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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第一章~山桜~
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二年前〜菊乃屋③~

 檜屋で将高と別れた後、鈴はしっかりとした足取りで菊乃屋に帰った。

 涙が涸れるまで泣いたため、瞼が重く体にも疲労感があったが、不思議と心は晴れやかだった。

(いい天気だな……)

 菊乃屋の入り口で鈴は空を見上げた。

(ちゃんと空を見たのはどれぐらいぶりだろう……)

 澄み切った青を見ていると、自然と鈴の瞳に再び涙が滲んだ。


「どうした?音羽」

 声がした方を見ると、菊乃屋の入り口が楼主が腕組みをして鈴を見ていた。

「なんでもありません」

 鈴が微笑んで楼主の横を通り過ぎようとすると、楼主は鈴の腕をつかんだ。

「おまえ、いい面構えになったな。なんだ、間夫でもできたのか?」

 鈴は楼主を見てにっこりと微笑む。

「そんなわけないじゃないですか。見世のお客だけで手一杯です」

「そうか?」

 楼主は下卑た笑みを浮かべる。

「音羽、ちょっと俺の部屋に来い」

 鈴の顔が引きつる。

「いえ……、そのもうすぐ夜見世なので準備しないと……」

 楼主から笑顔が消え、鋭い眼差しが鈴を捉えていた。

「聞こえなかったのか?」

 鈴の足が震え始める。

「あ、大丈夫です……けど、私は今梅毒にかかっているので……」

「大丈夫だ。俺はかかってもすぐ治るから」

 楼主はそう言うと、鈴の手首をつかんで部屋に連れていく。

 鈴の顔から血の気が引いた。

 部屋に入ると、鈴はすぐに着物を脱がされた。

 部屋の低い天井はいつもより暗く、目の前に迫ってくるようで鈴は思わず顔をそむけた。

 楼主の着物が乱れ、左肩に入った刺青の不気味な鬼と目があった。

 鬼は嘲笑うかのように、鈴をずっと見下ろしていた。

 

 着物を直した楼主は上機嫌で鈴の頭をなでた。

「梅毒の発疹、広がってきてるからツラいだろ。大丈夫か?」

 鈴は何も答えなかった。

「おまえにはまだまだ働いてもらわないといけないからなぁ」

 楼主はそう言うと部屋の隅にあった箪笥の中から粉末の入った包み紙を取り出した。

「薬だ。これを飲めば少しはラクになるはずだ」

 鈴は薬包紙を受け取りながら、困惑したように楼主を見た。

「いただいていいんですか……?」

「もちろんだ。遊女はみんな俺の家族だからな」

 楼主はニヤリと笑ってそう言うと鈴に背を向けた。

「おまえも少し休んだら、夜見世の準備始めろよ」

 楼主が部屋を出ていくと、鈴は手の中の薬包紙を見つめた。

 鈴はうずくまり、薬包紙を強く握りしめる。

 手の中で薬包紙がクシャリと小さな音を立てた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 吉原の出入り口である大門が閉まる頃、菊乃屋の裏口の戸を叩く音が響いた。

「俺だ」

 男の声を確認すると、楼主が戸を開けた。

「ちょっと早いんじゃないか?」

 楼主は顔をしかめた。

「もう表はほとんど誰も歩いちゃいねぇよ」

 男は引いていた荷車を戸口の陰に隠した。

「最近多いんじゃないか? さすがに数が多いと怪しまれる」

 楼主は片手で頭をかきながら、面倒くさそうに呟く。

「まぁ、そう言うなよ。金は払ってるだろ?」

 楼主はため息をついた。

「仕方ねぇ。ちょうど始末したいのがあったから、帳尻は合うんだけどな」

 楼主は荷車に近寄り、掛けてあった布を上げてのぞき込む。

 そこには土気色の若い男が横たわっていた。

「おお、綺麗なもんだな」

 楼主が感心する。

「死体に特徴が出ない毒で殺してるからな。綺麗なもんさ」

「いつも通り、お歯黒どぶでいいか?」

 楼主は男を振り返って聞いた。

「ああ、でも女の準備はあるのか?」

「ちょうど片付けたい遊女がいるから、それと一緒に沈めとくよ。ただ、最近ちょっと数が多いからな……。怪しまれないようにせいぜい気をつけるよ」

 楼主は肩をすくめた。

 男はそんな楼主の様子を見て、不思議そうな顔をする。

「なんだ、おまえ今日はずいぶん機嫌が良さそうだな。いいことでもあったか?」

「まぁな、音羽とちょっとな」

 楼主はおかしそうに笑った。

「音羽っておまえのとこの売れっ妓か。相当なべっぴんだけど、おまえ今まで興味なさそうだっただろ? 急にどうした?」

「ああ、お人形みたいでつまらなそうだったからなぁ。でも、なんか急に雰囲気が変わったんだよ。ありゃ、惚れた男でもできたんだろうよ」

 楼主はニヤリと笑う。

「俺はさ、希望みたいなキラキラしたもんを濁らせて踏みにじるのが大好きなんだよ。そういう意味で今の音羽は最高だ」

 楼主はぺろりと唇を舐める。

 男はそんな楼主の様子にため息をついた。

「まぁ、ほどほどにしとけよ。じゃあ、俺はこれ置いていくから、後は頼んだぞ」

 そう言うと男は背を向けると、片手をあげて去っていった。


 楼主は男が去ると、菊乃屋の一番奥にある行灯部屋に向かう。

「さてと……」

 楼主は行燈部屋の戸を開けた。

 中は暗く、楼主の影だけが部屋に伸びている。


「……く…すり……」

 暗闇の中で女の声が響く。

「く…すり……、薬をください……」

 楼主は暗闇に向かって、優しく微笑む。

「ああ、今ラクにしてやるからな」

 楼主は部屋に入ると、行燈部屋の戸が静かに閉まった。

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