CAT:12 かわいい女(デンジャラスブロンディ)
今日もまた、慌しい一日がはじまる。
ナユキとオトノハがいつものように一緒に起きてくると、ナユキはゆっくりと朝食の準備を、オトノハはいそいそとガッコウへ行く準備を始める。
アタシはダイドコロに走る。作業の合間にナユキが皿にアタシの朝飯を盛る。アタシはそれにむしゃぶりつく。以前は美味いものから二度と食わないと決めたものまで、色んな種類の飯を試していたナユキだが、近頃の朝飯には決まって小さなカリカリが皿に盛られて出てくる。不味いわけではないが変化に乏しいのが残念なところで、なら以前とどちらがいいかと問われれば、正直迷うところではある。
ともかくも皆揃って食事を終えて、ナユキは片付け、オトノハはガッコウへ行くための用意をする。
いってきます、の掛け声と共にオトノハが飛び出すと、ナユキは廊下を渡って、クスザワショウテンに向かう。アタシはその後ろをついていく。
シャッターを開け、商品を並べ始める。アタシは奥にあるテーブルの隅で、丸まって瞼を閉じる。
そうするうちにナユキが戻ってきて、アタシの隣に腰を降ろす。アタシは薄く目を開け、また閉じる。心地よいまどろみが訪れる。
鳴き声を耳にして、目を覚ます。店の入り口から、最近見知った顔が覗いている。アタシは背を伸ばすと、テーブルから飛び降り、表に向かう。
野良猫グループの顔役であるトラジマが、ベンチの上で首を掻いていた。集会の通達だ。
デブ猫と二度目の対決を終えた数日後、アタシに初めて、集会への誘いがあった。深夜、アタシは家を抜け出し、ダイイチコウエンへ向かった。夜のコウエンには、街中の猫たちが集まっていた。
改めて紹介されたわけでも、何か発言を促されたわけでもない。ただ輪の端っこに、座って加わっていただけだけれども。
あれはきっと、この街に棲むものの一員として認めてくれたんだろうと。アタシはそう、解釈している。
トラジマを見送って、さてどうしようかと考える。眠気はすっかり覚めている。時間を潰す場所っていったら、一箇所しか思いつかなかった。
いつもの道。いつもの並木。いつもの階段。いつもの神社。いつもの、いつもの、いつもの、いつもの。
この街がいつしか、アタシにとってのいつもの場所になっている。
神社の屋根に上る。そこにはやっぱりいつもの、街の守り神。
「よう」
会うのは久々だったが、それでもお互い、挨拶は変わらない。
隣に並んで、視線を遠くに定める。
「済んだようであるな」
何を、なんてことはいちいち言わない。
「何事も、身体を張ってみなきゃいけねえってことだ。わかったろ」
ワガハイが、呆れたような様子で首を振る。
「貴女はもう少し、思慮深くなってもいい」
「けど、上手くいったじゃねえか」
「それで胸を撫で下ろしているところだ」
「何だ。心配してくれてたのか?」
「無論だ」
相変わらず、感情の読めないヤツだ。でもまあ、悪い気はしない。
無言で街を眺める。そうしているうち、また眠気が襲ってきた。
ちょっと眠るわ、と声を掛け、アタシは丸くなる。怪我を癒そうとしてか、身体がやけに眠りを求めている。意識は、すぐに途切れた。
目覚めると、昼過ぎだった。日がだいぶ高いところまで来ている。ワガハイは飼い主のところに帰ったのか、姿が消えている。
遠くに小さく見えているガッコウに目を凝らす。門から並んで出てくるオトノハとトキコを、偶然見つけた。
オトノハは、いつもどおり忙しなく手足を動かしている。トキコはゆったりと歩きながら、オトノハの話を聞いている。
オトノハが笑っている。トキコも笑っている。
それを認めたアタシの胸に、何やら熱いものがじわりと広がった。ような気がした。
歩いている二匹を見て、アタシは想像する。
いつか。オトノハとアタシと。トキコとデブ猫と。四匹で並んで散歩する。そんなことができれば面白い。そう思った。
ぽつん、と目の上辺りに当たる感触があった。そう思ったら、次は耳や背中にも。
ついさっきまで顔を出していた日が、瞬く間に灰色の雲に覆われていく。
慌てて屋根から飛び降りた。柱を伝って地上に降り、階段を駆け下りる。そうする間に雨脚は強さを増し、アタシの頭や背を叩くようになる。
アタシは走る。
そうだ。これがアタシを取り巻く世界だ。
あの雨の日。オトノハに拾われたアタシは、一度はその手の中から逃げ出した。
そうして街を彷徨い、痛めつけられ、世界のすべてを恨みながら、ただ生きるためだけに、手の中へと舞い戻った。
雨は、アタシに過去を思い出させる。そうして心と古傷を苛む。
いくつもの雨の日を過ごし、アタシは痛みに耐えてきた。
けれども。オトノハやナユキの笑顔に触れて、ワガハイという友を得て。
一つ抱き上げられるたび。一つ撫でられるたび。一つ話をするたび。一つ話を聞くたび。それは少しずつ和らいで。
今でもまだ疼くけれども、傷跡は前より小さくなった。
立ち止まる。雨が強く強く、肉体と、心を叩く。
アタシは天を向く。今、痛みを感じていること。それこそが、今、アタシがここにいることの証だ。戦い続けてきたことの証だ。
たぶん、おそらく、きっと。アタシはこれからも。痛みを胸に秘めて、戦い続けるだろう。
世界は手強い。勝てるかどうかなんて、わからない。
だがそれでも、まず大事なのは踏み出すことだ。心が折れなければ。きっと何度でも立ち上がれる。
アタシが歩んできた道の続きに、この今がある。
頭を振るい、水滴が激しく跳ねる一本道を睨みつける。
「踏み出せ」
一歩前へ。
「踏み出せ」
一歩前へ。
四肢に力を込めて。胸を張って。前を見据えて。
アタシは歩いていく。
この道を、ナユキとオトノハと。そしてそれを取り巻く様々なものと一緒に歩いていく。
アタシの名は、グレイシー。
アタシは、ここにいる。
(完)
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