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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第四章~桔梗~
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幕開け

「馬鹿なことを聞くが……おまえ、芝居はできるか……?」

 辰五郎は、歌舞伎小屋の舞台袖で引きつった顔で、叡正に聞いた。

「あいにく俺は……歌舞伎を観たことがない……」

 叡正は青ざめた顔で小さく答えた。

「はは……、そうか……そりゃあ絶望的だな……」


 舞台袖から見える客席はすでに客でいっぱいだった。

 開演まで、あまり時間は残されていない。


「雪之丞は戻ってくるのか……?」

 辰五郎は引きつった顔のまま叡正を見つめた。

「戻ってくるとは言っていたが……」

 叡正は目を伏せる。

(戻ってくる……よな……? 一体、信は何をして……)


 そのとき舞台裏から声が掛かる。

「おい! 雪之丞と辰五郎! そろそろ時間だぞ! ちゃんと準備しとけ!」

「あ、はい!」

 辰五郎が慌てて振り向いて返事をした。

 叡正も少し振り返って、そっと頷く。


「おい、どうするんだよ……!?」

 辰五郎は目に涙を浮かべながら、叡正に詰め寄る。

「今日の舞台、あいつなしは無理だぞ!? あいつが立役(たちやく)……主役なんだよ……」

「き、きっと……もうすぐ戻ってくると……」

 叡正は青ざめたまま、なんとかそれだけ口にした。


「さぁ! そろそろ一回集まるぞ!」

 遠くで声が掛かる。


 二人は顔を見合わせた。

「と、とりあえず、雪之丞は腹を下して休んでるってことにしとくから! おまえは一回部屋に戻れ! そ、それでもし雪之丞が戻ってこなかったら、そのときは……」

 辰五郎は叡正の両肩に手を掛けて言った。

「……逃げろ」

「わ、わかった……」

 叡正は青ざめたままコクコクと何度も頷いた。



(本当に戻ってこなかったらどうすれば……)

 雪之丞の部屋に向かって歩きながら、叡正はどんどん血の気が引いていくのを感じた。

(一体、信は何を……)

 叡正がそんなことを考えながら、雪之丞の部屋の戸に手を掛けた瞬間、ゆっくりと戸が開いた。


 叡正は一瞬、目の前に鏡が置かれたのかと思い目を丸くする。

「あ! ゆ、雪之丞……!?」

 叡正は我に返った。

 目の前にいたのは、化粧と着替えを終えた雪之丞だった。

「間に合ったのか!?」

 叡正は泣き出しそうになりながら、雪之丞を見た。

 雪之丞は苦笑する。

「ああ、悪かったな……」

 雪之丞は夜に見たときよりもどことなく表情が柔らかい気がした。


「あ、もうみんな集まって……」

「ああ、わかってる。おまえは着替えて、帰って大丈夫だ。ありがとな……」

 雪之丞は叡正の肩をポンと叩くと、横をすり抜けて舞台の方に足を進めた。


(本当に良かった……)

 叡正は気が抜けて、戸にもたれかかる。


「あ、そうだ……」

 後ろで、雪之丞の声が響く。

 叡正は戸に寄りかかったまま、振り返った。

「なんだ……? どうしたんだ?」


 雪之丞は叡正を真っすぐに見ると、どこか寂しげに微笑んだ。

「おまえは、俺みたいになるなよ」


「え……?」

 叡正はわずかに目を見開く。


「顔が似てるからかな、なんとなく言いたくなった……。伝えたい想いがあるなら、できるだけ早く伝えろ。俺には……それができなかったから……」

 雪之丞はそう言って軽く微笑むと、叡正に背を向けた。

「後悔だけはするなよ」

 雪之丞は片手を上げると、そのまま舞台に向かって歩いていった。


「……どういう意味だ……?」

 叡正は呆然と雪之丞を見つめる。

 雪之丞の背中が見えなくなるまで、叡正はその場から動くことができなかった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「雪之丞!」

 辰五郎は雪之丞の姿を見ると、慌てて駆け寄った。

「おまえ、間に合ったのか……」

「ああ、悪かったな」

 雪之丞は辰五郎の肩をポンと叩いた。


「おお、雪之丞! おまえ、腹はもう大丈夫なのか?」

 背後で別の役者が聞いた。

「腹……?」

 雪之丞は首を傾げる。

 辰五郎は慌てて、雪之丞の耳元で囁く。

「腹を下して休んでるってことにしてあるんだ……」

「ああ……」

 雪之丞は苦笑する。

「もう大丈夫だ」

 雪之丞はその場にいる全員を見ながら微笑んだ。


 辰五郎は目を見開く。

(どうしたんだ……なんか目に力が戻ってるような……)


 辰五郎はまじまじと雪之丞を見つめる。

 視線に気づいた雪之丞は軽く笑った。

「心配かけたな、もう大丈夫だ」


 辰五郎はなぜか顔が熱くなるのを感じた。

(なんだ!? なんか色気が増してないか? 一体どうしたんだ……)


 辰五郎が戸惑っていると、舞台の始まりを告げる太鼓の音が響いた。

 今、舞台の幕が開ける。

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