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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第四章~桔梗~
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今と一年前

「いい加減にしろ!!」

 花巻檀十郎は、雪之丞に掴みかかった。

「なんだ今日のアレは!!」

 二人以外誰もいなくなった稽古場に、檀十郎の声が響く。

 雪之丞は怒りに満ちた檀十郎の眼差しから、思わず視線をそらした。


 何も答えない雪之丞を見て、檀十郎は舌打ちをすると掴んでいた着物から手を離した。

 雪之丞は視線をそらしたまま、その場に立ち尽くす。


「おまえが女に入れあげてたのは知ってる……。何も言わなかったのは、そのことでおまえにいい影響があったからだ。芸にも艶が出て、ここ一年のおまえは今までで一番光ってたよ……」

 檀十郎はそう言うと、ため息をついた。

「それなのに、今のおまえはなんだ……。すっかり腑抜けになっちまって……。女に振られたぐらいで、今まで築いてきたものを全部ぶち壊す気か? ……頭冷やせ」

 檀十郎はそれだけ言うと、身を翻して稽古場から出ていった。


 

 ひとりになった稽古場で、雪之丞はその場にしゃがみ込む。

「何やってんだろうな……」

 雪之丞は片手で顔を覆った。

 口から乾いた笑いがもれる。

「……笑えるな。……笑えるだろ? 山吹(やまぶき)……」

 雪之丞は顔を覆ったまま、ゆっくりと目を開ける。

「全然気づかなかったよ……。案外おまえの方が役者だな」

 雪之丞は苦笑する。

「おまえがあの世までついていくって、どんだけいい男だったんだよ、そいつ……」

 雪之丞は、視界がにじんでいくのを感じて、そっと目を閉じた。


「でも……何も死ぬことなかっただろ? 振るにしたって……恨み言くらいちゃんと聞いていけよ……」

 雪之丞の指の隙間からこぼれた涙が、小さな音を立てて畳を濡らした。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


【一年前】


 提灯に照らせて、遊女たちが妖艶に微笑んでいる。

(遊女ってみんな同じに見えるんだよな……)

 雪之丞は吉原を歩きながら、ぼんやりと格子の向こうの遊女を見た。

 同じような化粧をした遊女が、同じような表情で客を誘っている。


 雪之丞は思わずため息をついた。

(女形の役者の方がよっぽど色気があるぞ……)

 雪之丞と目が合った遊女が目を輝かせて手を伸ばす。

「あなた雪之丞様でしょう? よかったら遊んでいってよ」

 遊女は雪之丞に流し目を送る。

(おいおい、流し目ヘタだなぁ……。小見世は軽く遊ぶにはいいがどうも品がねぇなぁ……)

 雪之丞は顔が引きつるのをなんとか抑えながら微笑んだ。

(やっぱ、今日は帰るか……)


 雪之丞がそんなことを考えていると、ふとひとりの遊女に目が留まった。

(あれは……)

 ほかの遊女が熱心に雪之丞に手を伸ばす中、その遊女はひとりだけ黙々と縫物をしているようだった。

(あれは……地味だな……。そこらへんの町娘みたいじゃねぇか……)

 雪之丞は思わずその遊女の前で足を止めた。 

 どこかあどけない雰囲気のあるその遊女は、雪之丞が目の前で足を止めてもまったく顔を上げようとしない。

(顔が見たいな……)

 雪之丞がぼんやりとそんなことを考えていると、男衆が声をかけた。


「旦那、ご希望の子はいましたか?」

 雪之丞はしばらく目の前の遊女を見つめた後、男衆に向かって頷いた。

「ああ、こいつにする」

 雪之丞は目の前の遊女を指さしてそう言うと、見世の中に入っていった。




「失礼いたします」

 雪之丞が座敷で待っていると、襖ごしに声が響いた。

 遊女は襖を開けて座敷に入ると、静かに雪之丞の横に腰を下ろす。

(思った以上に小さいな……)

