父さん、TSして政府公認の魔法少女やっているんだ 2
路地歌をひたすら走る。
「誰か……誰か……!」
息を切らしながら叫ぶが、応える声はどこにもない。
やがて、金網に突き当たる。
「この……!」
金網をよじ登ろうとした時、足に何かが絡みついた。
「ひっ……」
自分の右足に、あの時倒れていた男の人が縋りついていた。
「助けて……助けてくれ……」
「う、うわぁ!」
思いのほか強いその力に、金網から引きはがされて地面に転がる。
「■■■■■■■■」
「あ……」
鬼が追い付いてきた。
「くるなぁ!」
そう叫んでも、当然鬼は止まらない。無造作に近づいてきて、こちらの頭を掴んで持ち上げる。
「離せ、離せぇ!」
暴れるが、片手一本だというのにびくともしない。
そして、鬼が口を開いて自分の首筋に――――。
「はっ!?」
布団を跳ね飛ばして目を覚ます。気づけば、汗で全身濡れていた。
「ははっ……」
乾いた笑いがでる。どうやら、自分は思ったより繊細だったらしい。
まだ、手の震えが止まらない。だけど、
「俺が、やるんだ……!」
夜の帳が落ちた頃、自分は街を歩いていた。歩くのは昨日近道しようとして通った道。そこを進んでいく。
ガシャンと音がして振り向くと、ただの黒猫がビール箱に乗っただけだった。
「驚かせるなよ……」
「にゃー」
また道を歩き出そうとした。その時、
「えっ」
その猫が『噛み殺された』。
犯人は、体高が一メートルはありそうな黒い犬だった。いや、あれは犬なのか?毛皮の代わりに、まるで墨汁を垂らしたような黒を見に纏っている。
目も鼻も見えない。ただ、血が滴る牙だけがはっきりと見えていた。
「っ!」
一も二もなく自分は走り出した。当然、黒犬とは反対方向に。
感覚で分かる。あれは昨日見た鬼と同類だ。この世にあってはいけないものだ。
「ワォォォ――――――ッ!」
後ろから遠吠えが聞こえる。走りながら首だけ振り返ると、黒犬が十頭近く増えていた。それらと、目が合った。合ってしまった。
「嘘だろっ」
ひたすら速く走ろうとするが、既に精いっぱいだ。全力なんてとうに出している。
後ろから黒犬達が追ってきているのがわかる。息づかいが耳元で感じそうなほど近い。もう追いつかれる。
直線では無理だ。近くの路地に飛び込もうとした時、今度はその路地裏から別の黒犬が跳びだしてきた。
「うわ!?」
あっさりと地面に引き倒されるが、追撃がない。
慌てて起き上がると、黒犬達はこちらを眺めながら嗤っていた。犬の姿のくせに、人間らしい笑い方で、ケタケタと。
遊んでいる。すぐに理解できた。その事実にむかつきはしても、どうする事も出来ない。いや、もしかしたら、あれが効くのか……?
このまま逃げてもなぶり殺しにあうだけだ。だったら、試してやる。
「これを見ろぉ!」
ポケットから取り出したのは、十字架のペンダント。それを見た黒犬達は一瞬止まった後、更に大きな声で嗤いだした。
どうみても効いていない。一匹が無造作に近づいてきた。
「くらえ!」
その鼻先に、もう片方の手でポケットから出したニンニクスプレーを吹きかけてやった。
「ギャンッ!?」
見た目通り嗅覚は鋭いのだろう。その一匹は大きく飛びのいた。
「このっ!」
そのまま他の黒犬達にもスプレーを振り回す。
露骨に黒犬達が後退った。効いているのか?ニンニクの匂いが。
十字架を捨て、最後の一つを取り出す。これが本命だ。
月明りに照らされるのは、銀のナイフ。今日ここに来る前に購入しておいたのだ。高かったが、それで母の仇がとれるなら安いものだ。
「くらえ!」
刃渡り十五センチほどのそれを突き出して―――。
あっさりと、かみ砕かれた。
「あっ」
次の瞬間には腹に強い衝撃を受け、吹き飛ばされていた。
「ぐ、のぉ……!」
どうにか上半身を起こすと、そこには先ほどより苛立った雰囲気の黒犬達がいた。うなり声をあげる姿は、どう見ても怒っている。
「くそ……!」
