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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第七章〜南天〜
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ささやかな笑み

「それで……あの屋敷は今どうなっているんだ?」

 咲耶は、久しぶりに部屋を訪ねてきた叡正を見つめた。

「今か……俺はあれからあの屋敷には行ってないからな……」

 叡正が少し申し訳なさそうに口を開く。

「隆宗様が新しい当主になるらしいっていうのは、噂で聞いたけど……。屋敷を離れていた奉公人たちもほとんどが帰ってきたってさ」

 叡正はそう言うと少しだけ微笑んだ。



 隆宗が父親を刺し殺そうとしたあの日から、ひと月が過ぎていた。

 あの後、隆宗は奉行所に行き、屋敷で起こったことを包み隠さずすべて話した。

 奉行所の人間が屋敷を探ると、謀反を企てた証拠がいくつも見つかり父親は捕らえられ、計画に関わっていたほかの者も捕まった。


 隆宗は、死体を井戸に捨てたうえ、噂を流して奉行所を惑わしたことで罪には問われたが、父親の謀反を止めるためだったということもあり、大きな罰は受けなかった。

 乳母が残した手紙は、隆宗の話した内容を裏付ける証拠となったのと同時に、奉公人たちが隆宗を支えていこうと決意するきっかけにもなった。

 親戚の屋敷を回って奉公人たちの受け入れ先を探していたことも、奉公人たちの想いを強くした。



 咲耶は目を伏せた。

「……そうか。よかった、とは言えないかもしれないが……、弥吉の友人が罰せられなかったこと、支えてくれる人たちがたくさんいることは、せめてもの救いだな……」

「ああ……そうだな」

 叡正は呟くようにそう言うと小さく頷いた。


 咲耶は自分から伸びる影を見つめ、ようやく日が傾いてきていることに気がついた。

「あ、そういえば、そろそろ時間か……」

 咲耶は思わず呟く。

 叡正はハッとした顔で咲耶を見た。

「あ、悪い。長居した……。これから何かあるのか?」

 叡正は慌てた様子で立ち上がろうとした。

「あ、いや、このまま居てくれて大丈夫だ。これから……」

 咲耶は叡正を見て微笑んだ。

「弥吉が来るんだ」


 叡正は目を丸くする。

「弥吉……ってことは文使いとして復帰するのか?」

 叡正はどこか嬉しそうな顔で聞いた。

「ああ、まだ弥吉から直接返事はもらっていないが、また働いてくれるそうだ」

 咲耶は微笑んだ後、静かに目を閉じた。

「無事に、父親の最期は看取れたようだからな……」

「……そうか」

 咲耶の言葉に、叡正は静かに目を伏せた。


 そのとき、襖の向こうで緑の声が響く。

「花魁、弥吉さんと信様がいらっしゃいました」


 咲耶はチラリと叡正を見る。

「噂をすれば、だな。……通してくれ」

 咲耶がそう言うと、ゆっくりと襖が開き、信と弥吉が姿を見せた。

 信はそのまま部屋に入ったが、弥吉はその場で咲耶に向かって膝をついた。

「弥吉?」

 咲耶は目を丸くする。

 弥吉は両手を畳につけて、頭を下げた。

「咲耶太夫……、俺は……とんでもないことを……」

 弥吉は頭を下げたまま、絞り出すように言った。


 咲耶は苦笑する。

「おいおい、そんなことが聞きたくて呼んだわけじゃない。頼むから顔を上げてくれ……」

 咲耶の言葉に、弥吉がおずおずと顔を上げる。

「だいたいの話は信から聞いている。おまえは何も悪くないんだから、気にするな。そんなことより文使いが足りていなくて困っているんだ」

 咲耶はわざとらしく困った表情を作る。

「前にいた文使いが、それはそれは良い仕事をしてくれていてな……。あの子じゃないとダメだと言ってくる客が多くて困っている。なぁ、弥吉……文使いの仕事、頼まれてはくれないか?」

