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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第七章〜南天〜
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愛の証明

 信は長屋の裏手に回ると、弥一を荷台に降ろした。

「眩しいか?」

 信は目を閉じている弥一を見ながら聞いた。

「目を閉じておくから大丈夫だ……。ありがとう」

 弥一は片目をかすかに開けてそう言うと、また静かに目を閉じた。

「……そうか」

 信はそれだけ言うと、前に移動して荷車を引いた。


 信は荷車を大きな通りに出すと、弥吉の待つ長屋に向かって歩き始める。


「あ、えっと……」

 唐突に、荷台から弥一が声を上げた。

「移動のあいだ、良ければ話し相手になってくれないか……?」

 弥一は仰向けのまま、眩しさに目を細めながら言った。


 信はチラリと荷台を振り返ると、小さく頷く。

「ああ、わかった」


「あ、ありがとう……」

 弥一が話し掛けたのは、すれ違う人たちが死体を運んでいると勘違いしないようにするための気遣いだったが、信にそれは伝わらなかった。

 また前を向いた信に、弥一は悩みながら話し掛ける。


「えっと……、その……。あ、そうだ……。前に後悔していることがあると言っていたが、何があったのか聞いてもいいだろうか……?」

 弥一はおずおずと聞いた。


 信は何も言わず、しばらく荷車の車輪が回るガラガラとした音だけが辺りに響く。


「あ、えっと……、すまない……。言いたくないなら……」

 弥一が慌てて口を開くと、信がかすかに振り返る。


「姉を死なせた」

 信はそれだけ言うと再び前を向いた。


 弥一は思わず目を見開く。

「お姉さんを……。病気だったのか……?」


「目は見えなかったが病気じゃない」

 信は背中を向けたまま答えた。


「そうか……」

 弥一は目を伏せた。

「死なせたことを悔いているのか……?」


「死なせたことだけじゃない。俺のしたことすべてが……姉を不幸にした。目の見えない姉を守るどころか、最悪な場所に連れていって、足まで奪い、最後には死なせた。俺が生まれたことがそもそもの間違いだ」

 信は前を向いたまま、淡々と言った。


 弥一は目を見開いた。

 慌てて力を込めて体を起こし、信の背中を見つめる。

「ご両親は……?」


「父親は知らない。母親は俺が十になる前に死んだ」

 信の声はずっと変わらず淡々としたものだった。


「そうか……。お母様がそれまではひとりで二人の子を……。すごい方だな……」

 弥一は思わず呟くように言った。


「ああ、……責任感の強い人だった」

 信の言葉に、弥一は首をひねる。

「責任感……?」

「最期まで生んだ責任を果たした」

 信の言葉に、弥一は目を見開いた。

「君は……生んだ責任を果たすために……お母様が君たちを育てたと思っているのか……?」

「ああ」

 信は短く答えた。


「それは……」

 弥一は少し言葉を詰まらせた後、静かに目を閉じた。

「それは……ありえないよ」


「ありえない?」

 信はチラリと弥一を振り返った。

 弥一はわずかに微笑む。

「赤子を育ってるってことは、そんな簡単なことじゃないんだ。子が三つになると祝うのはなんでだと思う? ……ほとんどの子が三つになる前に死ぬからだよ」


 信はかすかに目を見張った後、またすぐに前を向いたが弥一はそのまま話し続けた。

「弥吉の母親が亡くなってから、弥吉は私が育てたが、私の場合は職があって、さらに雇ってもらっていたお屋敷の皆さんに手を貸してもらえたからできたんだ……。君のお母様はどうだった?」


 弥一はしばらく返事を待ったが、信は何も答えなかった。

 弥一は静かに目を伏せる。


「君たちがお屋敷で生まれて奉公人たちに囲まれていたなら、そんなに難しいことではなかったかもしれない……。でも、そうでないなら女性がひとりで、二人の子を抱えながら生きるなんていうのは……想像を絶するほど過酷なことだ……。『責任』なんて言葉で乗り越えられるほど、生易しいものじゃないよ……」

 弥一は信の背中を見つめた。

「どのように育ったのかは知らないが、君が今ここに生きてるってことだけで、君がどれだけ愛されてたかわかるよ……。亡くなった人の心はわからないけれど、それだけは確かだ。……だから、生まれたことが間違いだったなんて……言わないでくれ……」

 弥一は目を伏せると、自嘲気味に笑った。

「弥吉にそんなこと言われたら……俺は、立ち直れそうにない……」


 弥一はそれだけ言うと、体の力を抜き荷台に横になった。


「すまない……、思っていたより疲れていたみたいだ……。少し眠ってもいいだろうか?」

 弥一は空を見つめて、静かに目を閉じた。


「……ああ」

 信の淡々とした声が聞こえた。


「ありがとう……」

 弥一はそれだけ言うと、静かに意識を手放した。



 弥一が眠り、車輪の回る音だけが辺りに響く。

 ガラガラという規則正しい車輪の音を聞きながら、信は少し早くなった鼓動を落ち着かせるように、静かに目を閉じた。

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