破邪のナイフだかなんだか書いてあったくせに、全然効いてないじゃないか。
どうにか起き上がろうとするより先に、黒犬の一匹が跳びかかってくる。やけにゆっくりと、いや、コマ落ちしたみたいに見える。
ああ、これが走馬灯ってやつなのか。今度は、目をそらさない。
迫る牙の本数さえ数えられそうな距離になった時、黒犬が真横に蹴り飛ばされた。
「御剣、さん……?」
そこには、昨日であった少女が立っていた。
「無事か」
真っすぐと黒犬達を見据えたまま、凛とした声で呼びかけられる。
「は、はい」
慌てて起き上がる。こちらには振り返らないまま、御剣は両手で刀を構える。
「なら、そこでジッとしていろ。絶対に動くな」
「わ、わかりました」
黒犬達が徐々に距離を詰めてくる。蹴り飛ばされた一頭も戻ってきた。
「すぅ……はぁ……」
小さく御剣が呼吸を整える。その瞬間に、黒犬達が一斉に四方八方から跳びかかってきた。
その速さは先ほどと違い目で追う事も出来ない。だから、必然それよりも速い動きを視認することなど出来なかった。
気づいたら、御剣が腰の鞘に刀を収めている所だった。
チンッと音がしたかと思うと、黒犬達が全て切り刻まれて地面を血で濡らしていた。
「えっ」
見えなかった。何が起きたのか分からない。状況からして、御剣が斬ったのか?
そう思っていると、水滴が一滴肩に当たった。
「雨……?」
その後一気に雨が強くなり、あっという間に本降りになる。
「……ついてこい」
「え、ちょっ」
御剣に腕を掴まれ、引っ張られるまま歩かされた。
ど う な っ て い る ん だ ! ?
自分と御剣は今、大人がセで始まる行為をする為のホテルにいる。しかも二人で風呂を浴びていた。
「ここが我々で入るのに不適切であるという事は分かっている。だが、このままでは風邪をひいてしまう」
ホテルで部屋に入るなり、御剣が口を開いた。
「は、はぁ」
「雨で冷えているだろう。シャワーを浴びて来なさい」
部屋に備え付けてあったタオルで頭を乱暴に拭きながら、御剣が顎で風呂場を示す。
「いや、そこは御剣さんが先に入ってください」
「何故だ」
「何故って、女の子だし、恩人だし」
当たり前の事を言ったつもりだったのだが、小さくため息をつかれた。
「まず、お前は私を女扱いするな。次に、恩を感じる必要はない。当然の事をしたまでだ」
「いや、けど」
「それと、魔法少女は常人より頑丈だ。気にせず温まってきなさい」
当然のことの様に言うが、納得できない。
「ダメですよ。恩人を濡らしておいて、自分だけ入るなんて」
「いいから入りなさい。風邪を甘く見るんじゃない。肺炎にかかったらどうする」
「その言葉そっくりそのまま返します。御剣さんこそ、体を大事にしてください」
数秒にらみ合うと、御剣が目をそらす。
「……最終手段だ」
「はい?」
「一緒に入るぞ」
「はっ?」
「こういうホテルは確か風呂場が広めだと同僚から聞いた。二人でも入れるだろう」
「ちょ、無理ですよ!」
「問題ない、いける」
「いやいけるいけないの問題ではなく!」
「ずべこべ言うな。男だろう」
「あんたは女だろう!?」
「女扱いするな」
「んな無茶な!?」
一応抵抗したものの、圧倒的力の差で強引に服を脱がされて風呂場へと連れ込まれてしまった。
「……思ったより、しっかりした体をしているな」
「み、見ないでください……」
全力で御剣の方を見ないようにしながら、蚊の鳴くような声で応える。
「すまん。だが、大きくなったな、と思ってな」
「大きくなっていません!」
「いや、かなり成長している」
「あ、そっち……というか、それだと昔会っているみたいな感じじゃないですか」
「……忘れろ」
御剣がこちらにシャワーを浴びせてくる。
「あっつ!」
「すまん」
「いえ、いいですけど」
「それにしても、思っていたより狭いな。詰めるぞ」
「ちょっ」
背中に凄く大きくて柔らかい感触が伝わる。そして、その感触の中にはグミみたいな感覚もあってっ―――。
