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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第七章〜南天〜
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守るべきもの

「隆宗様!」

 門を開けて屋敷に入ってきた隆宗の姿を見て、奉公人の男は慌てて隆宗に駆け寄った。

「おかえりなさいませ、隆宗様! お帰り早々に申し訳ないのですが、ご報告が……! 一昨日からこの屋敷に……」

「すみません」

 隆宗は男をチラリと見ると、言葉を遮るように言った。

「今は疲れているので、報告は後日伺います。それから……父上に大切な話があるのですが、父上は屋敷にいますか?」

「え、あ……はい。お部屋にいらっしゃいます」

 男は戸惑いながら頷いた。

「そうですか……」

 隆宗は目を伏せる。

「では、父上と内密に話すことがありますので、今日は誰も私と父上の部屋に近づかないようにしていただけますか?」

 隆宗の言葉に、男は目を丸くする。

 隆宗がそんなことを口にしたのは初めてだった。

「あ……はい。承知しました」

 隆宗はそれだけ言うと、そのままひとりで屋敷の中に入っていった。



 隆宗は自分の部屋に戻ると、早くなる鼓動を落ち着かせようと大きく息を吐いた。

(奉公人の受け入れ先はこれで問題ない……)

 隆宗は目を閉じて、ゆっくりと息を吸う。

 まだ鼓動はうるさいほど耳に響いていたが、手の震えは少しだけ治まったように感じられた。


 隆宗は数日かけて江戸にある親戚の屋敷を回り、奉公人の受け入れ先を決めてきていた。

 奉公人を受け入れてほしいと伝えると、初めは皆困惑していたが、怪談騒動で奉公人が怖がっていると説明すると納得した様子を見せた。

 すでに屋敷に残っている奉公人の数は少なくなっていたため、いくつかの親戚の元を訪ねるだけですべての奉公人の受け入れ先を手配することができた。


(あとは……)

 隆宗は懐から植物の根のようなものを取り出した。

(この手で終わらせるだけだ……)

 隆宗は手の震えを止めるように強く瞼を閉じ、植物を握る手に力を込めた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 日が落ち、辺りは闇に包まれていた。

 奉公人に、部屋に近づかないよう言っておいたため、父親の部屋へと通じる廊下はひっそりと静まり返っている。

(静かだな……)

 隆宗の体はもう震えてはいなかった。

 怒りも悲しみもなく、ただ成すべきことを成すという想いだけが、隆宗の足を前に動かしていた。

(これで終われる……)


 隆宗は部屋の前に着くと、ゆっくりと襖を開ける。

 部屋の中は暗かったが、暗闇の中で蠢く影があるのがわかった。

 かすかなうめき声が部屋に響いている。


「ああ、やはり……。あれだけでは死ねなかったのですね……」

 隆宗は小さく息を吐くと、ゆっくりと影に向かって近づいた。


 影のそばにはひっくり返った食事の膳があった。

 器は散らばって落ちていたが、畳は汚れていなかった。

(全部食べたのか……)

 隆宗は、仰向けで苦しそうに悶えている父親の元に近づいた。

 父親の見開かれた目に、隆宗の姿が映る。


「あ……あぅ……あ……」

 父親が何か訴えかけるように口を開いたが、口からは苦しそうなうめき声が漏れるだけだった。


「いろいろ……聞きたいことがありそうですね」

 父親を見下ろしながら、隆宗は淡々とした声で言った。

「これが最後でしょうから、お答えします」

 隆宗の言葉に、父親の目が一層見開かれる。


「食事の中に毒性のある植物の根を混ぜました。なるべく苦しまずに死んでいただければと思ったのですが、やはりそんなにうまくいきませんね」

 父親の口が何か言いたげに動いていたが、やはりそれは言葉にならなかった。

 泳いでいた父親の瞳が部屋の外に向けられる。

「あ、気にしているのは護衛ですか? あの二人は買ってきてほしいものがあると言って多めの金を渡したら喜んで出ていきましたよ」

 隆宗は冷ややかに笑った。

「本当に大した護衛ですね」


「ど……し……」

 父親が絞り出すように呟く。

「ああ、どうしてと聞きたいんですね。皆を守るためです。あ、皆の中に父上のことは含まれておりません。母上から……支えてくれる皆を守るようにと……言われていましたから」

 隆宗は目を伏せた。

「結局私は……何も守れませんでした……。もう失ったものは戻りませんが……すべての元を絶つために、今日ここに来たのです」


「な……!? そ……! あ……う……!」

 血走った目で父親が何か訴えていた。

「何か不満がありそうですね。しかし、事実です。父上があの女をそばに置かなければ母上は死ななかった。あの女が弥吉を殺そうと考えなければ、清さんもあんなことはしなかった。それに……あなたに殺されることもなかったのです。弥一さんだって、働きに見合った金を払っていれば、病気になどならなかったかもしれない……。すべての元凶は間違いなくあなたです」

 そのとき、カチャリという金属の音がした。

 父親の視線が隆宗の腰元に向けられる。


「終わりにしましょう、父上」

 隆宗はそう言うと腰元の刀を手に取り、ゆっくりと鞘から抜いた。

 部屋は暗かったが、それでも研ぎ澄まされた刃先は鈍く光って見えた。


「うぅ……! や……え……!」

 父親は目を見開き、体を動かそうともがいていた。

「ムダですよ……。麻痺しているでしょう? そういう毒です。苦しくないように一突きで終わらせますから」

 隆宗は両手で柄を握りしめると、刃先を父親の心臓に向けた。

「うぅ! や……!」

 父親がわずかに動く手足を動かしバタバタともがく。

「ずれてしまうと、心臓を一突きにできないので動かない方がいいですよ」

 隆宗が淡々と言った。

「私も……すぐに後を追いますから。先に行っていてください」

 隆宗はそう言うと、渾身の力を込めて父親の心臓に向けて刀を下ろす。


 目は閉じていたが、途中で不自然に刀が止まり、隆宗は思わず目を開けた。

(え……?)

 そこには柄を持つ隆宗の手とは別に、()を握る手があった。

 刀の(つば)が刃を掴んでいる拳にぶつかって止まり、刃先は父親に届くことなく寸前で止まっている。

 隆宗は茫然とその手から腕をたどり、いつの間にか隣に立っていた人物を見上げた。


「どうして……あなたが……?」

 隆宗はか細い声で呟いた。

 薄茶色の瞳がどこか悲しげに、ゆっくりと隆宗に向けられた。

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