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記録にない死

「あ……!」

 戸惑いの表情を浮かべていた女性は、突然ハッとしたように顔を上げた。

「そうだわ……! 養子を迎えられたのね! 私ったらこんなにうろたえて恥ずかしい! そうよ、そうだわ……! 養子を迎えて、その子に亡くなった廣次様の名を与えられたのね、きっと!」

 ホッとした様子で何度も頷く女性を見て、叡正はそっと目を伏せた。


(滝本家が養子を迎えた……なんて記録、なかったよな……)

 二十年以上前であれば叡正が直接知る機会はないが、それでも人別改帳や過去帳に記録は残る。

 養子をとったことや廣次という名の者が亡くなったという記録がないことは、叡正も知っていた。

(一体……どういうことなんだ……?)


「あ、ごめんなさいね、突然こんなわけのわからないこと言い出して!」

 女性はようやく落ち着きを取り戻したようで、叡正と信を交互に見ると困ったように笑った。

「怪しい者じゃないのよ! 私、以前滝本様の屋敷でお世話になっていたものだから」

「滝本様の屋敷で……ですか?」

 叡正はおずおずと聞いた。

「ええ、もう二十年以上前なのだけどね。そこで奉公人としてお世話になっていたの。私の最初の奉公先だったから五年ぐらい働いたかしら……」

 女性は昔を懐かしむようにどこか遠くを見つめていた。

「旦那様も奥様もとてもいい方で、ずっとそこで働ければよかったのだけどね……」

 女性はそう言うと、静かに目を伏せた。

「どうしてお辞めになったのですか……?」

 叡正の言葉に、女性はどこか悲しげに微笑んだ。


「私が望んで辞めたわけではないの。……廣次様がお亡くなりになったと話したでしょ。それが二十年ほど前なの……。廣次様は当時まだ五つだったわ。お子様は廣次様ひとりだったし、奥様はもうお子様が産めるお体じゃなかったから……旦那様や奥様の悲しみようは、もう見ていられないほどだったわ……」

「それで……お辞めになったのですね」

 叡正の言葉に、女性は静かに首を横に振る。

「言ったでしょ? 私が望んで辞めたわけじゃないのよ。私たちを見ているとどうしても亡くなった廣次様を思い出してしまうからとおっしゃって、当時いた奉公人は全員別の奉公先に出されたの。私も含めて遠方の奉公先に出されたから、当時一緒に働いていた人たちともあれ以来会えていないわ」


「そう……だったのですね」

「ええ。私ももういい年だし、奉公を終えて久しぶりにこの辺りに戻ってきたものだから、旦那様と奥様にご挨拶を、と思ったのだけれど……。旦那様はお亡くなりになったのね……」

 女性はそう言うと、寂しげな表情で叡正を見た。

「あ、はい……。それに……廣直様の奥様も随分前に……」

 叡正の言葉に、女性の瞳がわずかに揺れる。

「そう……奥様もお亡くなりに……」

 女性は絞り出すように言うと、苦しげに目を伏せた。

「二十年も経っているもの……。そうよね……」


「なんだか……すみません……」

 申し訳なくなり、叡正は思わず頭を下げた。

「何言っているの。教えてくれてありがとう。知らずに訪ねていたら、もう知っている方は誰もいないし、門前払いされるところだったわ。ありがとうね。……あ、そうそう! あなたたちは道に迷っているんだったわね!」

 女性は思い出したようにフフッと笑うと、叡正の後ろを指さした。

「この通りをもう少し行くと、細い脇道があるの。その道に入って真っすぐに行くと大きい通りに出るわ。そこを右手に進むと左手に滝本様のお屋敷が見えるはずよ。ちょっと入り組んでいるけれど、ここから行くならその道が一番早いはずだから」

「あ、ありがとうございます……」

 叡正が礼を言うと、女性はにっこりと微笑んだ。

「じゃあ、私は行く用事もなくなったことだし……そのまま帰ろうかしら。今ご当主になられた廣次様という方にもよろしくお伝えいただけると嬉しいわ」

 女性はそう言うとフフッと笑い、来た道を引き返していった。


(養子……?)

 叡正は小さくなっていく女性の背中を見つめながら、眉をひそめた。

(そんなことがあれば、記録に残ってるはずだよな……)


 叡正はそっと振り返り、ずっと何も言わず後ろに立っていた信を見た。

 信は目を伏せ、じっと何かを考えているようだった。

(信も今の話……おかしいって思ってるのか……?)

 叡正は小さく息を吐く。

(まぁ、ここで考えてても仕方ないか……)


「信……、とりあえず場所もわかったし、滝本様の屋敷に行くか」

 叡正はそう言うと、信の横を通り女性に教えてもらった道を歩き出した。

「……ああ」

 叡正の背後で信が小さく呟くのが聞こえた。


(ああ……、ますます滝本様に何を聞いたらいいのかわからなくなってきたな……)

 後ろを歩く信の足音を聞きながら、叡正は重い足取りで細い脇道を進んでいった。

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