「お、俺出ます!」
「何をいう。まだ温まっていないだろう」
「ほんと、もう大丈夫ですから」
「認めん」
風呂場から逃げようとするが、後ろから羽交い絞めにされてしまった。逃げられない。
背中から腰にかけて滅茶苦茶柔らかい感触が伝わってくる。思わず動きが止まってしまったところに、シャワーをかけられる。
「……洗いっこするか?」
「ケッコウデス」
誘ってんのか、この人。
どうにか前は見られずに体を拭き、服を着て対面する。
「歩き方がおかしい。もしや、怪我をしたのか」
「違います。疲れているだけなので気にしないでください」
「そうか」
失礼かもしれないが、ベッドに座り込む。
「では、話を聞かせてもらおうか」
大きな胸の下で腕を組み、御剣がこちらを見下ろしてくる。
「なんであんな所に、こんな時間出歩いていた。買い物、というわけではないだろう」
「……すみません、帰って父に夕食を作らないといけないので」
「もう出してから出てきたんだろう」
「……監視していたんですか」
御剣が露骨に目をそらす。
「そういうわけではない」
「いいですよ、別に」
「いいのか。もっと私生活を大事にしなさい」
「いや、あんな秘密目にしちゃったら監視ぐらいされるでしょ」
「……そうなのか?」
「違うんですか?」
「……そういう事にしておこう」
いまいち要領をえない。監視していたんじゃないのか?そうじゃなきゃ父に早めの夕食を出していたことを知っている説明がつかない。
「今はどうでもいい。先の質問に答える」
「………」
「だんまりか。なら当ててやろう」
いつの間に回収したのか、御剣が十字架を投げわたしてくる。
「十字架、銀のナイフ。そして現場から感じたニンニクの香り。……そんな装備で吸血鬼と戦うつもりだったのか?」
御剣は冷めた目で淡々と言葉を紡ぐ。
「何故こんな馬鹿な事をしようと思った」
「………」
「……吸血鬼は、私が殺すと言ったはずだ。お前が出る幕はない」
「……って」
「ん?」
「だからって、はいそうですかで引き下がれませんよ!」
勢いよく立ち上がって、御剣を睨みつける。あんなに強い彼女なのに、意外と小柄で見下ろす形になる。
「母さんの仇がいるかもしれないんですよ!?なのに、なのにジッとなんてしてられませんよ!」
「それで、私の仕事を増やして邪魔をしているのか?」
「そ、それは……」
何も言い返せない。彼女が言っている事は、何も間違っていない。昨日も今日も、自分は助けられただけだ。そして、もしかしたら自分を助けている時間を使って吸血鬼を見つけていたかもしれない。
「……すまない。言い過ぎた」
「いえ、御剣さんの方が正しいですよ……」
「なら」
「それでも、それでも……!」
目頭が熱くなる。なんと情けない事か。
涙を流すことがではない。これが子供の駄々だからだ。自分が言っているのは、出来ない事をやりたいと言っているだけで、やっている事は足を引っ張るだけ。これが情けなくてしょうがない。
「……泣く必要はない。私の様な、妖魔を倒すために生きている人間もいる。そういう愚か者に、復讐なんてものは任せてしまえ」
御剣が少し背伸びをして、こちらの頭を抱きかかえる。温かい。気恥ずかしさより先に、何故か安心がくる。まるでそう、小さい頃に戻ったかのように。
「それでも俺は、じっとしていられません」
「まだ言うか。こんな夜中にあんな場所にいるなんてただの自殺……」
御剣の言葉が不自然に止まり、勢いよくこちらを引きはがしたと思ったら頭を両手で掴んでくる。
「待て、なんであそこにいた……?」
「だから、母さんの仇を」
「違う。あそこには人除けの結界を張っていたはずだ」
結界?よくゲームとかで聞くあれか?人除け結界という事は、本来なら人が来れないという事なのだろうか。そういえば、猫以外誰もいなかった。
だがそれはおかしい。なら何で自分はあそこに行けたというのか。
「まさか……!」
「え、ちょっ」
