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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第八章〜彼岸花〜
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邂逅

「玉屋の男衆の方を、一緒にお連れするということですか? ええ、構いませんよ。ぜひ一緒に参りましょう」

 約束通り、三日後に長屋にやってきた女は、弥吉の提案を笑顔で受け入れた。

「一緒に行って……いいのですか?」

 弥吉がおずおずと聞いた。

「ええ、もちろんです」

 女は弥吉の後ろに立っていた二人の男衆を見て微笑んだ。

「まさか咲耶太夫に興味を持っていただけるなんて思いませんでした。本当に、こちらに皿を持ってこられればよかったですね。こうして皆さんに足を運んでいただくことになってしまい申し訳ないです……。少し遠いですが、どうぞよろしくお願いいたします」

 女の言葉に、男衆たちは顔を見合わせると、女に向かって頭を下げた。

「いえ、こちらこそ突然お邪魔することになり申し訳ございません。よろしくお願いします」

 男衆の言葉に女は笑顔で応えた後、一番後ろにいる信に視線を向けた。

「では、参りましょうか」

 女はそう言うと、先頭に立って歩き始めた。

 その後を弥吉、二人の男衆、信の順で歩いていく。


 しばらく歩いたところで弥吉はゆっくりと歩調を緩め、信に近づいた。

「信さん、あの人……断らなかったね……」

 弥吉は声をひそめて言った。

「ああ」

 信はチラリと弥吉を見ると短く答えた。

「本当に、信さんに皿の補修をお願いしたいだけなのかもね……」

 弥吉はどこかホッとしたように言った。

 信はしばらく弥吉を見つめた後、静かに目を伏せる。

「そうだな……」


 信がそう答えたとき、女が信の方を向いた。

「そろそろ一度休憩いたしましょうか」

 女はそう言って微笑むと、少し先にある茶屋を指さした。


 女に促されるように、一行は茶屋に入ることになった。

 男衆や弥吉が茶を飲み始めたのを確認すると、女は外で休むと言って茶屋を出た。

 信はそれを見てゆっくりと立ち上がると、女に続いて茶屋を出た。


 女は茶屋に背を向けて空を見ていた。

「どういうつもりだ」

 信は女の背中に向かって聞く。

「用があるのは俺だけのはずだ。なぜ弥吉や男衆を連れてきた」

 信の言葉に、女はゆっくり振り返ると微笑んだ。

「一緒に行きたいと言ったからですよ。私が連れてきたわけではありません」


 信は女を睨む。

「関係のない人間を巻き込むな」

「私は巻き込んでおりません。それに、何か勘違いされていませんか?」

 女はフフッと笑うと、信に一歩近づいた。

「勘違い?」

「そう、勘違いです」

 女はそう言うと、信の耳に口を寄せた。

「私たちは何もいたしません。あなたを苦しめるものがあるとすれば、それは……」


「信さん!」

 信が声の方を見ると、茶屋の前で弥吉が青い顔をして立っていた。

「何か……あったの……?」


 信が口を開く前に、女が一歩前に出た。

「なんでもありませんよ」

 女はそう言うと、にこやかに弥吉に歩み寄る。

「あとどれぐらいで着くのか聞かれたので、お答えしていただけです。さぁ、もう少ししたら出発しましょうか」

 女は弥吉の背を優しく押すと、茶屋の中に戻っていった。


「苦しめるもの……」

 信はひとりそう呟くと、静かに目を閉じ茶屋に戻った。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 雨音が聞こえた。

 信は歩きながら空を見る。

 日は暮れ始めていたが、空には雲ひとつなかった。

 空は晴れている。

 しかし、信の頭の中ではずっと雨の音が響いていた。


(ここは……)

 信は、この景色に見覚えがあった。

 まだ目的の屋敷には着いていなかったが、もうすぐだと女が言っていた。

 今見えている景色と、記憶の中の薄暗い景色が信の中で重なっていく。

 体が重かった。

 全身が雨で濡れているように着物は重く、肌に纏わりつき不快だった。

 信は思わず目を閉じる。

 耳に響く雨音は一層強くなった。

 信は自分の息が荒くなっていることに気づいた。


『よくも……!』

 頭の中で子どもの声が響く。

 信は思わず両耳を覆った。

 目を開く、信の着物は濡れていた。

 それは雨ではなく、赤黒く血の臭いがしていた。


『ねぇ……どうしてなの……?』

 信は顔を上げる。

 女の声とともに、赤黒く染まっていく百合の花が見えた。

 黒い百合の花の周りを飛び回る蠅、鈍く光る十字架、片足のない黒い塊。

 さまざまなものが信の目の前に広がっていく。

 信は足を前に進めることができなくなり、静かに足を止めた。


「さぁ、着きましたよ」

 女の声が響き、信は茫然と女が指し示す先を見た。

(ああ、ここは……)

