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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第二章~桜草~
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文使いと同心

「弥吉という文使いはいるか?」

 黒の紋付羽織を着た男は、玉屋の入り口で男衆に声をかけた。

 黒の羽織は町奉行所の同心(どうしん)である証だった。

「弥吉……ですか?」

 男衆は目を泳がせながら、男の腰にある刀と十手(じって)を見る。

 まだ昼見世の前の時間ということもあり、入り口にいた男衆は一人だけだった。

 男衆がうろたえて周りを見る。

「心配するな。少し話しが聞きたいだけだ。呼んできてくれるか?」

 男は微笑むと、男衆の肩を軽く叩いた。

「は、はい」

 男衆は慌てて見世の奥に消えていった。


 しばらくすると、男衆が弥吉を連れて奥から戻ってきた。

 男は不安げな弥吉を見て微笑む。

「弥吉か?」

「あ、はい……」

「少し外で話せるか?」

「あ、はい……。少しなら……」

「では、ついてきてくれ」

 男は弥吉を促して外に出た。

「茶屋で話そうか」

 そう言って歩き始めた男の後に弥吉が続いた。

 少し歩いてから男が弥吉を振り返る。

「そう警戒するな。本当に話しが聞きたいだけなんだ。そんなに後ろに続いて歩いたら、おまえが捕まったみたいに見えるだろう? 嫌でなければ横を歩いてくれ」

 男は困ったように弥吉に言った。

「あ、はい!」

 弥吉は少し安心した顔を見せると、男の横に並んだ。

「それでいい」

 男は満足げに微笑んだ。

「まだ若いのに働くなんて偉いな。楽な仕事じゃないだろう?」

「いえ、みんないい人ばかりなので……。それよりお話しというのは……」

「まぁ、そう焦るな。ほら、茶屋が見えてきた。あそこで話そう」

 男はそう言うと、茶屋へと足を速めた。


 男は茶屋に入るとお茶を二つ頼み、弥吉と並ぶように長椅子に腰を下ろした。

「お話しというのは?」

 弥吉がもう一度聞いた。

「ああ、話しというのは石川直次という男についてだ」

「直次……様?」

「ああ、昨日その男が亡くなったんだ」

「え!?」

 弥吉が目を見開く。

「屋敷の庭で首を吊ったらしい」

「首を……?」

 弥吉の顔はみるみる青くなった。

「勘違いしないでくれ。別におまえを疑っているわけじゃないんだ。おそらく自殺だろう。ただ……おまえが届けた手紙と指のことが少し気になってな。それを渡した遊女について何か覚えていないか?」

 弥吉が口を開こうとしたとき、頼んでいたお茶が届いた。

 男と弥吉のあいだにお茶が置かれる。

「顔は……頭巾を被っていたのでわかりませんでした。声だけは覚えているので、聞けばわかると思うんですが……。あとは、俺より八つとか九つ上の年の若い人だってことくらいしか……」

 男はお茶をひと口飲んで頷く。

「それだけわかれば十分だ。ありがとう」

「あの遊女を探すんですか?」

「そうだな……」

 男はそう呟くと、少し悩むように目を伏せた。

「俺は探した方がいいと思っているが……、上の判断に任せることになるな。遊女が吉原から出ることはできないから、直接死に関わった可能性は低い。そのうえ、自殺の可能性が高いからこの件にあまり時間をかけるなと言われそうだが……」

「そうなんですね……」

「まぁ、調べたくても、吉原は管轄外なんだ。どちらにしろできることは少ないかもしれないが、話しは聞いておきたいと思ってな」

 男は弥吉を見て微笑んだ。

「そうだったんですね」

「まぁ、吉原に来たのは初めてだから、玉屋の咲耶太夫の姿でも見られればと思ったが、そううまくはいかないな」

 男は場を和ませるように、冗談めかして弥吉に笑いかけた。

 そのとき、茶屋の入り口にひとりの女が入ってくるのが見えた。

 女は弥吉を見つけると嬉しそうに笑いかける。

「弥吉」

 長い髪を下ろし化粧をしていない姿でも輝くような美しさをたたえた女は、笑顔で小さく手を振った。

 それは、今まさに男が話していた咲耶太夫その人だった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「さ、咲耶太夫!? ど、どうされたんですか?」