突然御剣が服を脱がせようとしてくる。抵抗したが、力が違い過ぎてあっさりと剥かれてしまった。
「そんな……!」
御剣が自分の胸元を見て固まる。
「いったい何ですか、突然……」
御剣の視線を追うと、自分の左胸に紅い入れ墨がされていた。こんなの彫った覚えはない。昨日まではなかったはずだ。
御剣の指先が入れ墨に触れる。瞬間、強い静電気の様なものが出てその指をはじいた。
「『口づけ』……!なんで、どうして……!」
今にも泣きだしそうな顔で、御剣がうめくように呟いた。
* * *
その後すぐ、車がやってきて警察署に連れていかれた。今度は取調室ではなく、地下である。
だいぶ地下深くまでエレベーターが潜っている。いったい地下何階まで行くんだ。
「大丈夫だ。悪い事にはならない」
入れ墨を見てから御剣はこれしか言ってくれない。何を聞いても『大丈夫だ』『悪い事にはならない』だけだ。
やがてエレベーターが止まると、事務所の様な所に出た。
「ここは……」
「やあ、昨日ぶりだね」
そう言って出迎えたのは、昨日見た和服の幼女、愛歌だった。
「改めて、私は愛歌。そこにいる御剣の上司の様なものだよ」
「あ、どうも……矢島孝太です」
慌てて頭を下げる。昨日は何も感じなかったが、いざ正面に立つと謎のプレッシャーがある。本当に見た目通りの年齢なのだろうか。だが、さすがに年齢を尋ねるのは気が引ける。
「お、昨日の子じゃ~ん☆なに、私に会いに来たの?」
栗色の髪の少女、軍旗も話しかけてきた。この二人がいるという事は、間違いなく魔法少女と妖魔に関わるところなのだろう。
「ああ、君が噂の……話は聞いているよ」
部屋の左側にある扉から女性が出てくる。美人なのだろうが、目の下に酷いクマがあり、髪もぼさぼさだ。だが、スタイルが凄くいい。
「私は鹿目麗華。まあ覚える必要はない」
「は、はあ。矢島孝太です」
名乗られたので一応名乗り返したが、こちらの話を聞いている様子はなくズンズンと近づいてくる。
「ふむ……」
「えっ」
突然自分の襟を掴んで引っ張ってきた。そのまま胸元を覗き込んでくる。
「報告にあった通りだな」
「鹿目さん」
「すまない」
御剣が眉間に皺をよせながら話しかけると、鹿目はパッと手を離して一歩後退る。
「つい気になってしまってね。そうそうないだろう?『口づけ』をされている人間に会うなんて」
「あの、何なんですか、その『口づけ』って」
この人なら何か知っているのだろうか。そう思い尋ねてみると、鹿目は鷹揚に頷いた。
「うむ。一言でいうなら、マーキングだ」
「マーキング?」
犬や猫がする、あの?
「大抵は上位の妖魔が自分の『獲物』の位置を把握するのに使う」
「獲物……」
言っている意味はわかる。だが、『何故』という疑問が浮かぶ。
「なんでそんなものが俺に……?」
鹿目は上位の妖魔が、と言った。だが自分はそんな妖魔には会っていない。昨日の鬼も今日の黒犬も御剣があっという間に切り伏せていたし、両者にそれほど差があったとは思えない。
「『口づけ』は直接つけられる場合と、下僕にしている妖魔から遠隔でつけられる場合がある。今日君は妖魔に襲われたそうだね」
「はい……」
なるほど。つまり、あの黒犬がその下僕とやらか。
「下僕でも多少力を持っていれば、人除けの結界に引きずり込むことは出来るだろう。そして、君の『口づけ』だが、前にも同じものをされた人がいる。おかげでどの妖魔がそれをしたのかわかったよ」
「その妖魔って」
「吸血鬼。個体名スカーレットだ」
吸血鬼。その単語に頭が真っ白になる。
「待ってください。その吸血鬼って、もしかして――」
こちらの声を遮るように、机が力強く叩かれた。御剣だ。
「そんな事は今はいいんです、鹿目さん。それをはがす方法を教えてください」
「ない」
「はっ?」
あまりにもきっぱりとした物言いに、御剣が間の抜けた声をだす。
「現状この『口づけ』をはがす手段はない。皮ごと剥いでも無駄だ。『口づけ』の主を殺さない限り消えん」
「そんな……!」