 そこには屋敷の門があった。


『よくもお父様を……!』

 憎しみに満ちた眼差しが信に向けられる。


(そうだ……。ここは……俺が殺した男の屋敷だ……)


「し、信さん!?」

 信の様子に気づいた弥吉が慌てて信のもとに駆け寄った。

「どうしたの!? 顔……真っ青だよ……?」

 男衆の二人も尋常ではない信の様子に気づき、慌てて信に駆け寄る。

「どうされたんですか!? この汗も……一体何が……」

 男衆のひとりが戸惑いがちに言った。

「医者に診てもらった方がいいんじゃないか? これは皿の補修どころじゃないだろう……」

 もうひとりの男衆も心配そうに呟く。


 信は何も答えることができなかった。

 聞こえる言葉はひどく遠いもののように感じた。

 信の耳にはずっと止まない雨の音が響いていた。


「あの、妙さん……今日は……」

 弥吉が顔を上げて女の方を向いた。

「え……?」

 門の前にいたはずの女は、どこにもいなかった。

「妙さん……?」

 弥吉は立ち上がると信から離れ、屋敷の周りを歩いて女を探したが、女を見つけることはできなかった。


「どうする……?」

 男衆のひとりが弥吉に聞いた。

「……戻りましょう……。必要があれば妙さんの方からまた長屋に来るはずです……」

 弥吉はそれだけ言うと信に駆け寄り、顔を覗き込んだ。

 信の顔は青ざめていて、その目は何も映していないようだった。


「とりあえず俺たちが肩を貸すから、弥吉は良庵先生のところまで案内してくれ」

 男衆二人が信の両脇に立って、信を支えた。

「あ、はい。わかりました……!」

 弥吉は先頭に立って男衆を誘導する。


「信さん……、一体どうしたんだよ……」

 弥吉は足を進めながら、ひとり小さく呟いた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「あれ……、確かに門を叩く音が聞こえたんだけどな……」

 少年が、ゆっくりと屋敷の門を開けて外に出た。

「気のせいってことはないよな……。結構叩く音が響いてたし……」

 少年が辺りを見回していると、遠くに両脇を支えられて歩いている男の背中が見えた。


 少年は目を見開く。

(あの薄茶色の髪……)

 少年の脳裏に、父親を殺された日の光景が鮮やかに蘇る。

 薄茶色の髪と瞳、血まみれの着物。

 そして、男の足元に横たわる血に染まった父親の姿。


(あいつだ……! あいつ……生きていたんだ……!!)

 目の前が真っ赤に染まっていくようだった。

 気がつくと少年は走り出していた。

(殺してやる……! あいつだけは……絶対に!!)


 男の背中が脇道に入って見えなくなった。

(逃がすか……!)

 少年がそう思い足を速めたとき、脇道から出てきた女と勢いよくぶつかった。


「キャ……!」

 女はよろけ、その場に倒れた。

「あ、すみません……!」

 少年は我に返り、慌てて女に駆け寄る。

「すみません……。人を追っていて……! あの急いでいて……本当にすみません……!」

 少年は女に怪我がないことを確認すると、再び男の後を追おうとした。

「人って……信さんですか……?」

 女は少年を見つめると、首を傾げて聞いた。

「さっきすれ違ったから……。あの、薄茶色の髪の……」


「え!?」

 少年は目を丸くして、女を見つめ返した。

「あの男を……知っているんですか?」

「ええ、近所に住んでいる人で……。私、信さんとだいぶ前にすれ違ったから、もう追いつくのは難しいんじゃないかしら。急がなくても住んでいる長屋を教えられるわよ」

 女はそう言うと微笑んだ。


(住んでいる長屋……)

 少年は少しだけ冷静さを取り戻していた。

(そうだ……今追いかけたところで、俺が殺されるだけだ……。準備をして……確実に殺すんだ……)


「それもそうですね……。……では、長屋の場所を教えていただいてもいいですか……?」

 少年はおずおずと言った。

「ええ、紙と筆をいただければ、すぐにくわしい道順を書くわ」

「ありがとうございます……! 紙と筆ですね。少し待っていてください。すぐに持ってきます」

 少年はそう言うと屋敷に向かって駆け出した。



 少年の背中を見送った女は、ひとり妖しげに微笑んだ。

「だから言ったでしょう? 私たちは何もしないって」

 女は目を細める。

「あなたを苦しめるのは…………過去のあなたよ」

 女は微笑みを浮かべたまま、そっと目を閉じた。

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