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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第二章~桜草~
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頼み事

「いやぁ、さすが」

 庄吉と名乗っていた男は、信を見て不気味に笑うと、掴まれていた手首を回して拘束を解いた。

「おっと! 待て待て!」

 男は信が懐に手を入れて何かを取り出そうとしたのを見て笑った。

「おいおい、せっかちだなぁ。いきなり殺すのはなしにしてくれよ」

 男は両手を上にあげる。

「ここは人目があるぞ。それに、俺に鬼の刺青はない」

 男は信の耳に口を寄せて呟いた。

 信は静かに男を見つめる。


「俺はおまえと同じ、飼い犬側だ」

 信の目がわずかに見開かれた。

 男は信の目を見て笑う。

「もっともおまえはもう野良犬になったみたいだけどな」


 そう言うとそれまで笑っていた男はゆっくりと息を吐いた。

「本当に……自分の末路かと思うと怖ぇよ。野良になったってことは、おまえをつなぎとめてた大切なものはもうないんだろう?」

 信はそこまで聞くと、懐に入れていた手をゆっくりと下ろした。

「ああ」

 信は短く答える。

 男は複雑そうな顔で笑った。

「普通はしくじった時点で犬が先に死ぬはずなのになぁ。生き残ったのは運がいいのか……それとも可哀そうなほど運が悪いのか……」


「おまえが殺したのか? 直次という男も、その妻も」

 信は男の言葉をさえぎって聞いた。

 男は苦笑する。

「本当にせっかちだな、おまえ。石川直次は俺が殺した。それがご依頼だからな。だが、女は違う。あれは、本当に自殺だ。家のためにってやつだよ」

 男は肩をすくめた。

「まぁ、恵まれた人間の考えは俺にはわからねぇけどな」


 信はただ静かに男を見つめた。

「今は咲耶太夫の犬になったのか?」

 男はおかしそうに笑った。

「まぁ、俺だって主人が選べるなら、あんな美人の犬になるさ。だ……」

「どうして咲耶を巻き込んだ?」

 信は男が言い終える前に口を開いた。


「……おまえ、俺と会話する気ある?」

 男は諦めたようにため息をついた。

「もうわかっているだろう? おまえと話すためだよ」

「……どうして俺を知っている?」

「おまえは飼い犬の中では有名だからな」

 男は笑った。

「依頼があってから一日もしないうちに真正面から行って皆殺しなんて、おまえみたいな化け物じゃなきゃ無理だからな。犬の中でも異質なんだよ、おまえは。普通はさぁ、何年もかけて内側に入り込んで中から壊すんだ。自殺に追い込むか、いつ死んでもおかしくない状況まで持っていく。これが犬のやり方だ。あ……」

 男は思い出したように言った。

「そうそう、おまえのお友達の坊さん、あの旗本の家なんて有名な話だ。あれは数年なんてもんじゃない。十年、二十年の計画で進んだ話だからなぁ。まぁ、計画通りにはいかなかったみたいだけど……。あ、ちなみに今回は特別お急ぎのご依頼だったから、こんなお粗末な筋書きだけど、俺だって本来はもっとうまくやれる。誤解するなよ。あと、おまえがどの程度で嗅ぎつけられるのかも見たかったしな」


「……俺にこんな話しをして、何が目的なんだ?」

 信の言葉に、男はフッと笑った。

「俺、こう見えて勘はいい方なんだよ。次の仕事、……いい予感がしなくてね。おまえにお願いがあって来た」

 信は眉を顰める。

「おいおい、そんな嫌そうな顔するなよ。おまえにとっても悪い話じゃない」

 男はそう言うと、少し悲しげに微笑んだ。


「もし俺が死んだら、俺の妹を助けてほしい」

「妹……?」

 男は微笑みながら目を伏せる。

「おまえと違って、俺の大切な妹はまだ普通に生きてるんでね。おまえがどういう環境で飼われていたか知らないが、少なくともうちは何不自由ない幸せな暮らしをさせてもらってる。妹に至っては俺が何をしているかも知らないくらいだ。幸せな檻だよ。俺がしくじらない限りはな……。俺が死ねば、妹は殺される。そうなる前に助けてほしい」

 男は真っすぐに信を見つめた。

 信は男をただ静かに見つめ返す。

「……おまえが死んだかどうかなんて、俺にはわからない」

 男は笑った。

「お、引き受けてくれるのか? 心配するな! わかるようにうまく死ぬさ。妹のもとにもたどり着けるようにしておく。そこには、俺の主人もいる。つまりおまえが狙ってる鬼の刺青を入れた人間がいるってわけだ。俺が死んだ後なら、主人はどうしてくれても構わないからさ」

 男は明るく言った。

「元飼い犬が、主人たちを食い殺して回ってるって話を聞いたときには驚いたが、妹を頼めるのはおまえしかいないと思ったんだ」


「そのかわり、条件がある」

 信が静かに言った。

「さっきの……あの遊女にはもう関わるな」

「ああ」

 男は笑った。

「優しいねぇ。心配しなくていい。最初から殺すつもりはない。おまえならここに来るだろうと思って、狙って見せただけだ。どうせ俺の顔もたいして覚えてないだろうし、歩き方やしぐさを変えて、この首のほくろさえ消せば、もう俺のことなんてわからなくなるさ」

 男はそう言うと首筋を着物の袖口でこする。

 ほくろのように見えていたものは、黒くにじんで薄っすらと広がった。


 男は信を見つめると、ゆっくりと口を開く。

「正直……おまえには同情するよ。どんな飼われ方したら、そんな化け物みたいになるのか想像するだけで吐きそうだ。おまけに守りたかったものも殺されて、あいつらを殺して回る気持ちもわからなくはない……。俺にも守るものがあるから何もできないが、おまえが救われることは願ってるよ……」


 男はそれだけ言うと信に背を向けて歩き始めた。

「できるなら」

 信は男の背中に向かって静かに言った。

「おまえは生きて自分の手で守れ」


 男は信の言葉に思わず立ち止まる。

「……優しいねぇ」

 男はうつむき、信に届かないほどの小さな声で呟くと、片手を軽く上げて信の前から去っていった。

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