御剣が唇をかむ。だが、今はそれよりも聞かなければならない事がある。
「そのスカーレットという吸血鬼は、三年前の『吸血鬼事件』に関係していますか?」
その問いに、鹿目は首を傾げながら顎をなでる。
「私の記憶が確かなら、その『口づけ』が目撃されたのはちょうどその事件だな。何か関係があるのか?」
「ああ……」
目を手で覆い、上を向く。
ついに、ついに待ち望んだこの時が来た。母が亡くなってから、犯人には絶対に報いを味合わせると決めていた。
たとえ刺し違えてでも殺してやるぞ、吸血鬼。
「孝太。変な事は考えるな。思い出せ、お前は吸血鬼の使い魔にすら手も足も出なかったんだぞ」
「それは……」
だが、その思いも御剣に止められる。なにも言い返せない。自分は無力な一般人に過ぎないのだ。
自分にも、魔法があれば……。
「まあ待ちたまえ、御剣君」
「愛歌さん?」
愛歌が扇子を開きながらこちらを見てくる。その目は獲物を見つけた猫の様だ。目の前で食い殺された猫を思い出して、少し後ずさりしそうになる。
「矢島孝太君。君の様子と経歴から、吸血鬼に随分恨みがあるようだね」
「はい……」
「なら、一つ我々に協力してくれないか?」
「愛歌さん!?」
御剣が悲鳴を上げて愛歌に掴みかかるが、間に軍旗が割ってはいる。
「落ち着きたまえ御剣君。どのみち、彼は吸血鬼に狙われるのは確定している。なら、いっそのこと我らで守ればいいのだよ」
「それは、しかし……!」
話についていけてないが、この『口づけ』とやらがマーキングだというのなら……。
「俺を、囮にするってことですね?」
「そうだよ。断りたいのなら、無理強いはしな」
「やります」
愛歌の言葉を最後まで聞かずに答える。
「やらせてください。それで、母の仇がとれるなら」
「待て、私はまだ納得していない」
「御剣ちゃんさ~、いったいどういう立場なの~☆」
軍旗がニヤニヤと笑いながら御剣を見下ろす。
「愛歌さんは上司で、その作戦も理にかなってる。孝太君も了承している。なのにそんな我が儘言って、何様なのかな~☆」
御剣はその言葉に唇をかんだ後、こちらを見てくる。
「御剣さん、すみません。けど、これだけは譲れません」
「……わかった。ですが、その作戦には必ず私を参加させてください。二十四時間体制でその子を守ります」
「勿論参加してもらうさ。うちは万年人手不足だからね。だが、さすがに交代制だからね?」
愛歌が少し困った様子で御剣をなだめる。
「……驚いたな。彼女が吸血鬼を憎んでいるのは知っていたが、それ以外にも執着しているものがあるとは」
鹿目が興味深そうに御剣を見ているが、自分にはそれに関心を向ける余裕はない。
ついに、母の仇をとれるかもしれないのだ。
* * *
町はずれの寂れた廃工場。そこにテントやらなんやらキャンプグッズを持ち込んで、自分は吸血鬼の襲来を待ち構えていた。
傍には鼻歌まじりに爪にマニキュアを塗っている軍旗と、柱にもたれかかって目を閉じている御剣がいる。
『スカーレットは過去のデータから我慢弱い吸血鬼とされている。おそらく一週間以内に仕掛けてくるだろう』
そう言った鹿目さんの言葉を信じ、愛歌さんが用意してくれた偽の診断書で学校は休んでいる。
「御剣ちゃんさぁ、マジで二十四時間いるの~☆」
マニキュアをしながら、軍旗が御剣へ話しかける。
「……お前がいる間は睡眠をとっているし、食事もしている。なんら問題はない」
「家には帰らないわけ?乙女としてどうよって感じ~☆」
「家に帰らないのはお前もだろう。最後に帰ったのはいつだ?」
ピクリと、軍旗の手が止まる。ゆっくりと御剣を見るその顔は嗤っているが、目が驚くほど冷たい。
「先に言ったのは私だけどさぁ、なに、喧嘩うってるの?買っちゃおうかなぁ」
「……すまない。失言だった。謝ろう」
御剣が柱から背中を離して軍旗に頭を下げる。その姿に、軍旗は驚いた表情を浮かべた後、ため息をついてマニキュアを塗り始める。
