第8話
集会後は解散となって、壇上にいた他の新人達は指導者達がそれぞれ個室に案内してやるとかで連れられて行ったのに、ファレロはひとり、取り残されている。
モリトールもいなくなってしまったのかというと、そうではなくて、彼もまた、ずっと席に着いたままその場に残っている。
ふたりは距離のある位置でずっと視線を交差させ続けていた。
思惑が一緒であるとは限らないが。
その証拠にファレロは悩んでいる。
これはつまり、先に挨拶をするのが新人の礼儀だろ、的な?
いやいや彼がモリトールと決まったわけではないし、なんならモリトールに無視されてしまった可哀想な子。ひとりにさせないようにモリトールが戻るのを待っててあげようと思ってくれているだけなのかもしれないし。
それともいつまで耐えられるか見極めている、とか?
あるいは女の隊員なんて認められないから荒探しをして早々に辞めさせてやりたいから、これからの戦法を考えている、とか?
どれなんだ……。
ごくりと固唾を呑みながら、ファレロはわからずに凝視してしまう。
そのあとで、はっとしたようにモリトールが立った。
「寝てた」
目をぱちくり。
ファレロは驚嘆した。
「寝てた!? ずっと!? 目を開けたまま!?」
「こっちは疲れてるんだ。君みたいな暇人とは違う。ファルコン、付いて来い」
「ファレロです」
「部屋は2階にある。なんで指導役なんか任される羽目に……。ファミーユ、早くしろ」
「ファレロやて」
とりあえず、ファレロは荷物を抱え直し、先を行くモリトールの後を追った。
ファレロの個室は2階にあった。1階には講堂と食堂があるだけで、2階、3階はすべて寮室になっている。ひとつの階に20部屋はあるというのだが、部屋数の割に建物が小さいので、おそらくかなり狭いのだろう。
案の定、扉を開けた腰はベッドが置いてあるだけで目一杯だった。収納スペースは半畳ほどのクローゼットがあるのみだ。トイレと風呂は別々だが、洗面台は風呂場に取り付けられているタイプで、まあ日本でいう普通のワンルームといったところか。
「216号室。ここだ」
「わかりました」
「鍵はこの懐中時計。ドアの窪みに時計を嵌めて、魔力を込めながら右に90度回す。3回、同じことを繰り返せ。ドアが固有の魔力を覚えて、他の人が開けようとしても開けないようになる」
「仕組みはわかりました」
「ぐずぐずするな。やれ」
「魔力を込めるって、どうやるんですか?」
無表情の目と無邪気な目がかち合う。
やや合って、モリトールが眉をひそめた。
「合格してきたんじゃないのか?」
「合格しました」
「さては裏口入隊か?」
「いや合格したんやて」
「いくら詰んだんだ。そのみすぼらしい服は資産を誤魔化すカモフラージュだな?」
本当に人の話を聞かない奴だな。
しかしここで、争ってもいいことはひとつもない。日本人の端くれとして、仲間内での争いごとは避けるべし。
「魔力の込め方がわからないので、教えてください」
「試験ではどうやって魔法を使ったんだ。やってみろ」
ファレロはあのときと同じ行動をした。腕を天に突き上げ、掌を広げる。ふんっ、と力を込めると、ビー玉くらいの光の球が掌に出来た。
「こうやって、どんどん大きくしたんです」
「……まさか本当にその魔法の使い手だったとは」
「え、なにがです?」
「いや、なんでもない。とにかく、その光を懐中時計に込めてみろ」
なんだか納得いかないけれど、とりあえず従った。掌のビー玉を、懐中時計の蓋へころりと落とす。
ばつんっ!!
そう音を立てて粉砕したのは、懐中時計のほうだった。
「……は?」
目を見開いたのはモリトールだった。予想だにしない損壊に、咄嗟に腕で顔を庇ったのだろう。その腕を下げたかと思うと、ファレロの手に残った僅かな残骸を奪う。
「こ、壊れてる」
「不良品ですかね? どこかに言えば代わりを貰えるんですか?」
「い、いや、壊れるなんて」
ぱらぱらと床に舞い散った破片をひとつ、ひとつ摘まみ上げてじっくりと観察しているモリトールに倣ってみるが、ファレロには普通の部品にしか見えない。
「君、どれくらいの魔力を込めたんだ?」
「どれくらい? いや、ほんのちょっとですけど……見ての通り、小さかったですし」
試験の日にはもう少し大きくしていたから、今回は少量と言えたはずだ。
「……重かったか?」
「え?」
「さっきの光だ。小さかったが、重量があったか?」
「はあ、まあ」
「どのくらい?」
「ええ……どのくらいと言われても」
日本で言うなれば、500ミリリットルのペットボトルより少し重たいくらいだっただろうか。
「ありえない。魔力に重量があるなんて、ありえないんだ」
しかし実際には重さもあった。モリトールが言わんとしていることがわからず、ファレロは首を傾げてしまう。
「なにやってんの?」
そこへやってきたジョアンのペア。膝を曲げて床を見つめているモリトールの横から、破片を見て目を丸くする。
「え゛!? 時計、壊れちゃったの!? なんで!?」
「いやあ、不良品だったみたい。鍵掛ける練習のために魔力を込めたら、バツンッて割れちゃった」
「割れた!? 魔力を込めただけで!? はぁ!?!? 君、どんだけ魔力込めたの!?」
「本当にちょこっとですよ。試験の日の、数10分の1くらいで……」
「マジ!? と、時計が壊れるなんて、ありえないよ!」
なんだか責められている。もしかして、とても高級な時計だったりするんだろうか。弁償させられたり?
急に怖くなって、ファレロは破片を集め始めた。作り直してくれるかもしれないと考えたのだ。
「と、とにかく隊長を呼んでくるから!」
「はい……」
落ち込んでしまう。
隊長が来たら、もしかして怒鳴られるのかも。明日から苛めに会って、ずっと孤立して無視され続けたりするかも。
ああ、やだなあ。
陰湿な嫌がらせって本当に嫌だ。たまたま脆い時計に当たって壊れただけなのに。
そこへ、ジョアンに連れられたマルタンが大股でやってくる。来るなり無言で膝を折り曲げ、床に散らばった破片を見詰める。そしてファレロの手に集めた欠片も凝視した。
「本当に壊れてるな。ジョアン、時計をもうひとつ持って来てやれ」
「はい」
再び去って行くジョアン。なんだか往来させて申し訳ない。
「モリトール、お前、なにを教えたんだ?」
「施錠方法を教えただけです。本人曰く、魔力に重量があったと……。しかし、視認できた魔力はこのくらいの大きさでした」
先にファレロが出した光の球くらいの風の球を、モリトールは掌で作って見えた。透明の殻の中で風が渦巻いている。
うーん、とマルタンが唸る。
「これは、予想以上に手こずりそうだな……。モリトールは、明日からしばらく魔力調整を教えてやってくれ。隊舎を破壊されでもしたら、それこそ取り返しがつかん」
「承知しました」
「勘のいい奴であればいいんだがな。しかし、施錠出来ないのは困りものだな……。一応、女性だし」
一応ってなんだ、一応って。
やや考えたあとでマルタンは、うん、と頷いた。妙案を思い付いたらしい。
「よし、ファレロが魔力調整できるようになるまで、お前の部屋で寝泊まりさせてやれ」
ぽん、と肩に手を置かれたモリトールは絶句した。
にっこりと笑うマルタンに、さすがのモリトールも物申すことは出来ないようだ。