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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第八章〜彼岸花〜
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十三年前③

「どうした? 何かあったのか?」

 藤吉が窓から小屋の中を覗き込むと、百合はどこか力なく微笑んだ。

「藤吉さんはすごいですね……。心が読めるのですか?」

「アホか、読めるわけねぇだろ」

 藤吉は呆れた顔で言った。

「おまえの顔色が悪いから聞いてるだけだ」

「ああ、顔色……ですか」

 百合はそう言うと自分の顔に手を当てた。

「まったく……」

 藤吉はそう言うと小屋の戸に向かい、声を掛けずに中に入ると百合の隣に腰を下ろした。


「なんだ? 熱でもあるのか?」

 藤吉は百合の額に手を当てる。

 百合の顔は、藤吉の手よりもずっと冷たかった。

「熱はねぇな……。っていうか、おまえの体冷たいな。大丈夫か?」

「あ、はい。少し寒かっただけなので」

 百合は少しだけ微笑んだ。

「そうか……」


 百合は微笑みを浮かべたまま、少しうつむく。

「どうした?」

 藤吉の言葉に、百合は躊躇いがちに口を開いた。

「……あの、藤吉さん。ひとつ聞いてもいいですか……?」

「なんだ?」

 藤吉は百合を見た。

 百合はやはりどこか暗い顔をしていた。

「藤吉さんは……ここで……どんな仕事をしているんですか……?」

 百合の言葉に、藤吉はわずかに目を見張った後、目を閉じた。

「……そんな聞き方するってことは、だいたい検討はついてるんじゃねぇのか?」


 百合は唇を噛んだ。

(気づいたみたいだな……)

 百合の様子を見て、藤吉は息を吐いた。

(足音で誰かわかるくらいの察しの良さなら、弟が何をさせられてるかぐらい気づくか……。弟が話したのかもしれないしな……)


「逃げたくなったか?」

 藤吉はなるべく穏やかな口調で聞いた。

「逃げられないのでしょう……?」

 百合はひどく暗い顔で自嘲気味に笑った。

「そして、その一番の原因は……私ですよね?」


(察しが良すぎるのもツラいものだな……)

 藤吉はチラリと百合を見て、ため息をついた。

「弟が逃げたいとでも言ったのか?」

「いえ……、弟は何も……。自分が何をしているのかも話そうとしないので……」

 百合はそう言うと、首から紐で下げている十字架を震える手で握りしめた。

「でも、私……最初気づかなくて……愚かなことを言いました……」

 百合の声はかすかに震え、まるで泣いているようだった。


「愚かなこと?」

 藤吉は眉をひそめた。

「『血の臭いがするけれど、今日も狩りだったのか?』と……」

 百合はかすれた声で言った。

「本当に……愚かでした……」


(ああ……、それは……)

 藤吉はただ静かに百合を見ていた。


「あれから信は……私を避けるようになりました……。きっと人を殺したこと……知られたくないのだと思います。私が触れたときも、すごく緊張しているのがわかるんです……」


 藤吉は何も言えなかった。

 何を言っても慰めにならないことは、よくわかっていた。


「今、私ができることは、信が望んでいるように気づかないフリをすることだけです……。信を逃がすことも私にはできないですから……」

 百合の目から涙がこぼれた。

 藤吉は目を伏せる。


(最初から……わかっていたことだ……)

 二人を連れてきたときから、こうなることは予想がついていた。

 盲目の姉と、二人で生きるために何でもすると言った弟。

 目の見えない女を連れてここから逃げることは、容易なことではない。

 絶対に逃げられない犬、裏切ることがない手駒として、弟はここに連れて来られた。


 藤吉は息を吐いた。

「……逃げるなんて話は、あまりここの人間にしない方がいい……。ここがどういうところか、もうわかっただろう?」

 百合は頬を伝う涙を拭うと、少しだけ微笑んだ。

「藤吉さんは良い人なので……」

 百合の言葉に、藤吉は目を丸くする。

「まだそんなこと言ってんのか? 俺からだって……血の臭い……してるだろう?」

「…………はい」

 百合は少しだけうつむくと呟くように答えた。


「おまえの神様だって、俺を許さないだろう?」

 藤吉は、百合の胸元の十字架を見る。

 その瞬間、百合は顔を上げ、ゆっくりと目を開いた。

 薄茶色の瞳に藤吉の顔が映る。

 百合が見えていないことはわかっていたが、瞳に浮かぶ自分の姿から藤吉は思わず目をそらした。


「たとえ神が許さなくても、私がどう思うかは私の自由です」

 百合の今までにない強い口調に、藤吉は驚いて百合に視線を戻した。

「藤吉さんは良い人です。私がそう感じるのですから、それが真実です」

 藤吉は、毅然とした物言いに呆然と百合を見る。

「おまえ……実は……相当頑固だろ……」

 藤吉の言葉に、百合はクスッと笑う。

「藤吉さんがそう感じたなら、そうなんでしょうね」

 藤吉は苦笑した。


「藤吉さん、少し顔に触れてもいいですか?」

 そう口にした百合の顔色は、先ほどより少しだけ明るくなったような気がした。

「またか? まぁ、いいけど……もうどんな顔の形かわかっただろ?」

「あ、はい。でも、今どんな表情をしているか知りたくて……」

「表情ねぇ……。まぁ、いいけど……」

 藤吉はそう言うと、百合の手を取り、自分の顔に触れさせた。

「ほら、こんな顔だ……」


「ああ、なるほど……」

 両手で藤吉の顔に触れた百合は、そう言いながら何かに気づき動きを止めた。

「どうした?」

「あ、いえ……」

 百合は戸惑いがちにそう言うと、両手を下ろした。

「あの、髭が……」


「ああ」

 藤吉は自分の顎に触れる。

「剃ったんだよ。またおまえに、顔から棘が生えてる化け物だって言われたくねぇからな……。それがどうかしたのか?」


 百合の口が何か言いたげに動いたが、百合は結局何も言わず静かに微笑んだ。

「何を笑ってるんだ?」

 藤吉は眉をひそめる。

「いいえ、なんでもありません」

「なんだよ、ニヤニヤして……。気色悪ぃな……」


 百合の顔色はまだ悪かったが、どこか明るいその笑顔に、藤吉は少しだけホッとしていた。

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