「ほんと調子狂うなぁ~☆」
「気にしないでくれ。ここでお前と争えば無駄な力を消費すると思っただけだ」
「あっそ。その為に頭まで下げるって、どれだけん本気なんだい☆」
「無論、死ぬ気で」
なんら気負う感じもなく、御剣が即答する。
「それは吸血鬼を殺すため?それとも孝太君を守るためぇ?」
「両方だ。どちらも確実に遂行して見せる」
「御剣さん……」
何故、そこまで自分を気にかけてくれるのだろう。それがわからない。ただ、小柄なその姿に、不思議と安心感を覚える。
まるで、ずっと見てきた背中の様に。
『チリィン』
響き渡った鈴の音に、二人の魔法少女が一瞬で変身をすませ御剣が刀。軍旗が拳銃を構える。
愛歌さんが張ったという結界。それに異常があった時は、鈴の音が聞こえると言っていた。そして、今も鈴がなり続けている。
やがて、鈴の音が止まった。
「こんばんは、家畜の諸君」
いつの間にか、自分達の目の前に一人の少女がいた。
腰まで伸びる桜色の髪。黒と紫色のドレス型ワンピース。均整の取れた肢体に、輝くような美貌。ああ、普段だったら見惚れているほどの美少女だ。
だが、今自分の頭の中を満たすのは一つの感情のみ。
「お前が、スカーレットか……!」
血を吐くような思いで口を開く。本当なら、今すぐ殴りかかりたい。だが、それは魔法少女たちの邪魔をするだけだ。今は出来ない。
吸血鬼は大仰に頷く。
「いかにも。私が宵闇の明星と名高きスカーレットだとも。どうぞよろ――」
綺麗なカーテーシーをしながらの自己紹介は、その首に放たれた斬撃でキャンセルされる。
「おっと、礼儀がなっていないな。魔法少女という奴は」
「黙れ」
刀を構えた御剣から、氷の様な声が出る。
「母さんのっ」
理性も何も吹っ切れてスカーレットに掴みかかろうとするのを、気合で耐える。魔法少女たちの邪魔をしてはならないと、御剣に口を酸っぱくしてこの数日間言われてきた。自分には奴を殺す手段がない以上、彼女たちに任せるしかない。
「じゃ、孝太君は奥に☆」
「……はい」
軍旗に促され、廃工場の奥へと走る。その姿に、スカーレットが鼻で嗤う。妖魔であるあいつには、自分が走ったところで牛の歩み等しいだろう。
だが、これは自分の身を守るためではない。『魔法少女に全力を出させるため』だ。
「御剣さん、お願いします!」
悔しさに食いしばった歯が砕けそうになる。それでも、全ての感情をこめて叫んだ。
「―――任せろ」
サイド 軍旗
足手纏いが離れた今、妖魔を前に大人しくしている理由はない。自分も拳銃をスカーレット目掛けて発砲する
撃ったのは六発。しかし響いたのは一発分の銃声のみ。魔法少女となった今だからこそ出来る早撃ちだ。しかし、それはスカーレットの眼前で紅い膜に受け止められてしまう。
「ちっ」
この場には御剣と殺す相手しかいないから、素の自分が出せる。舌打ちをしながら、一秒でリロードを済ませる。
「口が汚いな、魔法少女」
「死ね」
こちらを見ながら余裕の表情を浮かべるスカーレットに、御剣が迫る。たった一歩で詰められた数十メートルの距離。振るわれた一閃を、スカーレットは『躱した』。
一撃目もそうだ。こいつは御剣の刃だけは避ける。どうやら、御剣の魔法は初見で見破られてしまったらしい。内心でまた舌打ちをする。
「どうした。この刃がそんなに怖いか」
「だってねぇ。見ただけでわかるよ。その刀、周囲の魔力を『殺している』だろう?」
八双の構えをとる御剣に、スカーレットはコロコロと笑う。まるで冗談を言われて笑っている女子学生の様だ。
「低級の妖魔じゃあるまいし、そんな事見ればわかるに決まっているじゃないか」
「そうか、死ね」
「それしか言えないのかい?」
「貴様にはそれ以外言うつもりはない」
喋りながらも、御剣とスカーレットは交差し続ける。音速を超えて振るわれる剣先を。滑るように滑らかな踏み込みを。しかして吸血鬼は霞の様に避け続けている。いっそ鼻歌でも歌い出しそうな余裕の表情で。
