CAT:04 埋まらない空白(ホワイトカンバス)
オトノハがガッコウとやらに出かけはじめてから、ナユキと家にいることが増えた。
闇が明けかけた頃に神社か庭か縁側からアタシが戻った頃に、ナユキが起きてくる。大抵起きているのやら寝たまま歩いているのやらわからない動作で顔を洗い、トイレに立つ。ドアは、開け閉めするたび軋んだ音を立てる。
朝食をつくりはじめる。台所に積み上がった紙の束からはナユキの努力が見ては取れる。それらが結果に直結すると限らないことは、アタシも知ってのとおりだし、ナユキもきっとそう思っているだろう。手つきは猫のアタシから見ても危なっかしく思えるが、それでもいつも何となく、朝食ができあがる。アタシにとってこの世の中に不思議なことはごまんとあるが、ナユキの料理も、その一つだ。
ナユキがまだ眠っているオトノハを起こす。オトノハの覚醒は早い。ナユキと同じように顔を洗い、トイレを使ったあとは、もう普段どおりの元気そうな顔をしている。
朝食を採る。これも大抵、オトノハが早い。ナユキは、のろのろ食べる。アタシも皿に分けられた自分の朝食を貪る。アタシとオトノハが食べ終わるのが、いつもだいたい、同じくらい。
ごちそうさまでした、と大きな声で言うと、洗面所へ行ってひとりで、歯を磨きはじめる。はじめの頃はナユキがついてやっていたが、それだとガッコウに遅刻するということで、今ではオトノハがナユキを放って、ひとりでやる。
以前撮影会を開いていた服に着替える。ボタンを留めるというのが、オトノハには難しいようだ。ようやく朝食を終えたナユキが、それを手伝う。この服を着るとき、オトノハはいつも忙しそうだ。
大きな赤い鞄を背負う。玄関に向かう。のろのろとナユキが後に続く。いってきます、とやはり大きな声が響く。オトノハが家を出ていく。そうするともう、夕方くらいまで帰ってこない。
ナユキがテーブルの片付けをはじめる。そしてアタシは、一度目の朝寝をはじめる。
この家の朝は、この頃だいたいこうして、はじまる。そしてアタシとナユキだけになる。
アタシが目を覚ますと、ナユキは家にいない。今までなら退屈したオトノハがアタシを抱き上げに来たり、ボールを転がしに来たりするのだが、この春は平穏な時間を満喫できている。部屋の中から見える庭の景色は覿面に色数を増やし、冬の間の沈黙を取り戻そうとしているようにも思える。いや、取り戻したいと思っているのは、アタシだろうか。
アタシの行動は、ここから、三つに分かれる。神社に行くか、庭に行くか、ナユキのところに行くか。今のところ、アタシの行動範囲はそれだけだ。
ナユキのところに、行くことにした。部屋を横切り、廊下に出る。廊下をずっと進むと小さな、細い玄関に着くが、そこから右に目を向けると、何とも形容しがたい空間にたどり着く。
とにかく、たくさんの物が並んで、床と壁を埋め尽くしている。美味そうな匂いがする物もあるし、妙な匂いがする物、何の匂いもせず、いったい何なのかわからないような物もある。それらが整然とといっていいのか雑然とといっていいのかは疑問だが、とにかく並べられている。細かい部分を見れば、例えば一番入り口に近いところには小さな透明の箱がぴっちりという感で真っ直ぐ並んではいるのだが、その箱の中身はといえば、例えば丸いボールのような物だとか、美味そうな匂いのする茶色の串だとかが、それはもうごちゃごちゃと詰め込まれている。どれもこれもが、そんな感じだ。
一番奥、というか家に近い部分に一畳間があって、その場所にナユキが腰を下ろしている。アタシはその隣まで歩いていくと、丸くなり、二度目の朝寝をはじめる。ナユキは、何も言わない。ナユキが叱りつけるのは、アタシが並べてある何かに脚を伸ばそうとしたときだけだ。
最近新しく増えたアタシの居場所。家の続きだけれども、家とは違う。ここは、クスザワショウテン、と呼ばれている。
クスザワショウテンには、様々なニンゲンがやってくる。朝方は、年寄りが多い。ヤツらは一人一人でやってくるのだが、そうしているうちにいつの間にやら群れになる。そうしてクスザワショウテンの表に出してあるベンチや、ナユキのいる一畳間に腰を落ち着けては、色んなことを喋り、たまに小さなカンカラと並べてある何かを交換して帰っていく。ナユキは小さなカンカラをテーブルの下にある金属の箱に仕舞う。年寄りたちの多くはなぜかナユキをニダイメと呼ぶが、どうやらそれもナユキのことではあるらしい。ニンゲンの、この呼び名をころころ変えるやり方は、いまだによくわからない。そういえば近頃、オトノハがアタシのことをグレコチャン、と呼ぶことがある。アタシにつけられた名前は、確かグレイシーのはずだ。だからアタシは、そう呼ばれても決して応えはしない。応えてなぞ、やるものか。
昼頃になっても年寄りは多いが、他のニンゲンも増える。ニンゲンたちとナユキのやり取りも増える。よく聞くのがインカンとかリョウシュウショとかリレキショとか、他にはガヨウシとかエノグとかネンドとか、コピーヨウシとかディーブイディーロムとかユーエスビーメモリとかで、それはここに並べてあるどれかのことらしかった。そしてナユキはその度にカンカラと、時には紙片を受け取って、箱の中へ溜め込んでいく。そんなのを聞きながら、アタシはうつらうつらとしている。
