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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第七章〜南天〜
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三年前③

 隆宗は男の仕事場である小屋の前で足を止めた。

(弥一さんは一体どうしたんだ……)

 男はここ数日小屋に籠もり、焼き物を作り続けていた。

(弥吉は弥吉で、弥一さんに嫌われたと落ち込んでいるし……。本当に何があったんだろう……)


 隆宗は意を決して小屋の戸を叩く。

「弥一さん、隆宗です。少しお話しできますか?」

 隆宗はそう言うと男の返事を待った。


「……あ、はい。大丈夫です……」

 中から男のかすれた声が聞こえた。

「ありがとうございます。では、入りますね」

 隆宗が戸に手を掛けた瞬間、中からガタガタという音が聞こえた。

「開けないでください!! そのままで!」

 男の慌てたような声が響く。


 隆宗は驚いて一歩後ずさった。

 こんなに切羽詰まった男の声を聞くのは初めてだった。

「え……、あの……どうしたんですか?」


 しばらく待ったが、男は何も答えなかった。


「あの……弥吉も心配しています……。こんなに小屋に籠もって焼き物を作るなんて……。何かあったのですか?」

 男の様子に、隆宗の不安は大きくなっていた。

「弥一さん……?」


「……これから話すこと……」

 中から、かすれた男の声が聞こえた。

「弥吉には黙っていてもらえませんか……?」


「……弥吉に……? なぜ……ですか?」

 男の緊張が伝わってくるようで、隆宗も少し言葉に詰まった。


「私は……少し前から病気を患っていて……もうそれほど長くは生きられないと思います」

「え……?」

 隆宗は目を見開いた。

「そんな……医者には診てもらったのですか!? 治るかもしれないのですから……急いで医者を呼びましょう……!」

 隆宗は思わず声を大きくした。


「……いいえ、医者は呼ばないでください……。私の病は、亡くなった妻と症状がよく似ているのです……。妻は治す方法のない病でした。診せても無駄です……」

 男は静かに言った。

「そんな! 医術は進歩しています! 今なら治るかもしれません! まずは診ていただきましょう!」

「……ここまで悪くなっていては、きっと治すのは難しいと思います」

 男は隆宗をなだめるように、穏やかな声で言った。

「それに……これは手や足が麻痺する病です。この病が旦那様に知られれば、私はすぐに職を失います。今の長屋で暮らすこともおそらくできなくなるでしょう……」


「そんな……」

 隆宗は言葉を失った。

「……わ、私が父上を説得しますから……」


 男が小さく笑ったのがわかった。

「ありがとうございます。しかし、おそらく難しいでしょう。焼き物を作らせるために雇っているのですから、焼き物が作れなくなれば職を失うのは当然のことです」

「しかし……!」

「いいのです。同情でここに置いていただくわけにはいきません。ただ……もう少し……」

 男は絞り出すように言った。

「もう少しだけ、ここで器を作らせてほしいのです……。もう絵付けはできませんが、まだ無地の皿や器は作ることはできます……。屋敷から私に払われるお金と、少しでも価値のある器を残していきたいのです……。私がいなくなった後でも、弥吉が器を売って生きていけるように……」


 隆宗は何も言うことができなかった。


「無地の器も作れなくなったときには、旦那様に正直に打ち明けてここを去ります。ですから、もう少しだけ私に時間をください……」


「弥吉に……病のことを話さないおつもりですか……?」

 隆宗はなんとかそれだけ口にした。


「……これはおそらくこれはうつる病です」

 男は悲しげにそう言った。


「弥吉が小屋に近づかなければいいのですよね……? 病のことは……弥吉にも話した方がいいのではないですか……?」

 隆宗の言葉に、男はフッと笑った。

「弥吉に言えば……病がうつってもいいからそばにいると言うでしょう。親バカと思われるでしょうが、なんだかんだ言っても優しい子なんです……。私を休ませるために、今すぐ自分が働くと言い出しかねません。私が弥吉の負担になる前に、弥吉には私のことを捨ててほしいのです」


「そんな……捨てるだなんて……」

 隆宗は目を伏せた。

(弥一さんが何をしても、きっと弥吉が弥一さんを見捨てることはありませんよ……。ただ二人共苦しむだけです……)

 隆宗は唇を噛んだ。


「弥吉には幸せになってもらいたいのです。弥吉のお荷物になるくらいなら、すぐに死んだ方がいくらかマシです……」

 男は苦しげに呟いた。

「そんなこと……言わないでください……」

 隆宗は男に何を言えばいいのかわからなかった。

 そうすることで弥吉が幸せになれるとは思えなかったが、男の意思が固いことは隆宗にもわかった。


「……わかりました。この話は弥吉にも、父上にもしません」

 隆宗は小さく息を吐いた。

「隆宗様……、ありがとうございます……!」

 男はホッとしたような声で言った。


「まだ、何をすべきなのか、私に何ができるのかわかりませんが……」

 隆宗はそこまで言うと言葉を切った。

「弥一さんと弥吉は、私が守ります。弥一さんも弥吉も、決してひとりにはしません」


 小屋の中で男が息を飲むのがわかった。

「そ、そんな……隆宗様にご迷惑をお掛けするわけには……」


「……家族なのでしょう?」

 隆宗は小屋の戸にそっと触れた。

「私のことを、家族だと……言ってくれたではないですか。だから甘えてくださいと、私に言ったのは弥一さんでしょう? 弥一さんや弥吉は私にとって家族です。こんなときくらい頼ってください」

 隆宗はできる限り明るい声で言った。


 この状況をどうすればいいかわからなかった。

 けれど、自分がどうにかすべきだと隆宗は思った。


 小屋の中で男が鼻をすする音が響く。

「……ありがとう……ございます……」


(泣いているのだろうか……?)

 隆宗は目を伏せた。

(母上を亡くして泣いたとき、弥一さんは抱きしめてくれたのに……、俺は何もできないのか……)

 隆宗は拳を握りしめた。

 二人のために、何もできないことが歯がゆかった。

(どうすればいいんだ……。俺に……できることはあるのか……?)


 隆宗は天を仰いだ。

 いくら考えてもその答えは見つからなかった。

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