そのにやけ面に横から銃弾を撃ち込んでやったが、あっさりと魔力の膜で防がれてしまった。自分の銃では奴を殺せない。
なら、『本来の武器を仕掛けるまで』だ。
「起きろ」
廃工場の各所に配置した箱が一斉に内側から突き破られる。中ならあふれ出したのは、天井を覆いつくすほどの『蟲』達だ。
ただの蟲ではない。一匹一匹が『人間一人分』の魔力と呪いをため込んだ人造妖魔。一匹の強さは低級のそれだが、これだけそろえば上級すらも食い殺せる。
「趣味が悪いな」
「食い殺せ」
視線だけ蟲達の向けたスカーレットの言葉は無視して、一斉に襲い掛からせる。それぞれの蟲には猛毒が仕込んであるし、その針は多少だが魔力を突き破る性質も持っている。この数で群がればいかに吸血鬼といえど無事ではすまない。
だが、スカーレットも蟲にたかられる趣味はないらしい。指先から蒼い炎を出したかと思ったら、指揮棒を振るように手を動かして蟲を焼き払う。
蟲達は近づくことも出来ず、焼き殺されていく。だが、それでも前進をやめない。なんせ、本命は別にある。
蟲達で視界は塞いだ。こいつらの鱗粉は魔力に関してジャミングにもなる。そして、御剣の刃はいかな結界も切り裂ける。
蟲達の壁を外から突き破り、御剣がスカーレットへと踏み込む。その動きは音速にさえ届く。
既に居合の間合い。刀は鞘から抜き放たれ。閃光のごとき一太刀が吸血鬼の胸へと吸い込まれた。
サイド 矢島 孝太
「御剣さん……」
月明りに照らされながら廃工場を振り返る。人通りのない道路から、こうして戦いを見守る事すら出来ない自分に腹が立つ。
母の仇。どれほど自分の手で殺してやりたいと思ったか。あいつがいなければ、きっと今でも幸せな家庭でいられたのだ。あいつが、自分の幸せを奪わなければ。
強く握り過ぎた手のひらから血が溢れる。それが、地面に滴り落ちた。
「もったいないな。せっかくの血を」
どこからかそんな声が聞こえた気がした。
次の瞬間、自分の脇を何かが高速で通り抜け、破壊音と共にアスファルトの地面に叩きつけられた。
驚きながら振り向いた先にいたのは、頭から血を流す御剣だった。
「御剣さん!?」
慌てて駆け寄る。意識はあるようで、力のある瞳で正面を睨みつけている。視線を追えば、暗がりからコツコツとヒールを鳴らせながら近づく人影が。
「嘘だろ……」
それは、見間違えるはずがない。怨敵、スカーレットが右手に軍旗の首を掴んで歩いてきたのだ。
スカーレットの姿には傷一つない。大して、軍旗は力なく吊るされたまま。御剣は立ち上がる事こそ出来ているものの、呼吸が荒い。
「やあ、また会ったね。いい月夜じゃないか。そんな汗を流すほど暑くはないはずだけどなぁ……?」
嘲笑を浮かべながら、ぞんざいに軍旗をこちらに放り投げてくる。咄嗟に受け止めたが、支えきれず尻もちをついてしまった。
「軍旗さん!?」
肩を抱いて揺らすと、わずかにだが反応があった。辛うじてだが、呼吸もある。
「軍旗を連れて下がっていなさい」
「御剣さん……!?」
フラフラとした足取りで御剣が前にでる。無茶だ。小柄な体は全身血にまみれている。どう見ても戦える姿じゃない。しかも、相手は無傷だ。汚れてすらいない。これからパーティーに出席する所だと言われても、納得が出来てしまいそうな格好だ。
「健気だねぇ……実力差は分かったはずだが?」
「関係ない。貴様は、確実に殺す」
御剣さんが刀を鞘に納め、そのまま構えをとる。昔父に見せてもらった居合の姿に似ている。だが、よく見れば指先が震えている。血が足りていないのだ。もしかしたら内臓にもダメージが出ているかもしれない。
「御剣さん、逃げてください」
復讐心で煮詰まっていた頭が冷える。このままでは仇をとれない。なら、少しでも将来奴を殺せる可能性に賭けた方がいい。自分がここで生き残るより、御剣が生き残った方が、スカーレットを殺せるかもしれない。
自分だって死にたくない。だけど、それで奴が殺せるなら。