ナユキがアタシの背を二度叩くと、昼飯の時間だ。ナユキは弁当の包みを開け、いつからか備え付けてある皿を取りだして、缶詰の中身を盛る。オトノハがガッコウへ行き始めてから、アタシの昼飯はもっぱらコレになっている。美味いのであまり文句はないのだが、たまには変化もつけろとは思う。何が出てくるかわかっているというのは、楽しみが削がれる要素ではある。
そうだ。認める。近頃アタシは、ここにいるのが、楽しいのだ。
アタシは今、平穏と安心に包まれている。常に周囲を警戒することも、空腹に苛まれることもなく、ただ眠り、喰い、散歩することだけのために生きていられる。これまでに、なかったことだ。
当初は、その感覚に戸惑いつつあった。だが二日経ち、三日経ち。時が経過するにつれて、アタシはそれに慣れていった。慣らされていった。
そして今ではアタシは、平穏と安心から来る退屈というものを感じつつある。常に何らかの楽しみを感じていなければ、不満を抱くようになりつつある。
アタシの脳内のどこかが、警鐘を鳴らす。このままではいけないと、強く呼びかける。
だがアタシは今日も平穏と安心に負け、ナユキの隣でネコカンとやらを貪り、一度目の昼寝を敢行しようと目論んでいる。
街中を歩くのも、苦にはならなくなってきた。餌場に顔を出さなくなったためか、縄張りを守ろうとしていた猫たちの警戒が、緩くなったのだ。アタシがナユキ家の飼い猫に堕ちた、ということも認知されてきたのだろう。以前のようにつけ回されたり、取り囲まれたりすることは、もうないのではないかと思う。それでも、アタシがここらのボスを敵に回したままであることは、変わらないが。
神社に行けば、三度に一度くらいの割合で、ワガハイに会う。そのときにはやはり神社の屋根の上で、話をする。中身があることは少ないし、ワガハイの返答は半分方アタシには理解できない。それでも、話ができる相手がいる。幸せだった。
ここにいるのが、楽しかった。ここにいるのが、幸せだった。
アタシがいう「ここ」とは、この世界のことだ。
そんな場所でないと、知っているはずなのに。
クスザワショウテンに来るニンゲンどもとナユキの間で、オトノハの話題がめっきり増えた。原因は、ナユキの側にある。話を持ち出すのが、ナユキだからだ。ガッコウに通いだしたオトノハが、心配でたまらないらしい。
ナユキやジョウレンの年寄りたちによると、オトノハは「あぶなっかしい」子どもであるらしい。確かに、オトノハはじっとしていることが苦手だ。いつも動き回り、常に何かをしようとしている。それも考えてそうしているかといえば、そうでもない。だいたいは、アタシたち猫以上に考えなしに、本能のまま、思いつくままに行動を起こしているとしか思えない。
そうして多くの場合は「失敗」をする。オトノハは、「失敗」を認めない。言い訳をする。否定されても、矛盾を指摘されても、延々と言い訳をする。そういえば、アタシを拾ってきたときも、そうだった。
そういうところも含めて、「あぶなっかしい」し、心配なのだと、ナユキは言う。
馬鹿馬鹿しい、とアタシは思う。
アタシから言わせてもらうなら。ニンゲンのいう「失敗」というのは、起こって当たり前のことだ。誰だって、生まれたときは、まっさらだ。そこから少しずつ、色んな行動を起こして、まっさらなところに、色んな経験を、知識を積み重ねていく。その過程で、思っていたこととは、違うことが起こる。それは必ず起こる。
ニンゲンはそれを、失敗という。
違うことが起こる。そんなことは、当たり前だ。こっちは、そのことに関しては空白なのだ。何が起こるかなんて、想像できるわけがない。想像できたとして、何とかできるわけがない。
それを繰り返して、経験と知識を積み重ね、空白を埋めていくことはできるだろう。だが、その空白は限りなく広がっていて、埋められる部分には限度がある。そして空白は、アタシたちが埋めた部分さえ浸食しようと、常に監視し、穴を穿つ機会を狙っている。そしてアタシたちが新たな地歩を獲得しようとするとき、そこは常に、空白なのだ。
そうして空白に破れた者たちの一部が、大怪我をしたり、命を落としたりしたりする。それを埋めるようにまた、世界には新たな命が生まれる。そういうふうに、できているのだ。アタシの知る限り、この世界とは、そういうものだ。
アタシも空白を埋めてきた。そして今、ようやくこの家と、街の一部にだけ居場所をつくることはできた。だがアタシだって、運が悪ければ、その過程のどこかでくたばっていたかもしれない。その可能性は、少なくなかった。そうして埋まった部分だって。いつまで安全かは、決してわかりはしないのだ。
失敗しないニンゲンってのは、何もしないニンゲンのことだ。そしてそいつらだって、いつかは死ぬ。
オトノハはオトノハのままでいいじゃねえか。アタシは思う。危なっかしかろうが何だろうが。アイツは必死で、空白と戦い続けているのだ。アイツがナユキみたいに落ち着けないのは、きっとそのためなんだ。それに、アイツが失敗を認めていないとは、アタシは思わねえけどな。
もっと気楽に構えな、とナユキに言ってやりたい。こんな時は、言葉が通じないのがもどかしい。だがまあそれも、仕方のないことだ。
アタシが一鳴きして、ナユキがこっちを向いたのと同時に、ただいま、という大声とともに、ベンチが置かれた入り口からオトノハが飛び込んできた。
テーブルに跳び上がって見てみると、オトノハの後ろに同じ格好のメスがいる。
ともだち、というオトノハの言葉と同時に、頭を下げた。
オトノハが笑っている。ナユキも笑っている。幸せそうに見える光景だった。
ただしアタシには、気になることが、一つ。
そのメスからは、デブ猫の臭いがした。