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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第七章〜南天〜
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十日前②

「伊予さんが……母上を殺した……?」

 隆宗はただ茫然と、血を流して倒れている伊予を見つめていた。

 乳母はしゃがみ込んだまま小さく頷く。

「はい……。それに……弥吉を殺す……と」

「弥吉を……!? どうして……」

 隆宗は目を見開き、乳母を見た。

「わかりません……。ただ……もう使い道はないだろうから、この屋敷に戻ってきたら殺すと……男に言っていました」

「そんな……」

 隆宗は言葉を失う。

 隆宗が弥吉に最後に会ったのはひと月以上前だったが、そのとき弥吉に変わった様子はなかった。

「一体……何があったんだ……」

 隆宗は奥歯を噛みしめた。


「隆宗様……」

 乳母は視線を上げると、隆宗を見つめる。

「私はこれから奉行所に行って罰を受けます。そのときに、旦那様が企てている謀反についても話すつもりです……。……何も起こしていない今の段階なら、まだこの家は守れるかもしれません……!」

 乳母の言葉に、隆宗は目を見開く。

「そんなことをすれば、清さんは……!」

 隆宗は息苦しくなり、思わず目を伏せた。

 奉公人が屋敷の側室を殺したとなれば、死罪になる可能性は極めて高い。

 さらに、まだ実行していないとはいえ、謀反を企てた段階で家が罰を受ける可能性は高かった。


(私は……一体どうすれば……)

 隆宗は倒れている伊予に目を向けた。

 伊予の無残な姿を見ても、隆宗の胸はまったく痛まなかった。

(母上を殺し、弥吉まで殺そうとした女など……)

 隆宗は拳を握りしめた。

(こんな女のために、清さんの命が奪われていいはずがない……! それにこの家だって……)

 そのとき、割れた皿が隆宗の目に留まった。

 ある考えが隆宗の頭をよぎる。


「……注目を集めればいい……」

 隆宗は気がつくと、呟いていた。

「注目……?」

 乳母は眉をひそめる。

 隆宗は乳母を見つめると、力強く頷いた。

「この女の死体を利用して、この屋敷に注目が集まるように仕向けます。父上も注目が集まっている中で、強引に計画を進めるのは難しいでしょう」

「死体を利用して注目を集めるとは……一体……」

 乳母は戸惑ったような表情を浮かべる。

「怪談に見立てます。この状況なら播州皿屋敷がいいでしょう。割れた皿も、皿屋敷に見立てているということで自然に隠せます。それに……」

 隆宗は静かに目を伏せる。

「播州皿屋敷は、謀反を企てた家で起こる物語です。見立てた理由に気づき、奉行所の方が注意深く動いてくれるかもしれません。そうなれば、父上が謀反に向けて動くことは不可能になるでしょう」


「ああ、それならば家を守れますね!」

 乳母は目を輝かせる。

「この家が守れるのなら、私も思い残すことはありません! 安心して罰を受けられ……」

「いえ、清さんのことは私が守ります」

 乳母が言い終える前に、隆宗が力強く言った。

「そもそもこの女は罪人なのです。この女を殺したことで清さんが罰を受けるなど……あってはなりません。清さんが疑われた場合にはずっと私といたと証言します。清さんは何も知らないということにしてください」


 乳母は目を見開く。

「そ、そんな……! 罪は……罪ですから……」

「いえ、清さんに罪はありません」

 真っすぐな目で見つめる隆宗に乳母は何も言えなくなり、ただ視線を落とした。


「それでは、私は怪談に見立てるための準備をいたします。清さんは少しここで待っていてください」

 隆宗はそれだけ言うと、足早に屋敷に向かって歩き出した。


 乳母は何か言いたげに隆宗を見ていたが、隆宗が屋敷の中に消えるまで乳母が口を開くことはなかった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「事情はわかりました……」

 隆宗に連れてこられた奉公人の男は、女の亡骸を前に静かに目を閉じた。

「奥様にも、清さんにも……言葉ではうまく言い表せないほどお世話になりました。ですから……怪談に見立てることについてはお手伝いします。ただ……これが終わったら、私を家に下がらせてください……」


 隆宗は静かに男を見つめた。

 隆宗はこの奉公人の男のことを信頼していた。

 ずっとこの屋敷に尽くしてくれていた男は、誰より真面目で口も堅かった。


(こんな無理なお願いをしたんだ……失望してこの屋敷を去るのを止めることなんてできない……)

 隆宗は小さく息を吐いた。

「はい、わかりました。こんな願いを聞いてくれて、本当にありがとうございます」


 男は悲しげな顔で隆宗を見る。

「いえ……。私もこんなかたちでこの屋敷を去りたくはありませんでした。しかし……これから先のことを考えると、どうしても怖いのです……。本気で謀反を考えていた旦那様が……本当にこれで諦めてくださるのか……」

 男はそこまで言うと、静かに目を伏せた。

「私のことは……幽霊を見て気がふれて屋敷を去ったとでもお伝えください……。私もそのように振る舞い、噂も流しておきますので……」


 隆宗は申し訳なさで、思わず男から目をそらした。

「……ありがとうございます」

「いえ……、こんなことしかできず、申し訳ありません……。では、この亡骸を井戸に運びます……。隆宗様と清さんはもうお部屋にお戻りください……。割れた皿や飛び散った血は、私が隠しておきますので……」

 男の言葉に、隆宗は目を丸くした。

「私も手伝います! あなたひとりに押しつけるために呼んだのではありません!」

 男は少しだけ微笑むと、首を横に振った。

「これくらいはさせてください……。私はもうこの屋敷を去る身です。私の姿は目撃されても問題はありませんが、隆宗様と清さんが何かしているところを誰かに見られるのはマズいでしょう。私にお任せください」

 男はそう言うと、女の亡骸をゆっくりと肩に担いだ。

「さぁ、もう行ってください」

 男は女の亡骸を担ぎ、井戸に向かって歩いていく。


「わ、わかりました……」

 隆宗は去っていく男の背中に向けて、それだけ言うと乳母に視線を向けた。

 乳母は茫然とした表情で、ただ男の背中を見ている。

「清さん、行きましょう……」

 隆宗は乳母の腕を取ると、屋敷に向かって歩き出した。


「私の……せいで……」

 乳母はよろよろと歩きながら、小さく呟く。

「清さんのせいではありません。全部……あの女のせいなのですから……」

 隆宗は吐き捨てるように言った。


(この屋敷の者は……必ず守る……。必ず……!)

 隆宗は提灯で辺りを照らしながら、しっかりとした足取りで屋敷へと戻っていった。


 数日後、皿を数える幽霊の噂が屋敷中に広がった。

 そしてその日、井戸から死体が見つかったことで、その噂は屋敷の外まで広がっていった。

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