十二年前
「なんだか花の香りがしますね」
藤吉がいつものように小屋の中に入ると、百合が不思議そうな顔をした。
「相変わらず動物並みの鼻の良さだな」
藤吉は苦笑しながら、百合の横に腰を下ろした。
「ほら、これやるよ」
藤吉は百合の手を取ると、持ってきたツツジの花を手のひらに乗せた。
「これは……?」
百合は慎重に花に触れる。
「花だよ。ツツジの花」
「ツツジ……」
百合は花に顔を近づけた。
「優しい香りですね。いい匂いです」
百合は嬉しそうに微笑んだ。
「まぁ、いい匂いかどうかは俺にはわからねぇけど、この花は別の楽しみ方があるんだよ」
藤吉はそう言うと、百合の手からツツジの花を取り、花の根元を百合の口に寄せた。
百合がわずかに身を引く。
「なんですか?」
「ここ、吸ってみな」
藤吉は花を百合の唇に少しだけ当てた。
百合は躊躇いがちに唇を開くと、花の根元を口にくわえて少しだけ吸った。
「あ……、甘い」
百合は口から花を離すと、少しだけ驚いたような顔をしていた。
「ツツジの蜜だ。あ、でも勝手に取ってきて吸うなよ。ツツジは種類によっては毒があるから」
藤吉は花を百合の口元から離し、百合の手の上に乗せた。
「毒……」
百合は、手の中の花に触れながら呟いた。
「これは大丈夫だから安心しな」
「フフ、藤吉さんがくれたものなので心配はしていません。でも、どうしてこれを……?」
百合は不思議そうに首を傾げた。
「特に理由はねぇけど……、かび臭い小屋で血の臭いのする中、毎日同じようなメシ食ってるんだろう? たまには違うものに触れるのもいいんじゃないかと思っただけだ」
百合はわずかに目を開いた後、静かに微笑んだ。
「なんだよ、変な顔で笑うな」
「フフ、普通に笑っただけです。変な顔は失礼ですよ」
「知るか。笑うならもっと楽しそうに笑え」
藤吉の言葉に、百合は吹き出した。
「これでも楽しそうに笑っているつもりなんです。そう言うなら藤吉さんが手本を見せてください。まだ一度も藤吉さんの笑い声、聞いたことありませんよ」
「面白いこともねぇのに笑うわけないだろ」
藤吉は呆れたように言った。
「面白いことですか……。あ、嬉しいときも笑いますか?」
「ん? まぁ、笑うだろうな……たぶん」
「では、嬉しいことを思い浮かべて笑ってみてください」
「は?」
藤吉は困惑して、百合を見つめる。
「さぁ、笑ってください」
「さぁって……。まぁ、いいけど……」
藤吉はぎこちなく口角を上げる。
藤吉の予想通り、百合の両手が藤吉の頬に触れた。
「あ、今日も髭はないのですね。……う〜ん、なるほど……。本当に笑っていますか?」
百合は眉間にシワを寄せながら、両手を滑らせ藤吉の顔を確認していく。
「笑っているというより強張っているような……」
百合の言葉に、藤吉はフッと笑った。
「当たり前だろ。さぁ、笑えって言われたら、みんなこんな顔になる」
「あ、今笑いましたね! なるほど、この感じですね……」
百合が真剣な顔で、藤吉の顔を撫でる。
「これですね。覚えました」
百合は満足げにそう言うと、両手を下ろした。
「藤吉さんに今みたいな顔をしてもらえるように、頑張ります」
百合は楽しそうに笑った。
「おいおい、誰が笑わせてほしいって言った?」
藤吉は呆れて百合を見た。
「藤吉さんの笑顔を参考に、私も笑うようにしますから」
ニコニコしている百合を見ながら、藤吉は諦めたように息を吐いた。
「勝手にしろ」
自分の顔など、どうでもよかった。
ただ百合が楽しそうに笑っているのを見て、好きなようにさせようと藤吉は静かに思った。




