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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第七章〜南天〜
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信と弥一

「着いたぞ」

 信の声で、弥一は目を覚ました。

「あ……すまない……。思っていた以上に寝てしまって……」

「いや、それほど寝ていない」

 信は短く返事をすると、弥一を肩に担ぎ長屋に入った。


 弥一は担がれながら首を捻り、長屋の中を見る。

 長屋の中は誰もいないのか、しんとしていた。

「えっと……弥吉は……?」

「今は出かけている」

 信はそう答えると、敷いてあった布団に弥一をゆっくりと下ろした。

「そうなのか……」

 仰向けになった弥一はホッと息をつくと、長屋の天井を見た。


(どこの長屋も造りは同じせいか、落ち着くな……)

 初めて来たはずなのに、弥一はなぜか居心地の良さを感じた。


 信は一度外に出ると風呂敷包みを持って中に戻り、弥一の枕元に置いた。

 ガシャという音が、弥一の耳に響く。


「あ、あの……」

 弥一は背を向けた信に声を掛けた。

「少しお願いがあるんだが……」

 信は少しだけ振り返った。

「なんだ?」


「この皿を……」

 弥一は腕に力を込めて、なんとか体を起こした。

「この皿を……直したいんだ……。こんなことをお願いして本当に申し訳ないんだが……力を貸してもらえないだろうか……」

 弥一は風呂敷包みを見ながら言った。


「ああ……」

 信は、弥一に近づくと風呂敷包みを手に取り、弥一が見やすいように畳の上に広げた。

(うるし)でつなぐのか?」


「ああ、漆でも……ってよく知ってるな……。君はもしや漆の職人なのか?」

 弥一は目を丸くする。


「いや、以前頼まれてやったことがあるだけだ」

 信は淡々と答えると、皿の欠片を絵柄を見ながら合わせ、元の皿の形に戻していく。

「え? ……そんな誰でもできるものではなかったような……。まぁ……、いいか……。焼き継ぎで直すのを手伝ってもらおうかと思っていたが、漆でも直せるなら……」

 弥一はそう言いながら、信の手元を見た。


「あ……」

 弥一は思わず声を漏らす。


 元の形に戻した皿には、大きな欠片がひとつ足りていなかった。

 ひとつだけ赤く染まっている欠片があったが、それを含めてもひとつ足りない。

 弥一は風呂敷の周りを見直したが、欠片は落ちていなかった。

(どこかで落としたのか……)

 弥一は呆然と皿の欠片を見つめた。

(これじゃ、直すのは無理だな……)

 弥一は肩を落とした。


「また作り直したらいいんじゃないのか?」

 肩を落とす弥一を見て、信が口を開く。

「え?」

 弥一は目を丸くする。

「ああ……、君は知らないんだったか……。俺の手じゃ、もう皿は作れないんだ……」

 弥一は苦笑した。


 信はしばらく弥一の手を見つめる。

「教えてもらえれば俺が作る」

「え?」

 弥一は目を見開いた。

「君は……もしや焼き物の職人なのか?」

 弥一はまた同じような質問をした。

「いや」

 信は短く答える。


 弥一は苦笑した。

「それなら無理だ……。皿の形を作るのはなんとか手伝えても……、筆を持てない俺の手じゃ……絵付けはできないし……」


 信はしばらく皿を見つめていたが、ゆっくりと立ち上がると小さな作業台のようなところに歩いていった。

「え? どうしたんだ……?」

 弥一は信の背中に向かって声を掛ける。


 信は作業台に向かって何かしているようだったが、弥一の位置からはよく見えなかった。

(何をしているんだ……?)

 信が、作業台の横にある箱から何か取り出しているのがわずかに見えた。

(あれは……絵具箱か……? いや、そんなまさか……)


「お、おい……。何を……?」

 信は弥一の声が聞こえていないかのように、黙々と何かをしていた。


 弥一はしばらく信の様子を見ていたが、やがて声を掛けてもムダだと悟り、再び皿に視線を落とした。

(南天……か……)

 弥一は皿に描かれている南天をそっと撫でた。


(弥一が生まれたとき、ちょうど南天が綺麗に実をつけていたっけ……)

 弥一は静かに目を閉じた。

(どうしてこんなことになったんだろう……。あのときは親子三人、当たり前みたいに幸せに暮らせると思ってたのに……)

 弥一は息を吐くと、ゆっくりと目を開ける。

(後悔したって仕方ないか……)


 ふいにガタッという音が聞こえ、弥一は慌てて信の方を見た。


 信は立ち上がり、弥一に近づいてきていた。

 信は手に持っていた紙を弥一に差し出す。


「これは……?」

 弥一は戸惑いながら差し出された紙をなんとか受け取ると、体の上に置いた。


 弥一は目を見開く。


 紙には、弥一が皿に描いた南天の絵柄とまったく同じものが描かれていた。

「これでいいか? 欠けていてわからない部分は適当に描き足した」

 信は淡々と言った。

 弥一は言葉を失い、信を見上げながらパクパクと口を動かすことしかできなかった。

「どうした、何か違うか?」

 信は首を傾げると、弥一の横に腰を下ろした。


「……き、君は……絵付けの職人なのか……?」

 弥一は無意識にまた同じようなことを聞いた。

「いや」

 信はまた短く答える。


「……頼む、職人だと言ってくれ……」

 弥一の口元には、自然と笑みが浮かんでいた。

「素人が少し見て、さらさらっと描いたものがこんなに上手いんじゃ……俺は二十年以上何をしてきたんだってなるだろ……?」


 弥一が焼き物を作る上で、最も自信を持っていたのが絵付けだった。

 花びらや葉の一枚一枚の陰影まで細かく色を変えて描くことで、より美しく色鮮やかに見せることを弥一は得意としていた。


(これは、ヘタしたら俺より上手いかも……)

 弥一は気がつくと笑っていた。

「君は……すごいな……」

 弥一は額に手を当てた。


「これで大丈夫か?」

 信は淡々と聞いた。

「ああ、何も問題ない……。これなら普通に新しく皿が作れそうだ……。あ、ただ……」

(どうせなら、より良いものが作りたいな……)


 弥一は震える手を動かすと、紙を指差した。

「この葉をもっとここに……」

 弥一の手は大きく震え、思うようなところを指差すことはできなかった。

「それから……、南天の実をここに……」

 弥一は手に力を込めたが、震えを止めることができなかった。


 指し示している場所がわからないためか、信はわずかに首を傾げている。

 弥一は思わず舌打ちした。

「すまない……。うまく説明することができなくて……」

 弥一はキツく目を閉じた。


「いや、問題ない」

 信は淡々と言った。

「これからいくつか似たようなものを描くから、これだと思うものを選んでくれ。それより、顔色が悪い。とりあえず休め」

 信はそれだけ言うと、弥一の体の上にある紙を手に取って立ち上がった。


「ああ……。ありがとう……。じゃあ、少しだけ休ませてもらおうかな……」

 弥一は小さく微笑むと、体を倒して布団に横になった。

 決して無理をしていたつもりはなかったが、弥一はグッと体が重くなったのを感じた。

(ああ……何もしていないのに……俺の体はもう疲れているんだな……)


 弥一は首を捻って、信の背中を見つめた。

(本当に良い人だな……。この人と一緒なら……弥吉も安心だ……)

 弥一は静かに目を閉じる。

 少し目を閉じるだけのつもりだったが、弥一はそのまま深い眠りに落ちていった。

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