのだ。

 だけどもう、どうでもいい。どれが現実だろうと。最悪のことが事実だろうと。変える力も手段もないのだ。アタシには。

 ただ流されていくだけ。風の中を舞っているだけ。いいじゃないか。何も変わらないじゃないか。今までと。

 アタシはひとり。生きられる場所で、生きていけばいい。それでいい。

 あの日オトノハがアタシを見つけなければ。ナユキが助けに来なければ。

 きっとそこで、終わっていたのだ。それに比べりゃあ、よっぽどいい。

 身体を伸ばして柵を潜る。一度だけと思い、振り向く。

 背筋が、凍りついた。

 入り口の下側。小さな小窓を潜って、白い毛並みが姿を見せた。アタシの三倍はありそうな巨体。頑強な肉に覆われた太い四本の脚。

 デブ猫(レディ・ファッティー)が、一跳びの距離を挟んで、アタシの目の前にいた。

 アタシの記憶が確かなら。デブ猫は、首輪をしていた。そうして、ニンゲンのメスからそのデブ猫の臭いがする。

 そこから予想がつく解答は、ただ一つ。

 トキコは、デブ猫の飼い主だ。そしてここは、ヤツの飼われている家だ。

 デブ猫は悠然と、扉の前でこちらを見つめている。その瞳には、明らかな悪意が篭もっている。八つ裂きにしてやろうか。そう問いかけられているのが、嫌でもわかる。

 アタシは逃げ出したいと思っている。けれども、脚が動かない。背は強ばり、全身が小刻みに震えている。尾が、両脚の間に隠れる。間に柵があるものの、アタシには、何の防壁にもなっていなかった。

 腹を見せたい欲望に駆られる。だがアタシの中の何かが、それを必死に押し止めていた。

 オトノハ。ナユキ。クスザワショウテン。

 四肢を突っ張り、震えを抑え込む。それから顔を上げ、デブ猫を見返す。

 睨みつける視線を、真っ直ぐ受けとめた。

 どれくらいの間、そうしていたのか。

 デブ猫が動いた。ゆっくりと、柵の前までやってくる。それから身体で、軽々とそれを押し開けた。

 アタシを一瞥する。それだけで、デブ猫はまた、悠々と歩き始めた。

 アタシはそちらを見ることもできず、ただその場で固まっていた。

 脚が自然と落ちる。アタシはへたり込んだ。デブ猫の姿は、もうどこにもなかった。

 助かった、という思い。それから、勝った、という思い。ない交ぜになった色々な思いが、一挙に流れ込んでくる。

 そうだよな。アンタにとっちゃあ、ココは大切な居場所だ。大事には、したくないよな。

 そこでようやく、アタシは気付いた。

 偶然ではあったけれど。ここにやってきて、デブ猫に姿を見せたことで、アタシはヤツに一撃を浴びせたのだ。アタシなりの宣戦布告。力の差がありすぎて、笑い話にしかなりゃあしねえが。

 それでもまあ、いいだろうさ。

 窓から見た、つくりものの笑みがふと、浮かんだ。

 ニンゲンどもにどう聞こえるのか知らないが。アタシは声を上げて笑った。


 日の落ちた夜道をアタシは帰る。知らない道から、いつもの道へ。おぼつかない脚を動かし、いつもよりたっぷり時間をかけて、アタシは帰る。

 見覚えのあるベンチ。クスザワショウテン。シャッターは降りている。その前に、大きいニンゲンと、小さいニンゲンが佇んでいる。

 アタシを認めた小さいニンゲンが駆け寄ってくる。アタシを抱きしめる。持ち上げる。大きく揺らす。

 その揺れがどうにも心地よくて。アタシは一鳴きしてから、まぶたを閉じた。


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