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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第一章~山桜~
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町医者と鈴

「え……何それ?」

 真夜中に叩き起こされた良庵は、戸口で信に問いかける。

 視線の先にはコモが被せられた荷車があった。

「患者だ」

「え……死体だろ、それ……?」


「夜遅くに……すみません……」

 どこからともなく女の声が聞こえ、良庵は辺りを見回す。

 するとコモが捲れ、荷車の上で女がゆっくりと体を起こした。

 着物は血で汚れ、髪は乱れ、頬を赤く腫れ上がらせた女は、申し訳なさそうに微笑んだ。

 薄暗い夜道でその風貌に浮かんだ笑顔は、良庵にとって恐怖でしかなかった。

「ひぃ!!」

 良庵が尻餅をついた。

「あ、すみません! 不用意に……声をかけない方がよかったですよね……」

 女の慌てた声が聞こえた。

 良庵は腰をさすりながら立ち上がると、もう一度そっと荷台を見る。

「何……生きてるの?」

「はい……、まだ生きてます……」

 鈴は申し訳なさそうに微笑んだ。


 良庵は信に視線を移すと、ため息をついて頭を掻いた。

「とりあえず、入れ。目立つから……」

 良庵がそう言って促すと、信は鈴に肩を貸して長屋の中に入った。

 良庵が敷いた布団の上に信が鈴を寝かせると、良庵は視線で信を呼んだ。

 良庵と信は戸口まで移動する。

「おいおい、誰なんだよ、あれ! 俺は厄介ごとは御免だぞ! それに患者って、ありゃもう……いつ死んでもおかしくないだろ! 治療なんてできる段階じゃねぇよ」

 良庵は声をひそめながら言った。

 そのうちに死体になるだろう見ず知らずの女を置いていかれるなど冗談でも嫌だった。

 信は表情を変えずに、懐に手を入れる。

「なんだ、金か? 金なんかいらねぇから、早く女を……」

 良庵が言い終える前に、信が懐から手紙を出して差し出す。

「先生がそう言ったら渡せと、咲耶が」


 良庵は怪訝な顔をしながら手紙を受け取ると読み始める。

 しばらく文字を目で追っていた良庵は、しだいに自分の手が震え始めるを感じた。

(あり得ない! あの薬の葉が手に入ったって!? どれだけ手を回しても無理だった薬なのに……。しかもタダでくれる!? 条件は…………)

 目を見開いて手紙を読んでいた良庵は、読み終えると静かに手紙を閉じた。


 良庵は先ほどとは打って変わった爽やかな笑顔で信を見る。

「患者を診るのは医者の当然の仕事だ。喜んで受け入れるよ。信は疲れただろ? 茶でも飲んでいくか?」

「いや、俺は大丈夫だ。ありがとう」

「そうか。じゃあ、俺は女を診察してくる」

 良庵はそう言うと軽い足取りで女の方へ歩いていった。


 鈴は良庵が近づいてくる気配を感じて、布団から体を起こした。

「ごめんなさい……。ご迷惑を…おかけしてしまって……」

「ツラいだろ? 寝たままでいい。ちょっと具合だけ診させてくれ」

 鈴は言われたとおり、再び布団に横になる。

「ありがとうございます……。ただ、私はもう……。今もこれがなかったらたぶん…話せる状態でもないと思うので……」

 鈴はそう言うと胸元から薬包紙を取り出した。

(ああ……、そういうことか)

 良庵は薬を見て、今の鈴の状態もおおよその事情も理解した。

(信が言ってた遊郭の件ね……)

 良庵は静かに息を吐いた。

「あの……ご迷惑だと思うので、治療は必要ありません……。ただ少しだけ置いておいてもらえれば……。もうすぐ死ぬのは……わかっているので……」

 良庵は鈴を見つめる。

 良庵も人並に人間の情は持ち合わせているつもりだった。

 再び息を吐いた後、良庵は鈴の乱れた髪をそっとなでる。

「……人間はみんないつか死ぬんだ。最後は死ぬのに、なんで医者なんてものが存在すると思う?」

 鈴は不思議そうに良庵の顔を見つめた。

「最期の最後までちゃんと生きるためだよ。まだ会いたい奴や話したいことがあるんじゃないのか? あんまりお上品に生きてると最後に後悔するぞ。人間なら泥臭くても足掻いて生きて、薄汚くても笑って死にな」


 鈴の見開かれた瞳にみるみる涙が溢れていく。

 鈴は涙をこぼさないように歯を食いしばって頷いた。

「はい……!」


(あ~あ、本当にガラにもねぇ……)

 良庵は頭を掻きながら、鈴の診察を始めた。

(まぁ、人生の最期に見るのが見ず知らずの薄汚いおっさんじゃ可哀そう過ぎるからな……。時間稼ぎくらいはしてやるよ……)



 信はそんな二人の様子を眺めていたが、しばらくすると二人に気づかれないようにそっと長屋を後にした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 明け方、咲耶は客を大門まで見送っていた。

 客に小さく手を振っていた咲耶は、客の姿が見えなくなると手を止め微笑みを消した。


「間に合ったか?」

 咲耶は前を向いたままひとり呟く。


「ああ」

 大門の影で信が答えた。


「そうか……」

 咲耶はそっと息を吐いた。

「今は良庵が診ているのか?」


「ああ。ただ、いつまでもつかはわからない」

「……そうか」

 咲耶は目を伏せた。

(約束の日が早まったのはよかったかもしれないな……)


「今日の昼……もし会えたらあいつも連れてきてくれ」

「わかった」

 咲耶は信の返事を聞くと、身をひるがえして玉屋に戻っていった。

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