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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第七章〜南天〜
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医者のもとへ

 弥吉と叡正は、長屋から出てきた信を見て目を見開いた。

 正確には、信の肩に荷物のように担がれている弥一を見て、二人は驚いていた。

 弥一は、死んでいるのではないかと思うほどぐったりとしていた。


「と、父ちゃん!?」

「し、信……!」

 二人は、慌てて信のもとに駆け寄った。


 弥一の顔には布が巻きつけられていて、二人の目にはそれが猿ぐつわのように見えた。

 二人の顔から血の気が引いていく。

 弥一の息遣いは聞こえたため、生きていることはわかったが、弥一の目は閉じられていて、意識があるのかどうかはわからなかった。


「信……、な、何事も強引なのは……よくないぞ……」

 叡正が引きつった顔で信に言った。

「し、信さん……、父ちゃんもちょっと頑固なところはあるけど……何も気絶させなくても……」

 弥吉も動揺を隠せなかった。


 信は眉をひそめて二人を見る。

「何を言ってるんだ? 起きてるだろ?」

 信はチラリと弥一に視線を移した。


「え……、起きてるの……? てっきり父ちゃんに猿ぐつわして、殴って連れ出してきたのかと……」

 弥吉は目を丸くして、弥一を見た。

 弥一は相変わらずピクリとも動かなかった。


「もう行くぞ」

 信はそれだけ言うと、弥一を担いだまま歩き出した。


「え!? ちょっと待て! そのまま行くつもりか!?」

 叡正は慌てて信の後を追う。

「その姿勢だと、弥吉の父親が苦しいだろう……。それに……」

 叡正はそこまで言うと、何か言いにくそうに目を泳がせた。


(うん……、そうだよね……)

 弥吉には、叡正が何を伝えたいのか痛いほどわかった。

 顔に布を巻き付けた男を肩に担いで歩いている信は、完全に人攫いにしか見えなかった。


「せ、せめて荷車を……! ちょっと探して借りてくるから! 待っててくれ!」

 叡正はなんとかそれだけ口にすると、荷車を求めて駆け出した。



 弥吉は、目を閉じたままの弥一を見つめる。

(久しぶりに明るいところで見たけど、こんなに顔色が悪いなんて……)

 弥一の土気色の顔、パサついた髪や肌、やせ細った手足に、弥吉は思わず目をそらした。

(どんなに嫌がられても、もっとちゃんとそばにいればよかった……)

 弥吉は拳を握りしめた。



 そのとき、ガラガラと車輪の回る音がした。

「お~い、借りてきたぞ」

 弥吉が振り返ると、叡正が荷車を引いて戻ってくるところだった。


「ほら、信。ここに寝かせてくれ」

 叡正が荷台を指さして信に言った。


 信は言われた通りに、弥一を肩から降ろすとゆっくり荷台に横たえる。

 荷台に降ろされたときも、弥一は目を閉じたまままったく動かなかった。


「そういえば、猿ぐつわじゃないなら、この巻いている布は何なんだ? 息苦しそうだからとってもいいか?」

 叡正は弥一を見ながら心配そうに聞いた。

「いや、うつる病気だからこうしていたいそうだ」

 信はそれだけ言うと、荷車の前方に移動して荷車を引いて歩き出した。


「あ、おい……」

 叡正と弥吉は慌てて荷車の後を追う。



 しばらく荷車の後ろを歩いていた二人だったが、やがて静かに顔を見合わせた。

「なぁ……、これはこれで……」

 叡正が引きつった顔で弥吉に言った。

「そ、そうですね……」

 弥吉の顔も自然と引きつっていた。


 先ほどから通り過ぎる人々が、皆一様に驚愕の表情でこちらを見ていた。

 皆、ピクリとも動かない弥一を見て目を見開き、訝しむように叡正と弥吉を見て、去っていく。

 荷台に横たえられた弥一は、事情を知らない人の目には死体にしか見えなかった。


「このままだと医者のところに着く前に、俺たち捕まるんじゃないか……?」

 叡正は遠い目で呟くように言った。

「可能性はありますね……。それは……困ります……」

 弥吉は片手で顔を覆った。


「よ、よし……。一芝居打とう……」

 叡正は意を決したように前を向いた。

「一芝居……?」

 弥吉が首を傾げて叡正を見る。


 次の瞬間、叡正が突然大きな声を出した。

「い、いや~、お医者様のいる長屋は遠いな~!」


 弥吉は目を見開いた。

「なぁ、弥吉! おまえの父親は大丈夫かな~? ……ほら、弥吉も声掛けて」

「……え?」

 弥吉の顔が一瞬にして引きつった。

 叡正は弥吉の耳に口を寄せる。

「おまえは医者のところに着くまでずっと父親に話しかけるんだ。そうしたら死体だなんて思われないだろ?」

「は!?」

 弥吉は信じられない思いで叡正を見つめる。

「父ちゃん……寝てますよ?」

「わかってる。でも、話しているふりをするんだ。不信に思われないためだ、頑張ってくれ!」

 叡正は真剣な表情で言った。

「ほ、本気ですか……?」


 弥吉はしばらく躊躇っていたが、叡正の真剣な眼差しに負けて渋々口を開いた。

「と、父ちゃ~ん、だ……大丈夫~……? お医者様のところまで、あと少しだから頑張って~……」

 弥吉は棒読みで言いながら、自分の顔が熱くなっていくのを感じた。


「弥吉、もっと大きい声で言わないと……」

 叡正が弥吉に囁く。

「そ、そんなこと言ったって……!」

 弥吉は泣きたくなる気持ちを抑えながら、弥一を見た。

(なんでこんなことを……)


「父ちゃ~ん! あとちょっとだよ~、頑張って~!! お医者様はもうすぐだよ~!!」

 弥吉は顔を赤くしながら、声を大きくした。


 そのとき、フフッという笑い声がかすかに二人の耳に届いた。


「おい、信。何笑ってるんだ! こっちは真剣にやってるんだぞ!」

 叡正が、前方で荷車を引く信に言った。


 信は少しだけ振り返ると、わずかに眉をひそめた。


「叡正様、信さんが笑うわけないじゃないですか! ずっと一緒にいても笑ったところなんて見たことないんですから! 通り過ぎた人が誰か笑ったんですよ、きっと……。うぅ……恥ずかしい……」

 弥吉はそう言うと、うつむいた。


「いや、今は誰も通ってなかったから、笑ったのは信だ」

 叡正はなぜか自信満々に言った。

「え!? 誰もいなかったんですか!? なんでそんなときに話してるフリなんてさせたんですか!」

 弥吉は涙目で叡正を見る。

「え……いや、悪い悪い。練習は必要かと思って……」

「練習って、こんなのに練習なんているわけないでしょう……! だいたい叡正様は……!」


 叡正と弥吉が言い合っているあいだ、荷台はかすかに揺れていたが、誰もそのことには気づかなかった。

 それから医者までの道中、弥一はずっと荷台に横たわりながら必死に笑いをかみ殺していた。

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