 隣の遊女を見ながら、雪之丞は(うさぎ)のようだと思った。


 遊女は膳の上の銚子を手にすると、雪之丞の酒杯に酒を注ぐ。

(こいつ……目が合わねぇ……)

 雪之丞は遊女を見ながら苦笑した。

 大見世のような格式の高いところでは、遊女に目も合わせてもらえないところから始まるが、小見世の張見世に出ている遊女が目も合わせないというのはあまり聞かなかった。

(こいつの性格の問題か……)

 雪之丞はため息をつくと、一気に酒を飲み干し酒杯を置いた。


 遊女の肩がビクリと震える。

「おまえ……何をそんなに怯えているんだ?」

 雪之丞は呆れ顔で聞いた。

「い、いえ……怯えてなど……」

 遊女は相変わらず目を伏せて銚子を見つめていた。


 雪之丞はもう一度ため息をつくと、遊女の頬に手を添えて強引に雪之丞の方を向かせた。

 遊女が目を見開く。

 もともと兎のように丸い目がさらに丸くなり、瞳が忙しなく動く。

 雪之丞は、遊女に顔を近づけた。

「ほら、よく見ろ!」

 雪之丞はニヤリと笑う。

「いい男だろ?」


 遊女の忙しなく動いていた瞳が止まる。

「…………へ?」

 遊女は目をパチパチさせながら、雪之丞を見た。

「本来、俺の顔を見るのは有料なんだ。それをタダで! ……いやむしろ俺が金を払ってるか……。おまえはタダで見れるんだから、しっかり見とけ! この綺麗な顔が近くで拝めるんだから、おまえは一瞬たりとも目をそらすんじゃねぇ!」

 雪之丞はそう言うと鼻をならした。

 遊女は口をポカンと開けたまま、しばらく雪之丞を見ていたが、やがてフッと笑った。


「おい、今……笑ったか?」

 雪之丞がジトッとした目で遊女を見る。

「いえ、笑ってません! 笑ってません!!」

 遊女は慌てて、首を激しく横に振る。

 雪之丞がしばらく疑いの眼差しで遊女を見ていると、遊女は堪え切れず吹き出した。

「ふふ……、本当に……笑っていませんから」

 その笑顔は、蕾がそっと花開くように可憐だった。

 

 雪之丞は目を見開く。

「なんだ、笑った顔は悪くねぇな……」

 雪之丞は小さく呟いた。


「おまえ、名前は?」

 雪之丞はまだ少し笑っている遊女に聞いた。

「ああ……申し遅れました。山吹と申します。すみません……。私のようなものが雪之丞様のお相手をすると思うと緊張してしまい……」

 山吹はそう言うと、静かに目を伏せた。


「おい、目をそらすな! 見とけって言ったばかりだろ?」

 雪之丞は山吹の顔をのぞき込む。

「すみません……、ついクセで……」

 山吹はさらに視線をそらす。


 その瞬間、雪之丞が両手で山吹の頬を包むと、そっと唇を重ねた。

 唇はすぐに離れたが、山吹の頬は雪之丞の両手で包まれたままだった。

「な!?」

 山吹は目を見開いて、すぐ目の前にある雪之丞の顔を見つめる。

「目をそらした罰だ」

 雪之丞は楽しそうに笑った。

 山吹の顔がみるみる赤く染まっていく。


 山吹が思わず目をそらした瞬間、また唇を塞がれる。

「!?」

 山吹は真っ赤な顔で涙目になりながら、雪之丞を見た。

 雪之丞はニヤリと笑う。

「早くそのクセ直せよ? 直るまで俺が付き合ってやるから」

「!?」

 山吹は口を開いたが、何も言葉が出てこなかった。

「これからよろしくな、山吹」

 雪之丞は意地悪く笑うと、じっと目をそらさないように頑張っている様子の山吹の目を見つめながら、今度はゆっくりと深く唇を重ねた。

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