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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第三章~白菊~
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誓いの盃

 咲耶は玉屋の座敷で、頼一に酌をしていた。

(今日の頼一様は少し様子が……)

 咲耶は頼一に視線を向ける。

 頼一は酒杯に注がれる酒をただ静かに見つめていた。


「このあいだはすまなかったな」

 頼一が口を開いた。

 咲耶は銚子を膳に戻しながら、頼一を見つめる。

「火消しの件だ。気にしていただろう?」

 頼一は酒を見つめたまま、少し微笑んで言った。

 

(気にしている素振りを見せたつもりはなかったが……頼一様にはさすがに気づかれていたか……)

 咲耶は内心苦笑した。

「いえ、私は……」

 咲耶は曖昧に微笑む。

 頼一は咲耶を見つめると優しく微笑んだ。

「まぁ、気になって当然だ。少し私の独り言に付き合ってくれるか?」

 頼一はそう言うと、酒杯の酒を飲みほした。

「ええ、もちろん……」


 頼一は空になった酒杯を見つめたまま、口を開いた。

「ざっと情報だけ集めた。確証はない。だが……おそらく冤罪だろう。そもそも恭一郎が火をつけたという証拠がない。あったのは証言だけだ」

「証言ですか……?」

「恭一郎が火をつけたのを見たと言った男がいた。ただ、それだけだ」

 頼一は苦笑する。

「もちろん、本来ならそれだけでも十分だ。だが、この件は違う。そう証言した男はそれだけ言って、姿を消したんだ」

 頼一は空になった酒杯を咲耶に差し出す。

 咲耶は少し戸惑いながら、銚子を手にとってまた酒を注いだ。

 酒の注がれた酒杯を見つめながら、頼一は悲しげに微笑む。

「そんな状況だ、火付盗賊改方も馬鹿じゃない。当然悪質な嘘の可能性も考えていた。それでも拘束されたのは、恭一郎が何も言わなかったからだ」

 頼一は酒杯の酒を一気に飲みほした。

「『話すことは何もない』の一点張りだったそうだ。その結果、取り調べという名の拷問を受けることになった」

 頼一はまた空の酒杯を咲耶に差し出した。

「頼一様……一度に飲みすぎです……」

 咲耶はそっと頼一の手から酒杯を取ると、ゆっくりと頼一のお膳に置いた。


「ああ……すまない」

 頼一は苦笑する。

「……それから、どうなったのですか?」

 咲耶は頼一を見つめた。

「釈放されたよ……。証言した男がもう一度やってきて言ったそうだ『勘違いだった』と」

 咲耶は目を見開く。

「証言した男はそれだけ言ってまた姿を消したそうだ」

 頼一はお膳に置かれた空の酒杯を見つめ続けていた。

「恭一郎が釈放されたその日、火事があったそうだ……。恭一郎はその火事で火元になった長屋に飛び込んで死んだ……」

 二人のあいだに重苦しい沈黙が訪れる。


「火付盗賊改方は、(おおやけ)に犯人は恭一郎ではなかったというわけにはいかない。信用に関わるからな。それに、犯人でなかったという確証があるわけでもないんだ。ただ皆思っている、冤罪だったと……」

 頼一はそこで息を吐いた。

「火付盗賊改方の強制力は犯罪の抑止力になっているのは間違いない。だからこそ、顔を潰すわけにはいかない。ただ……」

 そこから先の言葉は続かなかった。


 咲耶は目を伏せた。

(恭一郎の名誉は回復してやりたい、ということなのだろうな……)


 頼一は落ち着かないのか、また酒杯を手に取った。

「すまない……。やはりもう一杯もらえないか?」

 珍しく迷いが見える頼一の顔に、咲耶は微笑むと少しだけ酒を注いだ。


「私の罪は一体誰が裁いてくれるのだろうな……」

 頼一は酒を見つめながら呟いた。

「人の心など私にはわからない。言葉の真偽もそうだ。罪の重さは、人がはかるものではないとさえ思っている。罪があるにせよ、ないにせよ、私の言葉ひとつで裁かれるものの定めは変わる。それでいて私が見誤っても、その罪が裁かれることはない。まぁ、地獄で裁いてもらえるのかもしれないが……」

 頼一は苦笑すると、酒杯の酒を一気に飲みほした。

「すまないな……。つまらないことを聞かせて」

 頼一はそう言うと、咲耶に微笑んだ。


 咲耶は頼一に微笑み返すと、膳にあった酒杯をそっと手に取った。

「私にも一杯いただけますか?」

 頼一はわずかに目を大きくした。

「珍しいな……。もちろんだ、飲んでくれ」

 頼一はそう言うと、銚子を手に取って咲耶の酒杯に酒を注いだ。

 咲耶は礼を言うと、酒杯に口をつける。


「私にも人の心はわかりません」

 咲耶は静かに口を開いた。

 頼一は意外そうな顔で咲耶を見る。

「咲耶にはすべて見えていると思っていたが……」

「そんなわけないじゃありませんか」

 咲耶は笑った。

「私は想像しているにすぎません。実際の人の心などわかりませんし、もちろん罪の重さなんてものもはかれません。日々、自分の言葉や行動が、本当にこれでよかったのか自問自答しているくらいです」

 咲耶はそう言うと、残りの酒を一気に飲みほした。

「もちろん、答えは出ません。誰かを活かすことは別の誰かを殺すことにつながるかもしれないのですから。だから、私にできることは、ただ自分が後悔しないような選択をすることだけです。もしそうして生きる中で、それが罪になるのなら、その罪は……頼一様に裁いてほしいと思っています」


 頼一は目を見開いた。


「頼一様がどれだけ真剣に向き合っているか、私は知っています。もし自分の罪の重さを誰かに決められるのなら、私は頼一様に決めていただきたいです。少なくとも私は心からそう思っています。だから、頼一様はご自分が信じる道を進んでください。もしそれが罪になるのならば……」

 咲耶は頼一に向かって微笑む。

「そのときは、一緒に地獄に落ちましょう」


 頼一はしばらく呆然と咲耶を見つめた後、フッと笑った。

「それは、最高の口説き文句だな」

「ふふ、とっておきの文句を今使ってしまいました」

 咲耶はそう言うと、銚子を手に取った。

「それでは、誓いの(さかずき)とまいりましょう。ちなみに、今日はこれが最後の一杯ですよ」

「ああ、承知した」

 咲耶と頼一はお互いの酒杯に酒を注ぎ、同時に飲みほす。

 その日二人は、ただお互いが信じる道を進むと誓った。

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