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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第一章~山桜~
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お歯黒どぶ

「あ~あ、あいつもう死んだのか」

 菊乃屋の楼主は、鈴を売った切見世からの手紙を受け取るとおかしそうに笑った。

「どいつもこいつもすぐ壊れちゃうなぁ。まぁ、またすぐ新しいのが入るからいいけど」

 楼主は首を掻きながら、張見世を見る。

「今日も家族のためにしっかり働けよ」

 楼主は小さく呟くと、自分の部屋に向かって歩き出した。

 楼主の部屋は見世の一番奥にあるため、見世の賑わいとは対照的に、奥へと続く廊下は薄暗く、しんと静まり返っていた。


 部屋の前にたどり着くと、楼主は背後に気配を感じて振り返る。

「気のせいか……」 

 廊下には誰もいなかった。

(気味が悪いな……)


 楼主は再び部屋の襖に手をかける。

 すると、襖に影が差した。

 驚いて楼主が振り返ろうとすると、突然首が締まり体が浮く。

(な、……なんだ!?)

 楼主が慌てて首を絞めている何かを振り解こうとしたとき、首が一層強く締まり楼主の意識はそこで途切れた。



 楼主は波に揺られているような奇妙な感覚に目を覚ました。

 喉には何か砂のようなものが詰まっている。

 楼主は砂のようなものを唾でゆっくりと飲み込んだ。

 慎重に横に手をついて体を起こすと、その瞬間に楼主の体が揺らぐ。

 楼主は辺りを見回した。

(ここは舟の上なのか!?)

 楼主の前には笠を被った男が立っており、竿で小舟の舵をとっていた。

 突然の光景に、楼主はふと自分は死んだのではないかと思った。

(ここは三途の川か……?)

 楼主は川のように波打っている水面を見た。

 暗いせいか水面はどす黒く沼のように見える。

 楼主はもう一度辺りを見回した。

(いや、ここは……)

「お歯黒どぶか……?」

 楼主が小さく呟いた。

 笠を被った男がゆっくりと振り返る。

「ああ」

 笠の影になり、男の表情はまったく見えなかった。

「おまえが女を捨てていたお歯黒どぶだ」


「な!?」

(なぜ知っている……)

 楼主は混乱しながら、男の目的を考えていた。

「俺をどうする気なんだ……?」

 男は何も言わずにまた前を向いた。


(今、この男さえ突き落としてしまえば!)

 楼主は男の背中を見ながら、静かに立ち上がった。

 そのとき足元が揺らぎ、男は舟に倒れこむ。

 波によろけたのかと思ったが、男の視界がぐにゃりと歪んでいた。

「なんだ……これは……」

 男は楼主が倒れたのに気づき、振り返った。

「ああ、薬だ」

 男は懐から楼主にも見覚えのある薬包紙を取り出す。

「まだあんなにあったんだな。棚にあったものはこのひとつ以外、すべておまえに飲ませておいた」

 楼主の顔がみるみる青ざめていく。

(残りを全部だと……)

 阿片を一度に大量に摂取すれば死ぬことは、楼主も十分に理解していた。

(早く水で胃を洗わないと!)

 楼主は小舟から身を乗り出して水面を見る。

 楼主の目にはお歯黒どぶが澄んだ川に見え始めていた。

 お歯黒どぶに顔をつけて楼主はどぶ水を飲む。

 しかし、ひどい悪臭にすぐにむせて吐いた。

「な……んで……、こんなに綺麗なのに……」

 楼主はどぶの水をすくいあげて眺める。


 男は静かに楼主を見ていた。

 楼主が視線を感じて男の方を見ると、いつのまにか隣に遊女らしき女がいるのに気がついた。

「おまえ……誰だ? いつからそこにいる……?」

 遊女は音もなく楼主に近づくと、楼主の首を絞める。

 そのまま遊女は楼主に馬乗りになった。

 遊女の重みで肺も潰され息ができなかった。

(苦しい……)

 気がつくと十人以上の遊女が楼主を見下ろしていた。


「た、た…すけ……て……!」

 楼主は狂ったように叫ぶと、遊女を振り払いどぶに飛び込んだ。

 着物が泥水を吸って重くなり、楼主が顔を出そうともがくたび、引っ張られるように沈む。

 楼主が手をばたつかせると、ふと白い手が目に入った。

 たくさんの遊女の手が楼主の腕や着物の袖をつかみ、泥水の中に引きずり込もうとしている。

 楼主が叫ぼうと口を開くと、大量の泥水が口に入った。

「ごぼっ、た……すけ……」


 男は静かにお歯黒どぶに沈む楼主を見下ろしていた。

「ほら、おまえのよく言う『家族』が呼んでるぞ」

 男がうっすらと微笑みを浮かべる。

 雲の切れ間からのぞく月明かりに照らされて、男の薄茶色の瞳が妖しく光っていた。

 楼主は目を見開くと、そのまま何かに引き込まれるように深く沈んでいった。


 翌朝、お歯黒どぶに浮かぶ菊乃屋の楼主の遺体が発見された。

 どぶの中でひどくもがいたせいか、楼主の腕や足には黒く長い髪が大量に巻きついていた。

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