表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第六章〜紫苑〜
192/324

二十年前②

 宗助は、桜を抱きかかえて玉屋の中に戻った。

(……よく考えたら、赤子ってどうやって育てるんだ……?)

 宗助は急速に現実に引き戻されていくのを感じた。

 弟の世話はしていたが、さすがに赤子の頃から世話はしていなかった。

(どうしたら……)

 宗助は入口に立ったまま、桜を見つめて途方に暮れた。


 そのとき、階段が軋む音がした。

 誰かが二階から下りてきたようだった。


「楼主様……?」


 階段を下りた遊女は、入口で立ち尽くしている宗助を見て眉をひそめた。

「こんな時間にどうされたのですか?」

 遊女は眠そうに目をこすりながら、宗助に近づいた。

「その抱えていらっしゃる荷物は一体…………」

 遊女はそう言いながら、宗助の抱えていたものをのぞき込み、息を飲んだ。


「あ、赤子!?」

 遊女は目を丸くすると、赤子と宗助の顔を交互に何度も見た。


(あ、俺の子どもだと思われているのか……!)

 宗助は慌てて首を横に振る。

「あ、この子は……その……見世の前に……捨てられていて……」

「え!?」

 遊女は驚愕の表情で宗助を見た。

「こ、こんな赤子をですか!? し、信じられない……! こんな、まだ自分で何もできない子を置いていくなんて……!」

 遊女の声は明らかに怒りを含んでいる。


 宗助は少し意外に思った。

 いつも虚ろな目で笑顔を貼り付けていた遊女が、こんなにも感情を露わにするところを、宗助は初めて見た気がした。


 そのとき、宗助の腕の中で眠っていた桜が目を覚ました。

 ぼんやりとしていた桜はゆっくりと宗助に目を向ける。

 見知らぬ男の顔を見たせいか、桜の顔はみるみるうちに歪んでいく。

(あ、マズい! 泣く!)

 次の瞬間、桜の泣き声が見世に響いた。

(ど、どうしたらいいんだ……!)

 宗助がたどたどしく桜の背中をポンポンと叩いたが、桜は一向に泣き止む気配がなかった。


「楼主様、何をしているんですか。ほら、赤子をこちらに」

 遊女は宗助にそう言うと、少し強引に宗助の腕から桜を奪い、そっと腕に抱いた。

 遊女は慣れた手つきで体を揺らしながら、桜の背中を優しくポンポンと叩く。

 包み込まれるような抱き方に安心したのか、桜は泣くのを止めて、再びウトウトとした表情を見せた。


「す、すごいな……」

 宗助は思わず、遊女を見つめた。

「ここに来る前は、小さな妹や弟の子守りをずっとしていましたからね」

 遊女は宗助を見るとふふっと笑った。

「それにしても……。楼主様の慌てっぷりたら……。おろおろしているところなんて初めて見ました。楼主様も人間だったんですね」

 遊女は楽しそうに笑った。


 貼り付けたような笑顔とは全く違う、本当に笑った遊女の顔を、宗助は初めて見た。


「それは……。そんなに笑うな」

 宗助は少し顔を赤くしながら言った。


 反論しようと宗助が口を開きかけたとき、宗助は二階がざわざわしていることに気がついた。

 客をとっていなかった遊女たちが泣き声を聞き、一斉に一階に下りてきていた。


「今の泣き声はなんですか……?」

「あれ、楼主様……。そんなところで何を……?」

「え、あんたが抱いてるの、赤子かい!?」

「え!? なんで赤子がここに!? 誰の子!?」

「え、可愛い……。なんでこんなところに……」


 桜は一気に遊女たちに取り囲まれた。

 宗助に代わって遊女が事情を説明すると、みんな驚愕の表情を浮かべた。


「こんな小さい子を捨てるなんて、鬼畜すぎる……」

「これからここで育てるってことかい?」

「ここで育てられる……?」

「だいたいこの子いくつなんだろ……」

「一つになる前じゃないか?」

「それくらいの時期だと歯もないんじゃない? 何か食べられる?」

「さっき見たら、この子歯は四本あったんだ。だから、柔らかいご飯とか細かくした野菜とかは食べられるよ、きっと」

「へ~、そうなのか。あんた詳しいね」

「まぁ、小さい子の面倒は慣れてるから」

「じゃあ、この子が起きたときのために、早めに飯炊きに伝えてくるよ!」

「ああ、頼むよ」


 宗助は遊女たちのやりとりを遠巻きに見ながら、ただただ呆気に取られていた。


「布でおむつを作ってやらないとね」

「ああ、そうね。どうせもう眠れそうにないし、今から作るか」

「そうだね。すぐ必要になるし、たくさんいるだろうから」

「それなら私も手伝うよ。作り方教えてくれるかい?」

「私もお願い」


 遊女たちの声で目を覚ましたのか、二階からまた誰かが下りてくる気配がした。


「あ、太夫! すみません、起こしてしまいましたか?」

 遊女のひとりが声を上げた。


「大丈夫。気になって下りてきただけだから」

 太夫はにっこりと微笑むと、遊女たちの中心にいる桜の元に歩いていった。


「可愛い子ね……」

 太夫はそっと、桜の頬を撫でる。

「抱かれたままでは落ち着かないだろうから、とりあえず布団に寝かせてあげましょうか。今、私は座敷にいるし、私の部屋の方は使っていないから、よければそこに寝かせてあげて。あそこが一番広いでしょう?」


「そうですね! 寝かせにいきましょう」

「私も一緒に行っていい?」

「私も!」

「いいけど、起こさないように静かにね」


 遊女たちは笑い合いながら、二階へと上がっていった。


 宗助は呆気に取られたまま、桜と遊女たちを見送る。

 一階には太夫と宗助だけが残された。


「楼主様」

 太夫は宗助に微笑んだ。

「あの子……何か訳ありですか?」


「……え?」

 宗助はぎこちなく視線をそらした。


 太夫はフッと笑う。

「あの子が包まれていた布はすごく安物でしたけど、あの子の肌に直接触れる着物は、質素で少し汚してありましたが最高級のものでした。何か事情がある子のようですね……」


 宗助の顔がサッと青ざめる。

 太夫は目を伏せた。

「特に詮索する気はありません。それより……こんなに活き活きしたみんなの顔……初めて見ました」

 太夫は目を細めた。

「あ、ああ。それは俺も……初めて見た」


 太夫はにっこりと微笑んだ。

「楼主様も含めてですけどね」

 太夫は小さく呟いた。


「ねぇ、楼主様。……たとえ光が見えなくても、守るべきものがあれば人は強く生きられるものなんですよ。見えなくても自分自身のここに光が宿るのです……」

 太夫は自分の胸に手を当てた。

「みんなのこの光が消えないように、あの子を大切に育てていきましょう。……ここの、みんなで」

 太夫はそう言うと、にっこりと微笑んだ。


 宗助は少しだけ目を見張った後、静かに目を伏せた。

「ああ、そうだな……。ありがとう……」


 太夫と宗助は少しだけ視線を交わすと二階を見つめる。

 玉屋に明るい光が差し込み始めていた。

 宗助が気がつき振り返ったときには、もうすでに夜はすっかり明けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