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CAT:02 荒ぶる街角(ワイルドバンチ)

 アタシがここに来てから、たぶん二週間くらいが過ぎた。

 ニンゲンのサイクルってのはいまだによくわからない。が、それでも来たばかりの頃よりはわかるようになった。日が昇って、沈む。これで一日。これが七日続くと、一週間。なぜ七日なのかは、わからない。わからなくても、問題ない。世の中には、そんなことがたくさんある。本当は、知っておいた方がいいのかもしれない。わからない。問題があったと気付くのは、大抵は手遅れになったときだ。

 世の中には、そんなことが、たくさんある。

 アタシは色々学んだ。大きいニンゲンは名前をナユキ、小さいニンゲンはオトノハということ。クスザワサンと呼ばれることもあること。ナユキとオトノハでは、大抵の場合ナユキのほうに主導権があること。

 家と庭の間にある、ニンゲンたちが餌を持って出てくる場所をエンガワということ。ナユキは餌をエンガワまでしか持って来ないが、オトノハは、雨でなければ必ず庭まで降りてきて、必ずアタシを追っかけ回すこと。餌は、やっぱりニボシとミルクが旨いこと。ネコマンマとやらは、決して食わないと決めたこと。

 家の中は、四つの場所に分かれていること。ダイドコロという場所には、たまに旨いものが転がっていること。ニンゲンは、アタシが家の中で何をしていようとあまり気にしないが、エンガワから入ってすぐの、ブツダンと呼んでるところだけは、触るととても怒ること。

 ほかにも細々とした様々なことを、アタシは学んだ。今のアタシにとって、知ることは生きることに繋がる。だから重要だし、それに、楽しくもあった。

 アタシは貪欲に、知識を吸収する。手遅れを、ほんの僅かでも遠ざけるために。少しでも、安心したいがために。


 もちろん、住み着いたわけじゃない。

 レディ・ファッティーに手酷くやられてから、アタシが満足に動けるようになるまでには二日かかった。三日目の朝、療養の必要はないと判断したアタシは、そそくさとニンゲンの敷地を去った。たった二日。されど二日。何もせずとも餌が出てくる。そんな環境に、アタシは早くも慣れ始めていた。一時でも早く野性を取り戻し、この街で己の餌場を確保しなければならない。それには、ニンゲンたちとの共同生活は邪魔だった。

 ボス猫とその一党に出会わぬよう、アタシは慎重に餌場を漁った。近付く前に、まず匂いと気配を探る。そうして、誰もいないと確信できた場合のみ、足を踏み出す。大抵ろくなものは残っていないが、食えるものがあれば、それで充分だった。

 ジンジャで鳩も襲ってみた。警戒心を欠いたヤツらのうちから一羽を捕まえるまでは簡単だった。だが、そこから息の根を止めるまでが難しい。ヤツらはアタシが予想していた以上に力が強く、しぶとい。激しい格闘の末、アタシが手に入れたのは足の指二本だけだった。考えてみれば、アタシは親猫から狩りの仕方も教わっていなかった。

 翌日、アタシがジンジャに姿を見せると、鳩どもは一斉に逃げ散った。

 まあそんな失敗もしながら色んなことを学び、ニンゲンに頼らずとも己自身で生きていく筋みちをつけていけるはずだった。

 ボス猫の配下に見つかりさえしなければ。

 気付いたときには、前と後ろを二匹ずつに挟まれていた。生憎の夕暮れ時だった。もう少し遅い時刻であれば、アタシの体毛はアタシ自身を闇に溶けさせてくれる。ヤツらもそれがわかっていて、あのタイミングで襲撃をかけたのだろう。

