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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第九章~蓮~
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浄玻璃の鏡

 叡正がぼんやりとしていると、ふいに信が顔を上げた。


「どうして……」

 信は目を伏せたまま口を開いた。

「どうして供養が必要なんだ? どれだけ祈っても……死んだ人間は生き返らないのに」

 信の言葉に、叡正はわずかに目を見張った。


(そうか……信はお姉さんを亡くしてるんだっけ……)

 叡正はそっと目を伏せると、ゆっくりと口を開く。

「死んだ人間はもう戻ってこないけど、来世があるからさ……」

「来世?」

 信は眉をひそめて叡正を見た。

「そう。あくまで仏教の考え方だけど、生前の罪の重さに応じて六つの道に分かれて生まれ変わるんだ。死んだ人間は、四十八日かけて生前の行いを裁かれて四十九日後に生まれ変わる」

「それと供養に何の関係がある?」

 信が小さく首を傾げた。


「供養は祈りでもあるんだよ。来世、少しでもいい道に進めるように、少しでも罪が軽くなるようにってさ」

 叡正はそう言うと微笑んだ。


 信の瞳がかすかに揺れる。


「どこまで祈りが届くのかはわからないけど、裁きを下す閻魔大王が持ってる浄玻璃(じょうはり)の鏡には、その人が死んだ後、残された人たちの様子も映し出されて、そういう祈りも道を決めるのに考慮されるって言われてるんだ」

 叡正の言葉に、信はそっと目を伏せた。

「……そうか」

 信の表情は今まで見たことがないほど、どこか悲しげだった。

「それなら俺も……少しは祈ればよかったな」


 信の様子に叡正は目を丸くする。

 予想外な信の反応に叡正は慌てて口を開いた。

「そ、その……もちろん供養だけがすべてじゃなくて……! その……そもそも浄玻璃の鏡はすべてを映す鏡だから……! 生前のその人の人生すべてが映って、関わった人たちの心の中も、その人たちにどんな影響を与えたのかもすべてわかるらしいんだ。だから……その……祈っていなくても、おまえの想いはちゃんと伝わってる……はずっていうか……なんというか…………」

 叡正の言葉に、信はゆっくりと視線を上げた。

「……そうか」

 信の顔からは、何の感情も読み取れなかった。


(俺……何かマズいこと言ったのか……?)

 どこか気まずい空気が部屋を包む。


「い、いやぁ、さすが叡正様……!」

 弥吉が沈黙に堪えかねたように明るい声で言った。

「地獄絵が好きなだけあって、知識が豊富ですね……!」

「え!? ま、まぁ、一応僧侶だからな……。最低限の知識だとは思うが……」


「そ、そうだな!」

 咲耶も珍しく目を泳がせながら、空気を変えるように明るい声を出した。

「や、やはりただの生臭坊主じゃなかったんだな……!」

「ん?? あ、ああ……まず生臭坊主じゃないつもりなんだが……。あ、ありがとう……」

 叡正は引きつった顔で笑った。


「浄玻璃の鏡……」

 信は目を伏せて、小さく呟く。


「鏡が……何か気になるのか……?」

 叡正は信を見つめた。

「あ、もしおまえが先に死んだときは、俺が経くらい上げてやれるから安心しろ。僧侶の祈りだからな、きっとちゃんと届くはずだ」

 叡正は半分冗談のつもりで言ったが、信が顔を上げて目を見張ったのを見て、顔を強張らせた。

(え……、冗談になってなかった……?)


 次の瞬間、叡正は強い力で背中を叩かれた。

「痛ッ……」

 痛さのあまり前のめりになった叡正の耳を弥吉が引っ張る。

「叡正様……! なんでそんな縁起でもないことを言うんですか……!」

 いつのまにか駆け寄ってきた弥吉が焦ったように、叡正に顔を近づけて言った。


「え!? 普通の冗談だろ……?」

 弥吉にそう囁くと、次の瞬間、反対の耳を咲耶に引っ張られた。

 自然と三人は信に背中を向ける姿勢になった。

「おまえは……! 信に冗談が通じると思ってるのか……!」

 咲耶も焦ったように、叡正の耳元で囁く。

 叡正はハッとして咲耶を見つめた。

(た、確かに……! 通じるはずなかった……!)

 叡正は恐る恐る信を見た。

(気を悪くしただろうか……?)


 その瞬間、フッと息が漏れる音が部屋に響く。

 叡正は目を見開いた。

 目は伏せていたが、信の口角が少しだけ上がっているのが叡正にもわかった。

(今……信……笑った……?)


「……必要ない」

 信は静かに言った。


(必要ないって……あ、経が必要ないってことか……)

 信が気を悪くしていないことに、叡正はそっと胸を撫で下ろした。


 信は部屋の窓に視線を向ける。

「俺を映す鏡の中に……弥吉や叡正や咲耶がいる……。それだけで十分だ」

 信は独り言のように小さく呟いた。


 叡正は目を見開く。

(今……なんて……? いるだけで十分……? それって……俺たちに……会えただけで十分って言ってるのか……!?)

 叡正は顔がカッと熱くなるのを感じた。

(な、なんだ!? なんでそんな甘い言葉をさらっと……!)

 叡正が隣にいる弥吉に視線を移すと、弥吉も顔を真っ赤にして口をパクパクさせていた。


(や、やっぱりそう言う反応になるよな……)

 叡正は自分の反応が正常だということにホッと息を吐いた。

 反対にいる咲耶を見ると、咲耶まで頬を赤らめ口元を手で覆っていた。

 信だけが涼しい顔でずっと窓の向こうを見つめている。


(まったく……)

 叡正は苦笑した。

(とんでもない殺し文句を……)


 叡正は軽く髪を掻くと、フッと微笑んだ。

(いつか浄玻璃の鏡で、今の俺たちの心を見たとき……)


 信がゆっくりと視線をこちらに戻す。

 信とまだ顔の赤い叡正の視線が重なった。


 不思議そうな顔をする信に、叡正は呆れたように笑いかけた。

(おまえはそのとき……一体どんな顔をするんだろうな……)

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