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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第七章〜南天〜
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十年前

 男は納屋の戸を勢いよく開けると、ぐったりとした様子の女の元に駆け寄った。

 女は壁に寄りかかるようにして座って休んでおり、その腕の中には布に包まれた赤子がスヤスヤと眠っていた。

「よく……頑張ったな」

 男はかすれた声で言った。

 女と赤子を見て胸がいっぱいになり、うまく声が出なかった。

 女の顔には疲れが見えていたが、男を見ると嬉しそうに微笑んだ。


 出産から七日が経っていた。

 ようやく赤子と対面できると言われた男は、急いで納屋に足を運んだ。


 七日間、女と赤子の世話をしていた産婆は出かけているのか、納屋の中には三人以外誰もいなかった。

 

「男の子です」

 女は赤子を見つめる男に笑いかける。

「男の子か……」

 男はおずおずと赤子に手を伸ばした。

 その瞬間、赤子がピクリと動き、男は思わず伸ばしていた手を引いた。


「ふふ、大丈夫ですよ。さぁ、撫でてあげてください」

 女にそう言われ、男はゆっくりと赤子の頬に触れる。

 赤みを帯びた赤子の頬は、男の冷えた指先にじんわりとした温もりを伝えた。

 眠っている赤子が再びピクリと動く。


「あ、すまない! 俺の手が冷たかったな……」

 男は慌てて手を引いた。

 女は目を細める。

「どちらにしろ、もうすぐ起きる頃ですから大丈夫ですよ」

「そ、そうか……」

 男はホッとしたように息を吐いた。

「本当に小さいな……」


 女は目を伏せる。

「そうですね……。少し早めに生まれてしまいましたから……。ずっと先の予定だったのに、南天が実をつけるのと同じような時期になってしまいました……」

「あ……、小さいというのはそういう意味じゃない……!」

 男は慌てて女に言った。

「赤子とは小さいものなんだな、という意味だ。おまえも赤子も無事だったんだ。それ以上望むことなんて何もないさ」

 男の言葉に、女は顔を上げると濡れた瞳で微笑んだ。

「ありがとうございます……」


「そうだ、今日で生まれて七日だろう? この子の名をつけなければいけないな。何か考えていた名はあるか?」

 男は再び視線を赤子に移した。

「ああ、それでしたら実は考えていた名があります」

 女は目に目尻に溜まった涙を拭うと微笑んだ。

「弥吉……はいかがですか?」


「ああ、俺のじいさんの名か」

「ええ、洗練された白磁を作ることで名を馳せた方だったのでしょう? いずれこの子もあなたの跡を継ぐことになるのですから、才能に恵まれるようにその名が相応しいと思います」

 女はにっこりと笑った。

「そうだな。じいさんほどの腕になったら俺は簡単に超えられてしまうが……」

 男は苦笑する。

「……俺はここに来てから、未だに満足できるものができていない。気候の違いか、水や土の違いなのか……陶器はひびが入りやすいし、絵付けをした後の発色も違う……。このままでは俺は……」

 男は険しい表情を浮かべ、拳を握りしめた。


「あなた」

 女は、優しい声で男を呼んだ。

「まだまだこれからですよ。私は白いご飯が食べられるだけで十分恵まれていると思っています。あなたの満足できるものをじっくり作ってください」

 女はそう言うと、優しい眼差しで腕の中で眠る赤子の頭をそっと撫でた。

「この子のことは私がしっかり育てますから。あなたは安心していいものを作ってください」

 女は顔を上げて男に向かって微笑んだ。


 男はふんわりと女の体を抱きしめる。

「ああ……。必ず認められるものを作る。……おまえと弥吉に苦労はさせないから……」

 女は男の胸に身を預ける。

「はい。ただ、無理はしないでくださいね」

「ああ、約束する」


 外は冷たい風が吹いていたが、三人のいる納屋は不思議なほど暖かかった。

 その温もりに安心したように、赤子は眠りながら小さな笑みを浮かべた。

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