「ふざけるな。お前は死なせない。絶対にだ。命に代えても守ってやる。いいから逃げろ」
正面を向いたまま、御剣がいつもの声音で言ってくる。だが、足元に広がる血だまりは刻一刻と広がっているのだ。
ふと、視線が軍旗の手元にいく。そこには、一丁のリボルバーが握られていた。
「さて、またその構えなわけだが……もう一度試してみるのかね?」
「貴様の命を絶つまで、何度でも振るおう」
「そうかい。では、やってみなさい。もしかしたら届くかもしれないよ?」
スカーレットが無防備に両手を広げる。まるで友人とのハグを待つように。
「……シッ」
それに対し、御剣はただ冷静に居合を放つ。目にも映らない、もしかしたら音速すら超えているかもしれない一撃。
だが、その一刀はあっけなく、スカーレットの指先に挟まれて止まっていた。
「残念。君の刃は確かに私の障壁を切り裂ける。だが……欠伸が出るほど遅いんだ。人間の動きというやつは」
明らかに見下した顔で御剣を嗤うスカーレットの肩に、紅い花が咲いた。遅れて、一発の銃声。
「なに……?」
スカーレットと目が合う。自分の手には軍旗の拳銃が握られている。
「くそ……!」
外してしまった。本当は頭を狙うはずだったのに。すぐに続けて引き金を引くが、弾が出てこない。弾切れか。
驚きに目を見開くスカーレットの腹を蹴りつけ、御剣が強引に刀から手を離させる。そのまま唐竹わりに斬撃を放つが、気づけばまた御剣は吹き飛ばされていた。
スカーレットは興味深そうに自分の傷口に指をいれて確かめている。ぐちゃぐちゃと音を鳴らしながら、一発の銃弾を引き抜いた。
「ふむ……間違いなくそこに倒れている魔法少女の弾丸だ。だが……魔法少女の武器は魔法少女にしか使えないはずだが……」
弾切れなら仕方ない。銃身を握って奴に向かって殴りかかる。
「逃げてください!御剣さん!」
自分が少しでも時間を稼ぐ。万に一つかもしれないが、魔法少女たちが生き残れば勝ちの目はある。
「このぉ!」
全力を込めて殴りつけるが、あっさりと腕を掴まれてしまった。そのまま引き寄せられ、顎を掴まれる。
「ふむ……美味しそうな魔力だと思っていたが……どういう仕組みだ?先の弾丸、本人が撃った時よりも強化されていたが……」
「知るかよ、クソ野郎……!」
掴まれたまま、もう片方の手で脇腹を殴りつけるが、びくともしない。それどころか体に当たる直前に何かに阻まれている。
「孝太……!」
少し遠くから、御剣さんの声が聞こえる。
「おや、内臓をいくつか潰したはずだが、まだ動くのかね。まるで害虫だな」
くるりと向きを変えられ、後ろから抱きかかえられる。地面に倒れ伏した御剣さんが、刀を手に這いずってきている。
「凄まじい執念だ。私もそこまでしぶとい魔法少女は初めてだよ。そうだ、いい事を思いついた」
どうにかスカーレットの手から逃れようともがくが、びくともしない。奴に頬を撫でられる。
「そんなにこの少年が大事なら、この子の血を吸うところを特等席で見せてあげようじゃないか」
「貴様……!殺してやる……!殺す……!」
歯を食いしばりながら、御剣は土に汚れながらも進んでくる。
「だが、随分汚れてしまっているな。お色直しと言うのだったか?なんにせよ身ぎれいにする時間ぐらいあげようじゃないか」
スカーレットの背後に紅い渦ができ、そこに奴もろとも吸い込まれていく。
「明日の零時。場所はそうだな……よし、この辺で一番高いホテルの最上階にしよう。そこでこの子の血を吸う。招待客は君一人だ。もし他の魔法少女も連れてきたら……わかっているね?」
「来ちゃだめだ、御剣さん!いつかでいい!必ずこいつを殺してくれ!だから、万全を期して」
「ははっ!チャンスはそう何度もくるものじゃない。私を殺したいのなら、明日に全てを賭ける事だ」
「孝太、孝太ぁ!」
完全に渦へ吸い込まれる直前に見たのは、御剣の泣き顔だった。
読んでいただきありがとうございます。
気が向いたらまた続きを出すと思います。