四年前
「鈴!」
将高は小屋の中に鈴の姿を見つけると、ひと目がないことを確認して声をかけた。
鈴が振り返ると、将高は微笑む。
「将高様!こんなところに来てはいけません!叔母様に見つかりますよ」
鈴は慌てて将高に駆け寄る。
「母上は先ほど出かけて屋敷にはいない。大丈夫だ」
将高に向かってもう一度微笑んだ。
「それより、おにぎりを持ってきた。今日もあまり食べていないだろう?」
将高は笹の葉で包んだおにぎりを鈴に差し出す。
「私は大丈夫ですよ! ご飯も十分いただいてますから」
鈴は困ったように首を振った。
「一緒に食べてほしいんだ。ひとりで食べるのは味気ないから。一緒に食べるのは嫌か?」
将高はそう言うと小屋の中で腰を下ろし、笹の葉の包みを開いた。
鈴は少しの間、将高を困ったように見ていたが、諦めて将高の隣に腰を下ろした。
「それでは、少しだけいただきます」
将高は鈴の言葉を聞き、満足そうに微笑んだ。
「ツラくはないか?」
将高はおにぎりを口に運ぶ鈴を見ながら言った。
鈴に対する将高の母の態度は、鈴を引き取って三年経った今も相変わらず酷いものだった。
時間は何ひとつ解決してくれなかった。
おにぎりを持つ鈴の手は痛々しいほど荒れている。
「引き取っていただけただけで十分です」
鈴はにっこりと微笑んだ。
鈴の大人びた笑顔に将高は自分の頬が熱くなるのを感じた。
十二になった鈴は少女らしいあどけなさを残しつつも、蕾が花開くように華やかに美しくなっていた。
動揺を隠すように、将高は一度咳払いをする。
「無理して笑う必要はない。それに今は二人なんだから、敬語はなしだ」
「そうでしたね」
鈴はふふっと笑った。
「直す気ないだろう…。三年も経ったのに全然直らない」
将高は拗ねたように少しうつむいた。
「直す気がないわけではないんですが、なんだかその気恥ずかしくて……」
鈴は慌てて将高の顔をのぞきこむように言った。
「では、まず名前を呼んでくれ」
「将高様?」
「様はなしで」
ためらう鈴を将高が真っすぐ見つめる。
将高の視線に耐えられず、鈴はときどき目を伏せながら上目遣いで口を開いた。
「ま、将…高……」
将高が満足そうに満面の笑みを浮かべる。
鈴の顔がみるみる赤く染まった。
「もう呼びません!」
鈴は勢いよく残りのおにぎりを口に運ぶ。
将高はそんな鈴の様子を目を細めて見ていた。
将高はまだ十一だったが、鈴をなんとかこの家から逃がしたいと考えていた。
「もう少し待っていてくれ……」
将高が呟くように言った。
「将高様?」
「私が元服すれば、もう少しできることも増えるはずだ。そうしたら、必ず鈴を自由にするから。あと少し待っていてほしい」
元服まであと四年だった。
将高は鈴の手に触れる。
その手は思ったよりも小さくてひどく冷たかった。
「将高様……、ありがとうございます」
鈴は少しうつむいて微笑む。
長いまつ毛が涙で濡れていた。
これが、二人が屋敷で過ごす最後のときとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「母上! 鈴はどこですか!」
翌朝、将高は母の部屋の襖を勢いよく開けた。
「騒々しいな。どうしたんだ?」
いつから飲んでいたのか、母は酒を注ぎながら薄く笑った。
「鈴をどこにやったんですか?」
将高は怒りを抑えながら口を開く。
朝、鈴の姿がどこにも見当たらなかった将高は、使用人に話しを聞き、昨夜鈴が母に連れていかれたと知っていた。
「母を疑うなんて悲しいな」
母は酒をあおりながら笑う。
「母上!」
将高は怒りで声を荒げた。
「売ったよ」
「売っ……た?」
将高の顔から血の気が引いていく。
「ああ、吉原に売った。昨日の夜、女衒が連れていった」
母はまた薄く笑った。
「なぜ……そのようなことを…?」
将高は自分の身体が震えているのを感じた。
「もう限界だったんだよ!!」
母が声を荒げた。
「あいつの家族のせいでうちはめちゃくちゃになったのに、あいつはまだ生きている! あいつを傷つければ気も晴れるかと思ったのに、傷つけても傷つけてもダメだった! もう視界に入るだけで耐えられなかったんだよ!!」
母は言い終えるとまた酒をあおった。
将高はそんな母の様子を茫然と見ていた。
(どうしてこんなことに……)
将高は無力な自分をただひたすらに呪い続けた。