 弥吉が思わず立ち上がる。

 弥吉の隣にいた男は呆然とした顔で咲耶を見ていた。

「見世が始まる前に外でお茶が飲みたいと思って来たんだけど、弥吉の姿が見えたから。そちらの方は?」

 咲耶は弥吉の隣の男を見て、弥吉に聞いた。

「あ、この方は……。その……直次様が亡くなったそうで、その件で話しが聞きたいと……」

「まぁ、そうなの……」

 咲耶は悲しげな顔で言った。

「弥吉には何のお話しが?」

 咲耶の問いかけに、男が我に返り慌てて立ち上がった。

「あ、いえ! 手紙と指を渡した遊女について聞いただけですので!」

 男は慌てたように言った。

「あ、申し遅れました私は、門倉兼継(かどくらかねつぐ)と申します。奉行所は違いますが、朝倉様には大変良くしていただいておりまして……」

「まぁ、頼一様の!」

 咲耶は嬉しそうに微笑む。

 兼継は正面から向けられた笑顔に、思わず顔を赤くした。

「は、はい! 朝倉様は聡明で容姿端麗なうえ、謙虚でお優しく私の憧れでして……。そんな朝倉様に未だ奥方がいらっしゃらないのはきっと咲耶太夫を身請けされるためだろうと、皆が噂しております。お目にかかれて光栄です!」

 兼継が早口で語る。

 咲耶は少し目を丸くしたあと、穏やかに微笑んだ。

「いえいえ、私ごときがそのような……。頼一様には頼一様のお考えがあるのでしょう」

 咲耶はそこで椅子に視線を移してから、また兼継を見た。

「ご一緒してもよろしいですか?」

「ああ! 立たせたままで申し訳ない! どうぞお座りください!」

 咲耶は微笑むと兼継の隣に腰を下ろした。

 呆然と二人のやりとりを見ていた弥吉も兼継の隣に座る。

(どうなっているんだ……。お茶を飲みに来たなんていうのは嘘だろうけど……)

 弥吉はそっと咲耶を見る。

 咲耶は弥吉の視線に気づき微笑んだ。

「それで、弥吉が疑われているわけではないのですね?」

「そんなことは! 話しを聞いただけですから! おそらく自殺でしょう。……ただ、自殺の理由が遊女の死を知ったから、というのが少し気になりまして……」

「気になるとは?」

「あの男は、手紙と指を受け取ったのをきっかけに久しぶりに吉原に来たようです。大切に想っていた遊女に長い間会いに来ないなんて普通はあり得ません。お金がなかったわけでもありませんから。それに……手紙をきっかけに吉原に来て騒動を起こした数日後に亡くなるなんて、作為的なものを感じます……」

 咲耶は真剣な眼差しで兼継の話しを聞いていた。

「あ、余計なことを言いましたね! ですから、咲耶太夫の見世の文使いを疑っていたわけではありません!」

 咲耶は微笑んで、兼継の手をとると両手で包み込んだ。

「な!?」

 兼継は驚いて声を上げると同時に顔を赤くした。

「ありがとうございます、兼継様。弥吉が疑われていないとわかって安心いたしました」

「そ、それはよかった……」

 兼継が顔を赤くしながら言った。

「私に何か協力できることがあれば、なんでもおっしゃってください。私も何かわかりましたら、兼継様にお知らせいたしますね」

「そ、それは有難い……」

 咲耶は微笑むと兼継の両手をそっと離した。

「それでは、私はそろそろ見世の準備がございますので。弥吉にもお願いしたい手紙がありますので、一緒に失礼してもよろしいですか?」

「あ、はい! もう話しは聞けましたから!」

 少し顔色が戻った兼継は弥吉を見て微笑んだ。

「ありがとう。おまえのことは本当に疑ったりしてないから、あまり気にしないでくれ」

「あ、はい」

 弥吉は慌てて返事をする。

「それでは、失礼いたします」

 咲耶と弥吉は兼継に一礼して茶屋を出た。

 兼継も立って、二人を見送る。


 茶屋を出て、弥吉の前を歩いていた咲耶は振り返らずに口を開いた。

「悪かったな……」

「え?」

 弥吉が聞き返す。

「悪かった。私がおまえに文使いなんて頼んだから。……こんなことに巻き込んですまない」

 弥吉は咲耶の後ろ姿を見つめる。

(勝手に変な手紙を届けた俺のせいなのに……)

「いえ、咲耶太夫には本当に感謝してるんです。謝ることなんて何もありません」

「それでも、悪かった……」

 弥吉は咲耶の首筋に光るものを見た。

(汗……?)

 よく見れば、いつも綺麗に整えられている長い髪が今は少し乱れていた。

(急いで来てくれたのか……俺のために……)

 弥吉は咲耶の後ろ姿を見つめる。


「これが吉原一の太夫か……。こりゃ、みんな惚れるわけだ……」

 弥吉は小さな声で呟くと、少し笑った。

「なんだ、何か言ったか?」

 咲耶が振り返って弥吉を見る。

「何も言ってません。……咲耶太夫」

「なんだ?」

「一生ついていきます!」

 咲耶は苦笑して再び前を向いた。

「おまえが一生を語るのはまだ早い」

 弥吉は笑うと走り出し、咲耶を追い抜いた。

「咲耶太夫、先に行きます!」

「ああ、ちゃんと前を向いて走れよ」

「はい!」

 弥吉は前を向いて走り出した。

(俺、ここが好きだ!)

 弥吉の心は晴れやかだった。

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