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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第九章~蓮~
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七年前⑦

 茜の父親は、どこかフラフラとした足取りで小屋に向かって歩いていくと、小屋の近くの茂みにいた男を引きずり出した。

 見知らぬ男が隠れていたことに、佑助をはじめ屋敷の皆が息を飲んだ。


(あれは……誰……? いや、今はそんなことを考えてる場合じゃ……)

 佑助が小屋に視線を戻そうとしたとき、見知らぬ男の声が辺りに響く。

「これは、違うんです……! 私は旦那様のご言いつけの通りに! これは……」


(え……? それはどういう……)

 男の言葉に、佑助が目を見張った次の瞬間、茜の父親の唸り声とともに男の首が裂け、血しぶきが上がった。

 佑助は目を見開く。

 茜の父親は、首が裂けて倒れていく男の首に何度も刀を振り下ろしていた。

 返り血で、茜の父親の全身が真っ赤に濡れていく。

(何が……何が起こって……)

 佑助は強く目を閉じた。

 目の前で起こっていることが本当に現実なのか、佑助にはわからなくなっていた。

 気がつくと、男の頭はちぎれ、燃え盛る小屋の前に転がっていた。


 佑助の隣で、父親も息を飲んでいるのがわかった。

(一体これは…………)

 あまりに非現実的な光景に、佑助は動くことができずにいた。


 呆然としていた佑助の隣で、父親がゆっくりと動き出す。

「この火事は……おまえがやったのか……?」

 佑助の父親は、刀を持って立ち尽くす茜の父親のもとに歩いていく。

「おい! おまえがやったのかと聞いているんだ……!」

 佑助の父親は、茜の父親の刀を持つ手を掴むと、声を荒げた。


「だ、旦那様、危険です! 離れてください……!」

「そ、そうです……! 正気ではないように見えます……! 危険です!」

 父親が動き出したたことをきっかけに、奉公人たちが慌てた様子で動き出す。


(これは一体……。それより……茜が……。こんなことをしてる場合じゃ……)

 佑助は小屋に視線を移す。

 炎に包まれた小屋は、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

(早くしないと……茜が……茜が死んでしまう……!)


 佑助は気がつくと駆け出し、再び父親に縋りついていた。

「父上! こんなことをしている場合では……! 茜を! 茜を助けてください!」

 父親は一瞬、佑助を見て何か言いかけたが、すぐに茜の父親に視線を戻した。

(父上……!)

 佑助は奥歯を噛みしめると、奉公人に向かって叫んだ。

「誰か……火を! 火を消して!! 茜を……! 茜を助けないと!!」

 佑助の言葉に、奉公人たちがハッとして佑助の方を見た次の瞬間、女の悲痛な叫び声が辺りに響いた。


「あぁああああああああ」


 佑助が驚いて視線を向けると、誰かが小屋に向かって走ってきていた。


「茜!! そこにいるの!? ……茜!!」

 燃え盛る小屋に向かっていく女を、奉公人たちが止めた。

「茜!! 嫌よ……こんなの……茜!! 茜!! 離して!! 茜を助けないと……!!」

 女の金切り声が辺りに響く。


 佑助は叫び出しそうだった。

 錯乱した茜の母親が飛び込んでも、茜を助けられるとは思えなかった。

 それどころか母親を押さえることに人手を取られ、誰も消火にさえ動けていなかった。

(とにかく、早く火を……! 僕も水を……)


『それならおまえが助ければいいだろ?』

 ふいに頭の中で声が聞こえた気がした。

『おまえが炎の中に飛び込んで助ければいい』

(そう……僕が……)

 佑助は燃え盛る小屋に目を向けた。

 小屋から吹きつける風は熱く、その熱風だけで汗が吹き出した。

 佑助の足がかすかに震え始める。

 佑助は動くことができなかった。

『どうした? 飛び込めよ。それとも自分の命の方が大切か?』

 その声は小屋の前に転がった首から聞こえてくるようでもあった。


(違う……。僕は……)

 佑助の瞳が揺れ、頬を汗が伝う。

 鼓動の音だけがやけに大きく耳に響いた。

『ほら、助ける気なんてないんじゃないか』

(違う……僕ひとりじゃ助けられないから……)


 佑助は強く目を閉じると、もつれる足で父親に駆け寄りもう一度縋りつく。

(そう……僕ひとりじゃどうにもできないんだ……。だから……)

「ち、父上……、お願いです……。茜を……」

 佑助はそう口にしながら、父親の顔を見上げる。


 その瞬間、佑助は目を見開いた。


 佑助の父親は笑っていた。

 嘲るように歪んだその顔は、今までに見たことがないほどひどく醜かった。


 佑助は思わず後ずさる。


(これは……誰だ……?)


 呼吸が浅くなり、視界が霞んでいく。

 佑助の父親は厳しい人だった。

 よく笑う方でも、よく話す方でもなかった。

 ただ、温かい人だとは感じていた。

 茜が死にそうなときに嘲り笑う人間ではないはずだった。


 佑助の様子に気づいた父親が、慌てた様子で佑助の腕を掴もうとした。

 佑助は反射的にその手を振り払う。


 耳を覆いたくなるような女の金切り声が、辺りに響いていた。

(僕が生きてきた世界は……こんな世界だった……?)


 炎が揺らめき、無数の人々の影が足元から伸びていた。

 転がる首、嘲り笑うように揺れる影たち、広がる血の海。

(そうか……、僕は……地獄に落ちたのか……)


 次の瞬間、音を立てて小屋が崩れ落ちた。

 小屋はただの瓦礫の山となり、そこに生きた人の気配はなかった。


 佑助の目から涙が零れ落ちる。

(地獄に落ちたんだ……。茜を……見殺しにしたから……)

 佑助は唇を噛んだ。

(そうだ……最初から……僕が飛び込むべきだったんだ……。それなのに僕は……僕は……)

 佑助はその場に崩れ落ちた。

 小屋の前に転がった男の首が、こちらを見て笑っているようだった。

 佑助は思わず顔を覆ったが、佑助の目にはこの光景が焼きついて離れなかった。

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