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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第九章~蓮~
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悪夢②

(どうしてこんなことに……)

 男は向けられた刃先を見つめながら、立ち尽くしていた。


『跡継ぎが生める方をこの家に……』

 屋敷で女が口にした言葉が、男の頭の中で響く。


(違う……。違うんだ……里……。私は、跡継ぎが欲しかったわけじゃない……。茜に……私たちの娘に……私が持っているすべてを与えたかっただけなんだ……。ただ、茜に……幸せに生きてほしかった……)

 男は憎しみに満ちた目でこちらを見ている女を、ただ茫然と見つめていた。

(それなのに……どうして……)


 向けられた刃先は、男に突き刺さる寸前で横にいた男によって止められた。

 男はゆっくりと横の男に視線を向けた。

(笠本……)

 男はかつての友の顔を見た。

 笠本は女の手首を掴み、なんとか女を落ち着かせようとしていた。


(どうしてこうなってしまった……)


 野田と笠本の家は近く、二人は年も近かったため、幼い頃から交流があった。

 そして、妻を迎えた後には同じようになかなか子に恵まれないという悩みもあり、交流はより深いものになった。

 二人は性格で似ているところはあまりなかったが、悩みを打ち明け合う良き友だった。

 しばらくして、同じ時期に子を授かった。

 笠本の家は男、野田の家は女の赤子が生まれた。

 時期はほぼ同じだったが、この差は男にとって大きなものだった。

 やがて成長すれば笠本の家を継ぐ息子と、野田家を出て嫁いでいく娘。

 同じように子を授かったが、辿る道はまったく違うものとなる。


(茜の方が笠本の息子より、よほど優れているのに……)

 男の背後には、笠本の息子が茫然と立ち尽くしていた。


『おまえの娘が嫁に来てくれたら、うちも安泰なんだがな……』

 笠本は、あるとき笑いながらそう言った。

 男にはそれが許せなかった。

(どうして出来損ないのおまえの息子を影で支えながら、茜が生きなければいけないんだ……! 到底、当主の器ではないおまえの息子なんかより、よほど茜の方が優れているのに……! なぜ……! なぜそんな……!)

 男は奥歯を噛みしめた。


()()()は言ってくださった……。いずれこの世は変わると、変えてくださると……。だから……)

 男は茫然としたまま、燃え盛る小屋に視線を移した。


(それなのに……どうして……。どうして茜がこんなことに……)


 そのとき、小屋の前に人影が見えた。

「お父様……」

 茜の声だった。

「茜……!」

 男は目を見開くと、人影に駆け寄った。

「良かった!! 無事だったんだな……!」

 男は茜の両肩を掴んだ。

(良かった……! やはり無事だった……! 無事に逃げていたんだ……!!)

 男の目には自然と涙が溢れていた。


 茜は静かに男を見つめた後、ゆっくりと首を横に振った。

「ねぇ、お父様……」

「なんだ……?」

「どうして…………私を、殺したのですか……?」

 茜の言葉に、男は息を飲んだ。

 その言葉と同時に、茜の全身は赤く焼け爛れ、しだいに灰になっていく。


「ち、違う……!! 待て……、待ってくれ……!!」

 男の言葉は届くことなく、茜は灰になり目の前で崩れ落ちた。


「あ、あぁ……あああああああああああ……!!」

 男は叫び声とともに、目を覚ました。

 男の目に映ったのは、見慣れた無機質な天井だった。


(ああ、またあの日の……)

 男はゆっくりと息を吐いた。

 全身がぐっしょりと濡れていた。

(こんな状態でも私は……まだ……生きているのか……)


 廊下を走る音が響き、部屋の前に奉公人が来たのがわかった。

「大丈夫ですか!? 旦那様!?」

 いつもの聞き慣れた奉公人の声だった。

「あぁ……、大丈夫だ……」

 男はかすれた声でなんとか応える。

「ああ、良かったです……。何かあったのかと……。……入ってもよろしいですか?」

「あ、いや……。今してほしいこともない……戻って大丈夫だ……」

 男はそれだけ口にした。

「そう……ですか……。では、いつものお薬だけご用意して、また置いておきますね……」

 奉公人は心配そうな声で言った。

「ああ、ありがとう……」

 男の言葉を聞くと、奉公人がゆっくりと部屋の前から去っていくのがわかった。


 男は両手で顔を覆った。

「茜……」

 男は呻くように口を開いた。

「どんなに……苦しかったか……。すまない……、本当に……」

 男の目から涙が溢れ、布団を濡らしていく。

「おまえは……私を恨んだだろうな……。私が火を点けたと…………そう思っただろうか……。恨み……憎みながら……おまえは……」

 息が苦しかった。

 しかし、茜の苦しみはこんなものではないと、男はわかっていた。

 あの日のことがきっかけで心を病み、死んでいった妻も、男よりもずっと苦しんでいた。


「誰か…………。誰でもいい……私を……」

 男は、覆っていた顔に爪を立て掻きむしった。

「私を…………殺してくれ……」

 すでに自分で死ぬ力も残っていない男は、ただ自分の死だけを願っていた。

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