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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第六章〜紫苑〜
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二十八年前②

「ほら、これもやる」

 紫苑はそう言うと刺身の盛られた皿を宗助に差し出した。

「嫌いなんだ」

 紫苑は宗助に向かってにっこりと微笑む。


「いりません。というか、自分で食べてください。大きくなれませんよ」

 宗助は自分の分の食事を口に運びながら淡々と言った。

「食べてくれたっていいじゃないか」

 紫苑は唇を尖らせる。

「なんだ? 大きい女が好きなのか?」

「は?」

 宗助は呆れた顔で紫苑を見た。

「大きい女も何も、姫様はまだ十くらいでしょう。子どもなんですから、たくさん食べてちゃんと大人になってください」

「はは、言ってくれるなぁ」

 紫苑は可笑しそうに笑った。

「まぁ、それは置いておいて……、とにかく嫌いだから、これを食べてくれ。……ああ、木刀で叩かれた手が痛いなぁ。父上に報告してしまいそうだ……」

 紫苑はそう言うとチラリと宗助の顔を見た。

 宗助は紫苑をジトっとした目で見つめ返す。

「またそれですか? それで何でも思い通りになると思わないでくださいよ。奉公人が一緒に食事をすることだって本当はダメなんですから」

「いいじゃないか。ひとりで食事をするのは寂しいんだ。付き合ってくれ」

 紫苑は宗助を見つめると無邪気に微笑んだ。


 宗助は小さくため息をつく。

(なぜこんなことに……)

 紫苑付きの奉公人になって三日、紫苑はほかの奉公人が驚くほど宗助に絡んできていた。

 寂しいからという理由で食事を共にすることになったのをはじめ、部屋にいるときも、どこかに出かけるときも宗助は紫苑に呼び出されていた。

(木刀で叩かれたのをそんなに根に持っているのか……?)

 宗助はチラリと紫苑を盗み見る。

 高い位置にひとつでまとめられた髪は、最初に会ったときと同じだったが、今の紫苑は姫様らしい上等な着物を着ていた。

 整った顔立ちに、仕草の一つひとつから感じ取れる品の良さ。


(どう見てもお姫様だろう……。どうして奉公人の少年だなんて思ったんだ……!)

 宗助は後悔の念でいっぱいだった。


 宗助の視線に気づいた紫苑はにっこりと微笑んだ。

「どうしたんだ? 男だと勘違いしていたことでも悔いていたのか?」

「な!?」

 宗助は目を見開く。

(どうして……!)

 宗助の様子を見て、紫苑はフッと微笑んだ。

「気がつくさ。男だと思っていなかったら、手合わせなんてしなかっただろう?」

「あ、いや……そんな……」

 宗助は視線をそらし、言葉を濁した。


 紫苑は軽く笑う。

「ああ、傷ついたな……。傷ついたから……」

 紫苑はそう言うと刺身の皿を持って立ち上がった。

 ゆっくりと宗助の膳の前まで移動すると、刺身の皿を膳に置く。

「食べてくれ」

 紫苑はにっこりと微笑んだ。


 宗助は反論しようとわずかに口を開いたが、紫苑の笑顔の圧力に負けて、ゆっくりと息を吐いた。

「わかりました……。ただ、刺身だけですからね! 今後、ほかに嫌いなものが出てきても自分で食べてくださいよ」

「ああ、わかった」

 紫苑は満足げな笑顔で頷いた。

「あ、ついでに、これから二人のときは敬語はやめてくれ」

「は?」

 宗助は呆然と紫苑を見つめる。

「そんなの無理に決まっているでしょう……。俺は奉公人ですよ?」

「大丈夫。二人だけの秘密にすればいい」

「そんなわけには……」

「ああ、傷ついた……! 父上に……」

「わかった! もうわかったから!」

 宗助は諦めたように言うと、頭を抱えた。

(どっちにしろ、俺クビになるんじゃ……)

 宗助がため息をつきながら顔を上げると、紫苑は嬉しそうに宗助を見つめていた。


 宗助はもう一度ため息をつく。

「あ、そういえば……」

 宗助はずっと疑問に感じていたことを思い出した。

「あのとき……最初に会ったとき、どうして俺が剣術ができるってわかったんだ?」

 宗助の言葉に、紫苑は苦笑する。

「逆にどうしてわからないと思ったんだ? おまえの姿勢も歩き方もお辞儀の仕方も、全部武士の所作だぞ。むしろ奉公人だってことに気づいたのは、私のお目付け役が来てからだ」

「そう……だったのか……。昔、近所のじいさんに無理やり剣術をやらされてたからな。そのクセがついているのかも……」

「ああ、そうなのか。指導した方が上手いのか、おまえの筋がいいのか、どちらにしろすごいな」

「まぁ、どっちもだろうな」

 宗助は淡々と言った。

 紫苑はフフッと笑う。

「言うなぁ、おまえ」


「あ、それともうひとつ……、どうして俺に構うんだ? その……木刀で叩いたことをまだ根に持っているのか……?」

 宗助の言葉に、紫苑は吹き出した。

「そんなわけないだろう! 自分から手合わせをお願いしたのに!」

 紫苑はひとしきり笑い終わると、真っすぐに宗助を見た。


「……何にも興味がなさそうに見えたんだ」

「は?」

「すべてに関心がなさそうに見えたおまえが、『大切なものを守れる力は持っておいた方がいい』と言った。……大切なものとは、おまえの家族のことか?」

「え、ああ……まぁ」

 宗助の返事に、紫苑は微笑んだ。

 紫苑は遠くを見つめる。

「羨ましいと思ったんだ……。その大切なものの中に、私も入りたいと思った」

 宗助は目を丸くした。

(そんな大層なことではないんだが……)

 宗助は紫苑を見つめる。

 遠くを見つめるその表情はどこか悲しげに見えた。

(ひとりの食事が寂しいっていうのは、案外嘘ではないのかもしれないな……)


 宗助は目を伏せた。

「羨ましいと思ってもらえるほど、俺は家族を大事にできてないし……あれだけど……」

 宗助は目を泳がせながら言った。

「姫様のことは守りますよ。……俺はここの奉公人だし……、姫様付きなので……。何かあれば守ります。必ず」

 宗助がそう言い終えると顔を上げた。


 その瞬間、宗助は言葉を失う。

 宗助を見つめて微笑む紫苑の表情は、言葉にできないほど美しかった。

 形のよい唇がゆっくりと動く。

「ありがとう、宗助」

 十の少女とは思えないほど、その表情は大人びていて、宗助は思わず目をそらした。

「い、いや……」

 宗助はなんとかそれだけ口にした。


「あ、そうだ。二人のときは、これから紫苑と呼んでくれ」

「……は?」

 宗助が再び顔を上げたとき、紫苑の表情はまた無邪気な少女のものに戻っていた。


「ああ、男だと思われていたなんて傷ついたな……。父上に報告を……」

「わかった! わかったから!」

 宗助の言葉に、紫苑は楽しそうに微笑んだ。

「よろしくな、宗助」

 紫苑の無邪気な笑顔を見て、宗助は諦めたように小さくため息をついた。

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