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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第一章~山桜~
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一年前~菊乃屋~

「また心中だって……」

「でも、鞠姐(まりねぇ)さんに間夫なんていた?」

「いないでしょ。ずっと行燈部屋にいて、いつ間夫なんて作るのよ」

「じゃあ、やっぱり……」

 張見世の中で遊女たちがひそひそと言葉を交わす。

 今朝早くに菊乃屋の遊女、鞠の遺体がお歯黒どぶで見つかってから、見世の中は騒然としていた。

 間夫と思われる男と縄で手首をつないだ状態で見つかったため心中とみられていた。


「ねぇ、鈴はどう思う?」

 美津は鈴の方を見て聞いた。

「ちょっと多すぎるよね……」

 最近、菊乃屋の遊女の身投げや心中が続いていた。

 亡くなった遊女は皆、病を患っていたり、素行が悪かったりした者だったため、逃げ出そうとして亡くなった可能性はあったが、それでも数が多かった。

「なんだか怖いね……」

 美津は不安げな顔でうつむいた。

 鈴はそんな美津の背中を優しくなでる。


「蜜葉、客だ」

 男衆が美津を呼んだ。

 美津はため息をついて立ち上がる。

「ちょっと行ってくるね」

 美津は鈴にそう言うと張見世を出ていった。

 鈴は自分の手の甲を見つめる。

 赤い発疹が手の甲にまで広がっていた。

 鈴は苦笑する。

 梅毒は治るどころか悪化の一途をたどっていた。

 体には硬いしこりのようなものもある。

(私ももうダメなのかな……)

 心のままに生きようと決めてから、将高と鈴は定期的に裏茶屋で会っていた。

 ここ一年、楼主との関係はあるものの鈴の心は不思議と満ち足りていた。

 将高に会えると思えば、目が覚めて同じような朝が来ることも悪くないと思えた。

(あと三日で会える……)


 鈴は乾いた咳をした。

 梅毒よりも鈴にはひどくなってきた胸の痛みの方が問題だった。

 鈴は楼主からもらった薬包紙を取り出して飲む。

 楼主からもらった薬は不思議なほどよく効いた。

 鈴はそれほど薬を飲んでいなかったため、楼主から定期的にもらう薬はまだたくさんある。

 楼主のことは快く思っていなかったが、薬に関してだけは鈴は楼主に感謝していた。

(まぁ、それもいつまで続くかわからないけど……)

 広がった発疹に加えて、咳がひどくなるにつれて、鈴の客は少しずつ減っていた。

 楼主が鈴に優しいのは、鈴の稼ぐ金額が大きいためだった。

 客がとれなくなれば、あっさり切り捨てられるのは簡単に予想できる。

 鈴はため息をついて、目の前に広がる格子越しに空を見た。

(今さら自由に焦がれるなんて、本当に愚かだ……)



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「一緒に逃げないか?」

 将高は真剣な顔で口を開いた。

「最近、咳もひどい……。私の元服まで待っていたら鈴が……。ちゃんと治療してもらおう」

 鈴は微笑んで首を振った。

「見世からは逃げられないから……」

(それにおそらく私は……)

 鈴は静かに目を閉じた。


 将高とは会うたびに何気ない日常の話しをしていた。

 一緒に過ごした屋敷での思い出話や菊乃屋の美津のことなど、他愛もない話ばかりだったが、その時間がどうしようもなく鈴には愛おしかった。


 将高の気遣うような言葉に鈴は目が潤むのを必死で隠す。

「しかし……」

 将高は心配そうに鈴を見る。

「今のままで十分だよ」

 鈴は将高を見つめて微笑む。

 鈴の本心だった。

 将高が諦めたように肩を落とす。


 将高に声をかけようと口を開いた瞬間、鈴が咳き込んだ。

「鈴!」

 駆け寄ろうとした将高を鈴が手を伸ばして止める。

 梅毒も、咳の原因の病も、将高には絶対にうつしたくなかった。

「……すぐ……お、…おさまるから……」

 こんな状態でも将高に会い続けているのは、人生最期のわがままのつもりだった。

(どうか最期くらい許してください……)

「鈴……」


 鈴は呼吸を整える。

「今日は……もうそろそろ帰るね……」

 鈴は将高を安心させるように微笑む。

「本当に……大丈夫か?」

 将高が不安げに鈴を見る。

 鈴は立ち上がると将高を見て笑った。

「将高……、愛してる!」

 将高の頬がサッと赤く染まる。

 鈴はそんな将高を見て、いたずらっぽく微笑むと手を振って部屋から出ていった。



 菊乃屋に戻ると、鈴は夜見世の準備を始めた。

 鏡の前で、鈴は自分の顔を見つめる。

 顔色は以前よりずっと悪くなってしまったが、顔つきは今の方がずっといい気がした。

 鏡に向かって微笑んだ瞬間、鈴は激しく咳き込んだ。

(胸が痛い……)

 咳はなかなか治まらなかった。

 何かがこみ上げてきて、鈴は口を手で覆う。

 ゴボッという音とともに、鈴の口から何かこぼれた。

 苦しい中で恐る恐る目を開けると、手のひらは血で真っ赤に染まっていた。


「あ~あ、おまえもう壊れちゃったの?」

 鈴がハッとして顔をあげると、鏡ごしに楼主と目が合った。

 慌てて振り返ると、楼主はおかしそうに笑う。

「梅毒なうえに労咳(ろうがい)ねぇ。さすがにもう、うちじゃ無理かなぁ」

 楼主は頭を掻きながら、鈴の目の前でしゃがみ込んだ。

「でも、安心しな。おまえならまだいけるよ! 何、心配するな! 俺の大事な家族のためだ。俺に任せておけ」

 楼主は鈴の顔をのぞき込んで言った。

「だからおまえも家族のために、最期まで頑張れよ」

 楼主の冷めきった瞳に、鈴は血の気が引いていくのを感じた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 次の約束の日、将高は裏茶屋にいた。

 窓の外を見ると、すでに日が暮れ始めている。

(鈴に何かあったんだろうか……)

 将高は日が沈むまで待ったが、鈴はとうとうやって来なかった。

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