 咲耶は弥吉を見て優しく微笑んだ。


 弥吉は目を見開く。

 その目にみるみるうちに涙が溜まった。

 弥吉はこみ上げるものを抑えるように、わずかに唇を噛んだ。

「……はい、もちろん……」

 弥吉はそう言うと、着物の袖で目を擦る。

「前いた文使いなんて霞むくらい、良い仕事をしてやります……!」

 弥吉はまだ涙の浮かぶ目で、真っすぐに咲耶を見た。


「ふふ、それは心強いな」

 弥吉の言葉に、咲耶は微笑むと弥吉に向かって手招きした。

「ほら、そんなところにいないでもっと近くに来てくれ。話しづらいだろ?」

「あ……はい!」

 弥吉は慌てて部屋に入ると、信と叡正の隣に腰を下ろした。


「それで、ちゃんと最期を見届けることはできたのか?」

 咲耶は弥吉を見て聞いた。


「はい、信さんの家で最期まで看病することができました」

 弥吉はそこで少し笑った。

「まぁ、看病って感じでもなかったですけどね。信さんが変なことばっかりするから、父ちゃんも気になっておちおち寝てられなったみたいで……。看病させて申し訳ないみたいな雰囲気にならなかったので、逆によかったかもしれないですけどね。なんだかんだで毎日笑ってたし、良庵先生の薬のおかげか、最期まで穏やかな顔をしてました」

 弥吉は浮かんだ涙を隠すように、静かに目を伏せた。


「……そうか」

 咲耶も目を伏せる。

(よかった……とは言えないが、悔いの残る別れにはならずに済んだか……)

 咲耶は息を吐くと、話しを変えることにした。


「ところで、これからなんだが、またあの屋敷に戻るのか? あの屋敷からここまではかなり遠いだろう?」

 咲耶は視線を上げると弥吉を見た。

「あ、はい。ここで働くためにも、また信さんの家で暮らすことにしました。隆宗のところにはちょこちょこ顔は出そうと思ってますが、そもそも俺、あの屋敷であまりできることがないので……。それに、隆宗にはたくさん奉公人がついてますからね」

 弥吉は苦笑した。

「むしろ信さんの方が俺がいないと心配です」

 弥吉の言葉に、咲耶は思わず吹き出した。

「ふふ……確かにそうだな」

 咲耶は笑いながら、チラリと信を見た。


 その瞬間、咲耶は目を見開く。


 信の口元が動き、かすかに笑ったように見えた。

(え……?)

 咲耶が瞬きをして、もう一度信を見る。

 信はまたいつもの表情に戻っていた。

(今……笑った……?)

 咲耶の胸に温かいものがこみ上げる。

(笑ったのか? 信が……)


「咲耶太夫?」

 咲耶の動きが止まったため、弥吉は不安げに咲耶の名を呼んだ。

「あ、いや……なんでもない」

 咲耶は慌てて首を振った。

 三人は横に並んでいたため、咲耶以外誰も信が笑ったことに気づいていないようだった。


(信も……変わり始めている……)

 咲耶は思わず胸に手を当てた。

(よかった……本当に……!)


 咲耶は目を閉じた後、弥吉を見つめた。

「おまえがいてくれて……本当に良かった。大変かもしれないが、これからも信のそばについていてやってくれ」

 弥吉は少しだけ目を見張った後、照れくさそうに笑った。

「はい、もちろんです!」

 弥吉の言葉に、咲耶は微笑んだ。


「そうだ、まだ言っていなかったな」

 咲耶は弥吉を見つめ、満面の笑みを浮かべた。

「おかえり、弥吉」

 弥吉はわずかに口を開けた後、嬉しそうに微笑んだ。

「はい、ただいま戻りました!」


 窓から入ってくる風が心地よかった。

 夏は過ぎ、季節はまもなく秋を迎えようとしていた。

~南天~ 花言葉『良き家庭』『私の愛は増すばかり』


第七章を最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました(T ^ T)

すぐに第八章が始まりますので、引き続き読んでくださる方はブックマークなどしていただけると大変嬉しいです!

ここまで読んでいただき、本当に本当にありがとうございます!!

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