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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第三章~白菊~
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花火の当日⑦

「おい……、もうやめろ……」

 火傷を負った男は、屋台に水をかけ続けている子どもを見て言った。

「ほかの屋台も落ちてくるかもしれないんだ……。頼むから……逃げてくれ……!」

 男は縋るように子どもを見た。


 子どもは川に向かって走りながら、男を振り返って微笑む。

「大丈夫だよ! これぐらいすぐ消せるから!」

 男は子どもの足を見た。

 先ほど転んだときに擦り切れたのか、子どもの膝からは血が流れている。

「もういいんだよ……。俺たちのことなんて……」

 子どもの背中を見ながら、男は小さな声で絞り出すように言った。


 屋台に水をかけていた叡正も子どもの言葉に、静かに胸を打たれていた。

 新助の声が聞こえた直後、突然落ちてきた屋台に、真っ先に水をかけ始めたのも子どもだった。

(情けないな……俺は……)

 叡正は苦笑した。


 必死で水をかけていたため、新助の言葉はほとんど耳に入っていなかったが、とにかく新助が来たことだけは二人共わかっていた。

「おじさんも来たみたいだし、もう大丈夫だよ!」

 子どもの声は明るかった。

「だったら、おまえはもうそんなことしなくていい……!」

 男は子どもをなんとか止めようと、上半身を動かして子どもに手を伸ばそうとしていた。

 子どもは微笑んで、男を見る。


「……僕の母さんね、火事で死んじゃったんだ」

 子どもは屋台に水をかけながら言った。

「僕ね、思うんだ……。もっと何かできたんじゃないかって」

 男は何も言えず、ただ子どもを見つめていた。

 子どもは再び川に向かって走っていく。

「僕が何かしてたら母さんも助かったんじゃないかって!」

 子どもは桶に水を汲むと、また屋台に向かって走ってきた。

「僕が怖いのはね、火事じゃないんだ。……同じ思いをもう一回することだよ」

 子どもは屋台に水をかけて、男を見る。

「だから、これは自分のためなんだ」

 子どもはにっこりと笑った。

 男は目を見開いた後、しだいに顔を歪めていく。

「もうこれ以上……俺をみじめにさせるなよ……」

 男はそう呟くと、唇を噛みしめた。


 叡正は男を見つめる。

 男の気持ちは痛いほど理解できた。

 叡正は水を汲みながら、子どもに視線を移す。

(すげぇなぁ……。この年で……。いざってときは、俺がこの子を守らないと……)

 叡正が決意を新たにすると、ふと足音が聞こえた。


 叡正が顔を上げると、そこには大勢の人が集まってきていた。

 叡正は目を見開く。

「……俺たちも手伝うよ」

 観衆のひとりが口を開いた。

「桶はほかにもあるのか?」

「みんなで一斉にかければこの程度はすぐ消せるだろう」

「私、桶探してくるから!」

 叡正は言葉が出なかった。

 思わず橋の上を見ると、先ほどまでの人だかりが嘘のように、そこには誰もいなかった。

(何が起きたんだ……?)


「手伝ってくれるの? ありがとう!」

 子どもが嬉しそうに声を上げる。

 子どもの言葉に観衆は皆、思わず目を伏せた。

「ごめんな……」

 観衆のひとりがそう呟くと、子どもの頭をなでる。

「何が……?」

 子どもが不思議そうに首を傾げる。

「いや、なんでもない……。さぁ、さっさと消しちまおう!」

 観衆が続々と桶を持って、屋台に水をかけ始めた。


 茫然としていた叡正も我に返る。

「おまえと子どもは怪我人を診てやってくれ。屋台の火ぐらい俺たちで消すから」

 観衆のひとりが叡正にそう言った。

「ああ……、そうだな……。ありがとう」

 叡正は頷いた。

(これだけの人数がいれば、おそらく落ちてきた屋台の火はすぐ消せるだろう……)


 叡正は子どもに声をかけて、水の桶を持って怪我人のもとに向かった。

 再び怪我人の横に座り、患部に水をかけ始めると、そこにそっと白い手が差し出された。

 その手の上には小さな壷のようなものがあった。

 叡正と子どもは顔を上げる。

 そこには女が立っていた。

「これ、火傷に効く軟膏よ……。使って」

「え?」

 叡正は目を丸くする。

「仕事柄よく火傷するから、持ち歩いてるのよ……。ひどい火傷には効かないかもしれないけど、何もしないよりマシなはずよ」

 女はそう言うと小さな壷を叡正に渡した。

「ああ……ありがとう」

 叡正は礼を言うと、子どもと顔を見合わせた。


 女の背後から別の女が顔を出す。

「むしろ、ここは私たちがやるわよ! 家のかまどでしょっちゅう火傷してるから、手当なんて慣れてるの!」

 女はそう言うと笑った。

「あんたは火を消す方に回った方がいいでしょ! この子は私たちが見てるから、あんたは行ってきなよ」

 女はそう言うと、土手の上を見た。

 女の視線を追って叡正もそちらに見ると、通りで燃えている屋台にも観衆が水をかけているのが目に入った。


 叡正は目を見開く。

「本当に……何が起こったんだ……?」

 叡正が呟くと、女は目を丸くする。

「あんた聞いてなかったのかい? 火消しが言ったんだよ、火は消せるから『立ち向かえ』って。まぁ、実際動き出せたのは、あの子のおかげかもしれないけどね」

 女はそう言うと、怪我人の横に座る子どもを見た。

「こんなに自分を情けないと思ったことはないよ」

 女はそう言って苦笑すると、叡正の手から軟膏の壷をとった。

「さぁ、あんたは行きな!」

 女が叡正の背中を押す。


「あ、ああ。ありがとう」

 叡正は前に倒れそうになりながら、桶を手にとって川に向かった。


 女たちは怪我人の患部に軟膏を塗り始める。

「あんたは、これくらいたいしたことないんだから、しっかりしなよ!」

 女が怪我人の男の肩を叩いた。

 軟膏を塗られながら男は苦笑する。

「なんか母ちゃんみたいで安心するな……」

「母ちゃん!? こんなうら若い乙女つかまえて何言ってんだ!」

 女は目を丸くすると、もう一度男の肩を叩いた。

「あ~あ、花火でいい男捕まえる予定だったのに、とんだ災難だよ」


 火を消していた男が、女の言葉に吹き出した。

「そりゃあ、ここにいるみんなそうだよ」

「違いねぇ」

 みんな思わず笑った。

 

 叡正は水を汲むと立ち上がり、振り返った。

 相変わらず通りの屋台は燃え続け、ほかの場所でも火の勢いが衰えているようには見えなかったが、最初に感じた恐ろしさはもうそこにはなかった。

(この火は消せる。これだけの人が動いて消せないわけがないんだ)

 叡正はそう確信して微笑むと、水の桶を抱え屋台に向かって走り出した。

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