第6話
その質問にジョアンが目の色を変えた。赤毛をほんの少し薄めた夕陽色の瞳が煌めいたのは、しかし決していい意味ではなさそうだった。
僅かといえど、年長者としてまだ冷静さを保っているウィックが質問に質問で返す。
「それは騎馬隊の話か?」
「いえ、もちろん、魔法隊の話です」
「なぜ? 君は騎馬隊員だろ。魔法隊について知る必要はないじゃないか」
「でもファレロの家族ですから。明日が入隊なら、早く辞退申請しないと。今すぐにしないと間に合わなくなる。ね、ファレロ?」
「うん? なんで辞退?」
辞退するという考えがまったくなかっただけに、理解が追い付かない。
問うと、ルイスはまた眉をハの字に歪めて顔を覗き込んできた。まるで困った行動をする子どもを諭す親のような顔だった。
「だって、年中無休だよ? 外出も駄目なら退職も駄目。二度と兄弟や母さん達に会えなくなる。それに、いくら給与が高くたって、外に出られなければ使い道がないじゃないか。お金は使うために稼ぐんじゃないのか?」
確かに。
「ちなみに、任務以外での外出は禁止だけど嗜好品なら取り寄せが出来る。窓口があって、菓子だろうが本だろうが、なんでも好きなものを買えるよ」
と、ウィック。
余計なことを言うなとばかりにウィックを睨んだのは、やはりルイスだった。そんな攻撃的な眼をするルイスを初めて見た。彼はいつだって優しくて、いつだって共感してくれる人だ。
ルイスはさらにファレロに詰め寄った。
「とにかく、辛すぎる待遇に違いはない。入隊することないよ。むしろ、働かなくたっていい。俺が稼いでくるから、それで充分だよ」
確かに。
現状でも、特に困っていることはないし。日本では、あんなに就職したくなかったしなあ。ファレロは流されつつある自分に気が付いた。
「ね? ファレロは女の子なんだから働かなくていいよ」
しかし、その一言にはなぜかカチンときた。
女?
それ、関係あるか?
「働かなくても俺と生きていける方法があるでしょ?」
カチンときたあとの話は頭に入ってこなくて、ぐるぐると考えてしまう。
この世界でも女は見下されるのか。
日本でも女は女はと言われ、この世界でも。
女性活躍社会とか宣って妊娠すれば迷惑がられ、つわりを理解してもらえず、育休を取って戻ってくると居場所はなく、おまけに生理痛さえ理解されない不合理な国。筋力と体力こそすべての日本で、女はいつでも卑下され、荷物扱いされ、同等に扱われない。そんなふうに苦労して自分を育てた母を見てきたじゃないか。
いつも母は嘆いていたじゃないか。
男と同じ仕事をくれとは言わない。性差があるから。
──ただ同じだけのチャンスをくれと、思っているだけなのに。
それと同じ気持ちで就職を拒んだのではなかったか。
社会で女として生きていくのをやめ、のらりくらり暮らせればいいと、そう思ったのが自分ではなかったか。
女だから。
その理由を最も嫌ったのが、自分ではなかったか。
そこへジョアンが割って入ってくる。すっかり背凭れに体を許していたものの、目には力があった。
「言っておくけど、魔法隊に女性はいない。君は1億5千万分の1の存在になる。この世界にいる魔女は君ひとりなんだよ」
──そなたが最後の望み
あの声が耳朶を震わせる。
もしかして、本当に大老は魔女を求めていたのだろうか。だから唯一の魔女となるべく、自分をここに呼び覚ましたのか。
私が必要?
本当に、この私が。
数多の労働力として掃いて捨てられるのではなくて、私という一個人が求められている?
女性という括りではなくて。
ファレロは決めた。
「ルイス、私、大丈夫だよ。ちゃんと入隊する」
言うと、ルイスは不愉快そうに表情を崩した。
意外だった。
あんなに自分のことのように落胆し、悲しみ、そして喜んでくれたではないか。
「なんで……?」
ルイスが言う。その声に、ファレロは戸惑ってしまった。
「え? だ、だって魔法隊は名誉だって言ってくれたよね?」
「確かに、言ったけど……」
「それに、きっと同じ施設内だからルイスには会えるだろうし、家族とは手紙のやりとりをすればいいし!」
「そうじゃなくて」
「うん? きっとなんとかなるよ!」
「そうじゃなくてさぁ……」
とうとうルイスはテーブルに突っ伏して、啜り泣き始めてしまった。ルイスが泣くだなんて、いつぶりだろうか。
「ええ!? な、なんで!? あ、もしかして心配!? 怪我とか心配してくれてる!? 大丈夫だよ! 治癒魔法とかあるから、今は全然出来ないけど、頑張ってそれ覚えるから! だからほら、泣かないでったら!」
説得しながら背中を擦ってみても、ルイスは一向に起きてくれない。
途方に暮れていると、ジョアンが呆れた目でファレロを見て、ウィックが同情の眼差しをルイスに向けていた。
「かわいそう……」
ぽつり、ウィックが呟く。
「わかってくれます?」
と、ようやく顔を上げたルイスに、魔法隊ふたりは揃って頷いてみせた。
わけがわからない。
◇◆◇◆◇◆
ジョアン達が帰ったあとの家の中は、それこそお祭り騒ぎと意気消沈が入り混じった混沌たる世界になった。
魔法隊入隊を喜ぶ一同。
待遇を聞いて、二度と帰って来られないと嘆く一同。
一喜一憂が同時に生じて、喜んでいいのか悲しむべきなのかわからず、とにかく騒ぐ、そんな感じだった。
「とにかく! 入隊おめでとう! いいじゃないか、帰ってこられなくたって! ワシらが会いに行けばいいんだから!」
という祖母の一言で、皆の不安は一掃されたらしかった。
「そうよね! 会いに行っちゃ駄目とは言われてないし! 会いに行くついでに旅行もしちゃえばいいんだし!」
「きゃー! 首都とか行ったことないー! お洒落な服を揃えなくちゃね! この服ってここら辺の人しか着てないんだってよ!」
「え? 皆、なにを着てるんだろう」
「オモチャのお店ある? オモチャいっぱい?」
家族が思い思いの会話をしている。
なんだか旅行のほうがメインになる気がするけれど、まあこうして明るくしてくれていればいいと、ファレロは思った。沈んだままの顔で見送られるより、笑って手を振ってもらったほうが旅立ちやすいというものだ。
「とにかく、いってらっしゃい!」
家族は温かい。
母子家庭だった日本での生活を考えると、胸が熱くなった。間違いなくあのときも母を愛していたし、母も愛してくれていたし、寂しくもなかったし、幸せだったし、なんの不自由もなかったけれど、なんというのだろう。
やわらかい。
この家は、とてもやわらかい。
ファレロは満面の笑顔で応えた。
「いってきます!」
そうして、すっかり忘れていた荷物をまとめるのに家族を総動員した。