 茶色いのが一匹。デブの白黒が一匹。痩せた洋ピンが一匹。汚い灰色が一匹。どいつもアタシより、身体がデカい。

 四匹がゆっくりと近寄ってくる。アスファルトの道路上だった。両側は、高い塀で塞がれている。

 逃げ道はない。そう判断し、覚悟を決めた。

 向きを変えて、後ろの二匹に飛び掛った。前から来る汚い灰色の目が一番鋭く、脚も引き締まっている。後ろから寄ってきた茶色とデブの方があしらい易い。そう考えた。

 デブが爪を尖らせて圧し掛かってくる。動きは遅い。素早く避けると、尻を蹴りつけて、傍にいた茶色に体当たりをした。

 茶色がひっくり返る。その隙に逃げようとした。

 背中に痛みが走った。振り返る。灰色が、もう追いついてきていた。

 爪を立て、引き剥がす。横合いから洋ピンの脚が飛んでくる。ひっくり返された。体勢を立て直したデブがアタシを押さえつける。それで勝負はついた。

 四匹が去った後には、ズタボロになったアタシだけが残った。安全に傷を癒せる場所は、一か所しか思い浮かばなかった。

 アタシは再びニンゲンの家に舞い戻った。喜んだのは、オトノハだけだ。

 アタシを見たナユキは、なぜかアタシより辛そうな顔をしていた。ニンゲンの表情がそれほどよくわかっているわけじゃないが、そんな気がした。

 二匹が話しているのを聞いたことがある。あの日、いつまでも泣き止まないオトノハに、ナユキは約束したのだそうだ。アタシがどこにいるか、探してみると。翌日から空いた時間を見繕って、野良猫が立ち寄りそうな場所を覗いて回っていたらしい。そうして、アタシを見つけ、この家へ連れて来た。

 そんなアタシは怪我が治ると勝手に姿を消し、前以上に傷を増やして戻ってきた。思うところは、色々あるだろう。当然だ。

 だがアタシには、そんな気持ちに頓着するゆとりはなかった。ただ眠り、傷ついた身体を癒したかった。それだけだった。

 ナユキは、アタシにずっと、ここに住み着いて欲しいのだろう。オトノハはともかく、ナユキがすでにアタシを住み着かせる覚悟を決めていることは、わかる。それでも、アタシがそれを受け入れることは、できない。

 それは、アタシの自由を阻害する。アタシの野性を、奪い去る。

 自由に生きるってコトは、「それでも」と一緒に生きるコトだって、アタシは思う。

 こうした方がいい。こうした方が得をする。こうした方が、楽になれる。世の中は、そういった誘惑で溢れている。だけども大抵は、それを受け入れることで、何らかの繋がりや、制約を抱え込むことになる。それは身体を重く縛り付け、自由を奪う。

 それを抱えてでも、生きていけるならそれでいい。でも、そうじゃない者たちだっている。

 アタシもそうだ。アタシには、抱えるための指はない。あるのは闇に潜んで動くための肉球と、敵を打ち倒すための鋭い爪だけだ。

 だからアタシは、「それでも」と生きる。

 ここに棲みつけば、飢えてひもじい思いをすることはない。雨の日に、震えて眠ることもない。レディ・ファッティーに追い回され、傷ついた身体で身を隠さなきゃならないことも、きっとない。ここのニンゲンたちは、きっとアタシを優しく受け入れてくれる。不都合なことは、何もない。

 それでも。


 雨が降っている。アタシがここに来た日と同じような、粒の大きい雨だ。

 アタシはエンガワで、あちこちかさぶたができ始めた身体を丸め、庭を見ている。庭を見ている振りをして、耳をそばだてている。

 家の中では、オトノハが泣いている。テーブルに、ナユキと向かい合って座り、泣いている。ここ数日は、毎日こうだ。

 原因はテーブルの上に置かれた二つの茶碗と、その中に盛られた豆、そして、オトノハが手にしているハシという二本の棒だ。

 ハシを使って、一つの茶碗から、もう片方の茶碗に豆を移す。そんなことを、ずっとやっている。もう、何日もだ。

 最初の頃は、大声を上げていた。でも今では歯を食いしばり、ただ涙だけを零しながら、懸命に指を動かしている。

 そうしてそれを、ナユキが何も言わず、ただ見つめている。

 ナユキがオトノハを苛めているのかと、最初は思った。でも、そうじゃないと判った。

 もしもまだ、アタシが親猫と一緒にいたならば。親猫は、アタシに街で生きるための方法を教えてくれただろう。狩りの仕方も、たぶん、教えてくれただろう。だけどアタシは独りだった。だから、全部を自分で身をもって知る必要があった。

 オトノハには、ナユキがいる。そして、これは何かを教え伝えようとしているんだろう。そう思えた。

 行動の意味はよくわからないが、色々なものを抱えるための指をつくるには、こういう努力も必要なんだろう。きっと。

 首を捻って、ガラス越しに部屋を覗く。オトノハは泣き続けている。声は上げない。瞳は茶碗を見据えている。口は、強く引き結ばれている。

 そして、諦めることなく、ハシを動かす。

 今辛いことが、後々の役に立つ。わかるだろうか。わからないだろう。実はアタシにだってわからない。

 ただナユキが、オトノハのことを思ってしているんだろうと。それはわかる。

 伝わるだろうか。伝わらないだろうか。今は伝わらなくても、いつか伝わるときが来るのだろうか。

 もしも誰かがアタシに聞いたなら、こう答えるだろう。知ったこっちゃないね、と。

 二匹の攻防は続いている。

 一つ欠伸をする。身体を丸める。耳を伏せて、瞼を閉じる。

 雨は、降り続いている。


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